| スーパーファミコン | |
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画像:Super Famicom.jpg![]() |
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| メーカー | 任天堂 |
| 種別 | 据置型ゲーム機 |
| 世代 | 第4世代 |
| 発売日 | |
| CPU | 16-bit 65c816 Ricoh 5A22 3.58MHz |
| 対応メディア | ロムカセット ニンテンドウパワー スーファミターボ |
| 対応ストレージ | バッテリーバックアップ フラッシュメモリ (サテラビューのみ) |
| コントローラ入力 | ケーブル |
| オンラインサービス | サテラビュー (日本国内のみ) |
| 売上台数 | |
| 最高売上ソフト | |
| 互換ハード | スーパーファミコンjr. SF-1 |
| 前世代ハードウェア | ファミリーコンピュータ |
| 次世代ハードウェア | ニンテンドウ64 |
スーパーファミコン(Super Famicom)とは、任天堂より発売されていた家庭用ゲーム機である。ファミリーコンピュータの後継機種。発売日は1990年11月21日。メーカー希望小売価格は25,000円。 型番はSHVC-001(SHVCはSuper Home Video Computerの略)。略記・略称は SF、SFC(Super Famicomの略)、スーファミなど。欧米ではSuper Nintendo Entertainment Systemとして発売された。
目次 |
機器名称にはファミリーコンピュータの略称として広く親しまれたファミコンの語句を採り入れ、後継機としての位置付けを明確にした。なお、「ファミコン」は「ファミリーコンピュータ」の省略形だが、「スーパーファミコン」の名称内の「ファミコン」は正式なものであり、「スーパーファミリーコンピュータ」という名称のゲーム機は存在しない。
ファミリーコンピュータとくらべ、表示や音源の処理能力が格段に向上していた。ハードウェアのスペックとしては、16ビットCPU の搭載、32768色(15ビットカラー深度)から選択可能な多数の16色カラーパレットと、それらのカラーを適用可能な16色スプライト、数十個以上のスプライト同時表示数、背景の多重スクロールと拡大・縮小・回転表示機能、ソニーのDSPによるPCM音源の採用など、カタログスペックとしては同時代の一線級のものを取り揃えている。
コントローラは、ファミリーコンピュータから変更された点として、本体からの着脱が可能で、I・IIコントローラの区別はない。 右側にあるボタンはA・B・X・Yの4つとなり、上部の左右にはL・Rボタンが追加された。内蔵マイクは廃止された。
「SUPER FAMICOM」のロゴはHandel Gothicの小文字と大文字を混ぜたもの、「スーパーファミコン」のロゴは「ファミリーコンピュータ」と同一のロゴタイプとされる。
スーパーファミコンの基板(SNS-RGB-01)に実装されているLSIの例。[1]
日本での出荷台数約1717万台、日本以外では約3193万台、全世界累計出荷台数約4910万台。対応ソフトは1990年から2000年の間に1388タイトル(非ライセンス品を含まず)発売された。
開発当初は、当時最大の市場シェアを持っていたファミリーコンピュータとの互換性を維持する為の開発努力も試みられた。実際に一部では上位互換などとも宣伝されており、発売前のモックアップでは本体横に接続する「ファミコンアダプタ」というもので互換性を保つという案も提示されていた。最終的には互換性の維持を断念し、新規プラットフォームとして発売された。しかしライトユーザーや大手ソフトメーカーの取り込みには成功し、既に発売されていたPCエンジン、メガドライブを超える規模のシェアを獲得。結果的に、第二世代、16ビットゲーム機の時代でも、任天堂はメインプレーヤーの座を堅持した。なお、ファミコンとの互換はFCX2という名のファミコン&スーパーファミコン非公式互換機で約17年後に現実のものとなっている。
その後、ゲームの大容量化への対応、更に競合他社への対抗策としてソニーと共同で専用CD-ROMシステムの開発が進められていた。しかし、ソニーが米国のゲームショーでスーパーファミコンとの互換性を持つCD-ROM機を発表し、新聞でも報道された翌日、任天堂は記者会見でフィリップス社とCD-ROM機の共同開発を発表し、ソニーに釘を刺す形となった。ソニーにとって任天堂はスーパーファミコン用の部品を卸していた顧客でもあった為、法的な手段には訴えず交渉を続けた結果、販売元がソニーから任天堂に移行するなど契約の変更がなされ、その後、両者は決裂した。
公的な場では、ソニーは任天堂の変心を訴え、任天堂は2倍速のCD-ROMでも、十分な読み込み速度を達成しなかった事を挙げている。その後の1992年に任天堂の山内溥社長(当時)が初心会演説でCD-ROM機に対して否定的なコメントをしている。更に、フィリップス社とのCD-ROM機が世に出る事もなかった。任天堂とソニーのスーパーファミコン互換CD-ROM機のコードネームはプレイステーションであり、ソニーが自社のゲーム機にこの名前をつけた事は、ソニーの意趣返しであると評される事も多い。
当初はスーパーマリオワールドで従来のゲームユーザーを安定して引き寄せたが、同作は堅実な内容ではあったものの、従来のシリーズの焼き直し的な雰囲気が強くそれほど派手なゲームではなかった。しかし、F-ZEROやパイロットウイングスは、当時の他のゲーム機には無かった、画像の拡大縮小回転といったスーパーファミコンの性能をフルに生かした内容で、ゲームユーザーに衝撃を与え、スーパーファミコンの性能の高さを多くのゲームユーザーに認識させた。また、初期に発売されたアクトレイザーでは、素晴らしいサウンドでゲームファンを魅了した。アクトレイザーのサウンドに衝撃を受けたスクウェアのスタッフがファイナルファンタジーIVの音源ドライバーを作り直した逸話が残っている[2]。
中期以降は、ドラゴンクエストシリーズやファイナルファンタジーシリーズの影響もあり、圧倒的なシェアを得た。 どちらかというと、ロールプレイングゲームやシミュレーションゲームに名作が多く、それらのジャンル好きのユーザーから高い支持を受けた。特にトルネコの大冒険、風来のシレン、伝説のオウガバトル、タクティクスオウガ、ロマンシング サ・ガなどは評価が高く、熱狂的なファンを獲得した。
しかし、アクションゲームやシューティングゲーム好きのユーザーは、PCエンジンやメガドライブを支持する傾向が強かった。 本体発売の約1ヵ月後に発売された移植作のグラディウスIIIでは処理落ちが非常に多く、またファイナルファイトでは2人同時プレイができない事もあり、「スーパーファミコンはアクションゲームやシューティングゲームには向いていない」といったイメージが作られる原因になってしまった。 ただし、メーカーがスーパーファミコンの開発に慣れた中期以降はプログラム技術も改善され、アーケードで高い評価を得ていたストリートファイターIIは高い移植度でファンを狂喜させ、パロディウスだ!やソニックウィングスではスーパーファミコンでも十分に優秀なシューティングゲームが作れると言うところを見せた。1993年に発売されたファイナルファイト2でも2人同時プレイが可能となっている。
中期辺りから大容量化やライセンス料と半導体価格の高騰により、ソフトの値段が1万円を超え始める。定価14,800円ほどのものも存在し、ライトユーザーの第1次ゲーム離れの原因にもなった。前世代機のファミリーコンピュータや、次世代機のプレイステーションなどのソフトは主に3,800円~6,800円ほどで販売されていた事を考えると、かなりの割高感があった。
スーパーファミコンでは技術上の制限から性能を発揮する為の制約が非常に多く、特にPPUの画面モードによる制限の複雑さと処理の煩雑さ、CPUの特性などがプログラマを悩ませた。この様に決して扱い易い環境とは言えず、これを競合機と比較すれば豊富な量を持つ開発用ライブラリで補うという状況であった。
サウンドについても、波形メモリやサウンドドライバなども含め使用可能な容量が僅か64KBしか用意されていないなど、PCM音源としては扱いにくく、サウンドコンポーザやプログラマーたちの頭を悩ませた。
ファミリーコンピュータの場合と同様に、演算補助用や時計用のICをカートリッジに搭載したソフトも多数存在した。特に有名なのは高速な3D処理を可能としたスーパーFXチップである。疑似3D処理が見られるパイロットウィングスやスーパーマリオカートではDSP-1というチップを搭載している。スーパーマリオRPGではSA-1という本体の5A22CPUと同じチップを入力10MHzで搭載している。
開発環境としては、当初ソニーの32ビットワークステーション・NEWS(ニューズ)が用意されたが、当時のワークステーションは非常に高価であり、結局は体力のある大手のソフトメーカー以外の参入を中々に困難なものにした。
ファミコン時代より高額化したライセンス料金、ROMの大容量化や独占製造による製造コスト増大によりソフトの価格は高額化の一途を辿った。ソフトメーカーにとっては原価が高額化したソフトを買い取って販売しなければならない為、経営的な負担が増大し、これもソフトの価格上昇要因となった。また、ソフトが予想以上にヒットした場合も、ROMの増産に時間が掛かる事による機会損失の問題が生じた。また、これら問題に直面したソフトメーカーからの要望に対して任天堂側の態度は高圧的なもので、ゲーム業界のみならず当時のゲームマスコミでもゲーム業界事情を語る記事が書かれる度に俎上に上るなど度々問題視されたが、日本国内で圧倒的なシェアを握っていた任天堂の態度が簡単に変わる事は無かった。
だが、これらの問題が元となって、一部の大手ソフトメーカーは競合ハードにも参入、また日本国外では他社にリードを許す事となった。また、その後の次世代機競走におけるNINTENDO64の不振にも繋がる要因となる。
コンピュータゲームの歴史も参照
Super Nintendo Entertainment System (スーパーニンテンドー エンタテイメントシステム)は、スーパーファミコンの北米およびヨーロッパ版である。
コンソールに Super Nintendo の部分が大きく表記されていたため、現地では「スーパーニンテンドー」の愛称で親しまれた。SNES もしくはSuper NESと略されることが多い。メーカー型番はSNS(北米)および SPAL(ヨーロッパ)。
基本スペックはスーパーファミコンと同一だが、以下の点が異なる。
スーパーマルチタップ
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| 据え置き型 | ファミリーコンピュータ(ソフト) - スーパーファミコン(ソフト) - NINTENDO64(ソフト) - ニンテンドーゲームキューブ(ソフト) - Wii(ソフト) |
| 携帯型 | ゲームボーイ/ポケット/ライト/カラー(ソフト) - ゲームボーイアドバンス/SP/ミクロ (ソフト)- ポケモンミニ - ニンテンドーDS/Lite(ソフト) |
| その他 | バーチャルボーイ |
| 周辺機器 | ファミリーベーシック - ディスクシステム(ソフト) - スーパーゲームボーイ - サテラビュー - 64DD - ゲームボーイプレーヤー |
| 他社ゲーム機 | ソニー - セガ - NEC - その他 |