カローラ (COROLLA) は、トヨタ自動車が生産している小型乗用車である。
1969年から2001年までの33年間連続して、派生車を作るなどし車名別国内販売台数1位を維持するなど、特にセダンに関しては日本を代表する車種である。また、2002年には年間世界販売台数が初めて100万台を突破した。更に2005年には、累計生産台数3,000万台を達成し2007年現在、世界140ヶ国以上の国で販売されており、特にカローラセダンは世界で最も多く販売されている乗用車でもある。
その名前は同社の大型セダン「クラウン」の「王冠」、中型セダン「コロナ」の「太陽の冠」に対して、「花冠」[1]を意味する。また、同社にはほかに「冠」をもじった大型前輪駆動セダン「カムリ」がある。
2007年12月現在のラインアップとしては、日本ではセダンの「カローラアクシオ(COROLLA Axio)」、トールワゴンの「カローラルミオン(COROLLA RUMION)」、ステーションワゴンのの「カローラフィールダー(COROLLA FIELDER)」の3車種がある。
2006年9月までは5ドアハッチバックの「カローラランクス(COROLLA RUNX)」[2]も存在したが、同年10月に新型欧州戦略車「オーリス(AURIS)」を同車の後継として導入し、ハッチバックのカローラシリーズは終了した。ランクスおよびアレックスは日本においてはカローラの若年層向け異型車として展開されていたが、オーリスはネッツ店専売車種となっている。
以前は、小型MPV カローラスパシオ・2ドアクーペ カローラレビン・4ドアハードトップ カローラセレス・3/5ドアハッチバック カローラFXなども存在した。
2006年7月に東京・お台場のMEGAWEBでカローラ生誕40周年記念展示が行われ、初代から9代目までのカローラとAE86型レビン、スパシオの欧州向け姉妹車「カローラ・ヴァーソ」、ヴォルツの北米向け姉妹車「マトリックス」が展示された。マスコミ向けに行われた撮影会では内装まで撮影できたが、一般公開では囲いがしてあり、外観しか見られなかった。ちなみに車のリアには販売店のステッカー[3]が貼ってあり、実際に使用していた車であることが分かる。
トヨタ自動車では通例として、「エンジン型式記号+車種記号+世代あるいはバリエーション別・開発順番号表記+開発順の車型番号・・・」の順に記される。
この項では、同一車種で異なるエンジンを搭載する場合の煩瑣な例を避けるため、各世代の表記についてはエンジンの型式記号を除いた「Exx系」と統一して呼称することとし、世代内の車種については、車種の特徴をあらわす意味も含め、通称としてエンジン記号も適宜付すこととする。
1960年代後半、日本では本格的なモータリゼーション時代を迎え、各自動車メーカーは車種の充実をはじめた。カローラは、エントリーモデルであり、国民車構想の流れを汲むパブリカと、量販車種であり、排気量のアップや車体の大型化により車格が上昇したコロナの中間に位置する量販車種として、1962年ごろに初めて企画された。トヨタは、パブリカが実用的に過ぎたため人気を得られなかったと分析し、実用以上の「魅力」を付加することを目標とし、開発理念として「80点主義」を掲げた。エンジンは、パブリカの空冷2気筒700cc[4]に対して、先行して開発されていた水冷4気筒で中高回転域での追従性に優れたハイカムシャフト方式で5ベアリングのクランクシャフトを用いたOHV式の1000ccエンジンを搭載することとした[5]。
車両重量その他の計算から、時速100kmで巡航するために必要な最高出力を60psとし、その出力を余裕を持って発揮するという名目から、また、後述するサニーに対抗するため、発売前の最終段階にはエンジン排気量が1100cc(実際は1077cc)に決定された。エンジン形式はK型である。そのほか、クラス初のフロアシフトによる4段トランスミッション、国産車として初のマクファーソン・ストラット式の前輪独立懸架[6]などの新機構が取り入れられた。また、トヨタはカローラ生産のために新工場(高岡工場)を建設し、年間2万台の生産と販売を目標とした。また、国産車で初めてエクステリア上のバンパーフェイスの排除や全車リアバックアップランプの採用および助手席側ドアロックキー等の採用、インテリア関係では全車2スピードワイパーおよび丸形メーター等を採用したのがこの初代カローラである。
ほぼ同時期、日産自動車でも、やはり大型化したブルーバード(P410型)の下位車種として、排気量1000ccの新型車が構想され、車名公募などのティーザー・キャンペーンが大々的に行われた。この車はダットサン・サニーと名づけられ、1966年4月に発売された。
サニー発売に遅れること5ヶ月、1966年9月に「カローラ」という車名と、セミファストバックスタイルのボディの一部のみを見せるティザー・キャンペーンが行われた。この時から用いられた「プラス100ccの余裕」というキャッチコピーは、新開発のK型水冷4気筒5ベアリング・ハイカムシャフトOHVエンジンの排気量(1100cc)を表現したものであり、もちろん、1000cc、でデビューした「サニー」に対しての、宣戦布告であった。同時に「日本のハイ・コンパクトカー」を自称して、「パブリカ」や、あるいは同クラスの他社製品より上質であることを訴えた。
初代カローラ(E10系)は翌10月、東京モーターショーで発表される。同年10月28日には「お茶の間発表会」と銘打ち、当時トヨタが提供していた日本テレビのゴールデンタイム(午後9時からの1時間)に特別番組「カローラ・ビッグバラエティショウ」を放送、梓みちよ、北島三郎、坂本九など、当時の流行歌手が出演した。
このような, 発売前の大々的なキャンペーンを経て、カローラは翌11月に発売された。各グレードの販売価格は、スタンダード432,000円、スペシャル472,000円、デラックス495,000円であった。「100ccの余裕」は、余裕を謳う反面、税制上は不利であったが、事前のキャンペーンが功奏し、販売台数はサニーを上回った。
発売当初は2ドアセダンのみのラインナップであったが、翌1967年5月、4ドアセダン、バン(KE16V型)、トヨグライドと呼ばれる、2速AT車が追加された。4ドアは2ドアセダンの25,000円高、トヨグライド仕様はマニュアル仕様の38,000円高であった。ほぼ同時期、サニーにも同様の車種追加がなされている。
1968年4月にはマイナーチェンジが行われる。ダッシュボードのソフトパッド化、メーターへの無反射ガラス採用、2スピードワイパーの標準装備化、メーカーオプションでフロントディスクブレーキが用意される(15,000円高)など、「33項目の安全対策」をアピールした。同時に2ドアクーペが登場、「スプリンター」(別項参照)のサブネームが与えられた。セダンにもスプリンター同様の73psのツインキャブエンジンを搭載し、フロントディスクブレーキとタコメーターを標準装備するSLが車種追加され、SL以外のグレードにはコラムシフト車も追加された。なお、この年から北米と欧州への輸出が開始された。
1969年9月の改良では、全車に排気量を100ccアップした3Kエンジンを搭載し、KE11型他となる。シングルキャブモデルは68psを発揮、新たに圧縮比を高めて出力を73psに増した3K-D型エンジンを積む、ハイ・デラックスが追加される。SLにはツインキャブの77psエンジン(3K-B型)が搭載された。また、乗り心地やハンドリングを向上させるため、全車、フロントサスペンションのロアアームを、A字型アーム+横置きリーフスプリングスタビライザーから、I字型アーム+テンションロッドスタビライザーに改め、本来の形状のマクファーソン・ストラット式になった。このフロントサスペンションは、80系の、AE85型/AE86型のカローラレビン、スプリンタートレノまで踏襲される。事実上、E10系の最終型となっている。
ちなみに、E10系のデビュー当初のCMキャラクターは俳優の竜雷太を起用していた。またマイナーチェンジ後にはCMソングも製作された。曲目は「いとしのカローラ」(作詞・作曲:浜口庫之助)である。
1970年5月、初のモデルチェンジでE20系となる。
V字型クロスフロー配置のOHV方式[7]を用いた、同年9月にT型1400ccエンジン[8]搭載モデルが登場。ステアリング形式は初代のウォーム・セクター方式からボール・ナット(リサーキュレーティング・ボール)方式に進化した。カローラ2ドアクーペおよびトヨタオート店向けのスプリンター[9]も同時発売。なおバンに限り後述の3代目カローラシリーズ(E30/E50系)が登場した後も「カローラ20(にーまる)バン」として1977年12月まで細々と販売されていた。
1970年9月 1400シリーズ追加。
1971年4月、T-B型ツインキャブ・OHVエンジンおよび5速マニュアルフロアシフトを搭載する「1400SL」「1400SR」がそれぞれ追加される。
1971年8月 最初のマイナーチェンジ/フロントグリルとテールランプのデザイン変更/テールランプにオレンジ色を追加。
1972年3月、2T-G型DOHCエンジン[10]および2T-GR型DOHCエンジン[11]を搭載する「レビン」(TE27型)が登場[12]。
1972年8月 2度目のマイナーチェンジで再度フェイスリフト/クーペに1200SRを追加。
1973年4月、2T-B型ツインキャブ・OHVエンジン[13]を搭載したクーペに「レビンJ」「1600SR」「1600SL」(TE27型)セダンに「1600SL」(TE21型)が追加される。既存モデルは48年排出ガス規制を実施。
1973年6月 高速道路時代に対応してハイデラックスにオーバートップ付5速ミッションを追加。
1974年3月 セダン、クーペ生産終了。
1977年12月 バン生産終了。
CMキャラクターはマイク真木・前田美波里夫妻が起用されておりCMコピーは「ちょっとうれしいカローラ」であった。
先代同様CMソングも製作された。曲目は「ちょっとうれしいカローラ」(作詞:阿久悠・作曲:マイク真木)である。
1974年4月、E30系にモデルチェンジ。3代目カローラは、型式番号からとって「カロ-ラ30(さんまる)」と称されて登場した[14]。
従来通り1200/1400/1600の3シリーズ構成で、グレードはセダン1200STD/DX/HI-DX/SL、1400DX/HI-DX/SL,1600HI-DX/GSL、ハードトップ1200DX/HI-DX/SL/SR、1400DX/HI-DX/SL、1600HI-DX/SR/GSL、そしてホットヴァージョンの「レビン」であった。
ボディータイプは2ドア・4ドアのほか、クーペに代わってハードトップがカローラ専用に与えられた[15]。また、1200と1400/1600シリーズで2種類のフロント及びリアのデザインが与えられている。従来型よりひと回り以上大きくなったボディーは、走行安定性や室内居住空間の拡大といった「ゆとり」を生むとともに、来たるべき排出ガス規制にあわせ、処理デバイスを取り付ける空間の確保という意味合いもあった。
メカニズムは従来型のキャリーオーバーである。エンジンは1200が3Kの改良型3K-H(STD,DX,HI-DX)/ツインキャブレギュラー仕様の3K-B型(SL,SR)。1400がT型(DX,HI-DX)/T-BR型(SL)、1600が2T型(HI-DX)/2T-BR型(GSL)、そして2T-GR型(レビン)及び2T-G型(同有鉛ハイオク仕様)である。トランスミッションは4速MT、5速MT、2速ATの設定のほか、1400以上はコロナ用の3速ATも準備された。シャシーはフロントストラット、リアリーフスプリングである。
安全対策も充分に配慮され、全車フロントインストゥルメントパネルはフルパッドで覆われており、自動巻取式のフロント連続3点シートベルトはトヨタ車初の採用である。DX以上は衝撃吸収ステアリングコラムが、HI-DX以上はフロントディスクブレーキが標準採用されている。
このように、車格がコロナ並にあげられた3代目は、歴代カローラの中で最も生産台数が多い車種となった。
当時は第一次オイルショックや排気ガス問題を背景に、国内の自動車メーカーに対しても、当時の監督官庁である運輸省・通産省から新型車の開発、及び発売自粛を求められていた時期で、発売前には国会で問題として取り上げられるほどの事態となった。そのため、新聞広告を減らし、キャッチフレーズに新型と明記せず、従来型の20系を「にーまる」[16]として併売するなど、いわゆる派手な新型車キャンペーンは自粛された。
昭和48年、50年、51年、53年排気ガス規制の間に販売された3代目は、エンジンの改良が繰り返され、その都度、排出ガスの運輸省届出値も変わるため、30系から50系、55系と、型式変更が繰り返されていった。変更の履歴・概要は次の通り。
1979年3月、4代目にモデルチェンジ。主力の1400ccT-U型に代わって新開発の1500cc、3A-U型(カローラ史上初のSOHCガソリンエンジン)が搭載される。発売当初のキャッチコピーは「いい友、誕生」。
ボディバリエーションはデビュー当初E50系と同じ2ドアセダン[17]、4ドアセダン、2ドアハードトップ、レビンを含む3ドアクーペ、3ドアリフトバック、3ドアバン[18]、5ドアバンの構成で[19]ステアリング形式はデビュー当初は1300cc車のみラック&ピニオン形式だったが1981年のマイナーチェンジ後には1500cc車にも採用される。また、この代から全車にフロントディスクブレーキを採用する。
1979年8月には、1600シリーズの代替としてカリーナやセリカなどの上級小型車に搭載されている1800cc、13T-U型ガソリンエンジン(OHV、95馬力【グロス値】)搭載の1800シリーズが登場するが、車重増加(特にフロントまわりの重量増加)によるドライバビリティやハンドリングの低下[20]と、税制上の問題から販売不振となり、1981年にカタログ落ち(廃止)となる。その後、カローラシリーズの1800ccのガソリンエンジンモデルはE110系の初代カローラスパシオの4WDモデルの登場まで待たなければならなくなる。
1981年5月にはワールドベストセラーカーを記念して4ドアセダンに特別仕様車「ビクトリーシリーズ」を発売。
1981年8月に大規模なマイナーチェンジが行われた。1300/1500が従来エンジンを改良したレーザーエンジンに換装された。バンを除く全車に異形角型2灯式ヘッドライトおよび全車に13インチスチールラジアルタイヤが採用される[21]。さらにセダン系はリアコンビネーションランプも大型化される。また1500SEにはパワーステアリングも標準装備/1500と1600にはオートエアコンもオプション化/1300は3速AT化/女性ドライバーの増加に応えてハードトップに女性仕様「ライム」を追加。
1982年2月には、カローラとしては初[22]のディーゼルエンジンが搭載された(SOHC、1800cc、1C型、65馬力【グロス値】)。モデル後期にはCMに伊武雅刀を起用。ディーゼルエンジン搭載車にはカローラ初4速ATも採用。
1982年5月にはハードトップに次いでセダンにも「ライム」を追加。
モデル末期には特別仕様車としてカローラ初のツートンボディカラーを採用したセダン1500SEサルーンとお買い得仕様のセダンGLエクストラ、更にセダン1300STDをベースに若干装備を充実させ車両価格79.9万円を実現した1300エクストラ、生産累計1000万台達成記念車が次々と発売された。
4ドアセダン・3ドアリフトバック・2ドアハードトップモデルに2T-GEU搭載のGTが追加[23]。特にセダン1600GTはラリーフィールドで活躍した。ちなみにFR時代のカローラセダンとしては最初にして最後の2T-Gエンジン搭載車だった。
バン/ワゴンはセダンがFF化された後もルーフをセミハイルーフ化およびマイナーチェンジを8月に実施し1987年まで継続生産された。
1983年5月、5代目にモデルチェンジ。2/3ドアのクーペカローラレビンを除き、前輪駆動(FF)化される。スタイリングはジウジアーロで、特に新規設定の5ドアリフトバック[24]は欧州色が強い。
後輪駆動(FR)で残されたカローラレビン(AE85/AE86)は、姉妹車であるスプリンタートレノと共に通称「ハチロク」と呼ばれ、ドリフト族等に人気を博した。現在でも漫画「頭文字D」などの影響で人気が高い。ステアリング形式は全車、ラック&ピニオンを採用。このE80系カローラ以降からはホイールハブのP.C.Dはカローラレビン以外はすべて100.0mmとなる[25]。しかし、レビンとは対照的に日本国内では特に基本形となる4ドアセダンのスタイリングが当時のカローラにしてはあまりにも斬新かつ若々しすぎるために、一部の年輩ユーザーは戸惑いを隠せなかったようである。
1600cc4A-ELU型エンジン車に電子制御4速オートマチック(ECT-S)、1500cc3A型エンジン「SEサルーン」と「SE」に4速オートマチック登場。
カローラFX(ハッチバックモデル)登場。国内グループAレースで活躍。シビックと死闘を繰り広げる。このFXの登場に伴い、4ドアセダンにも新たに4A-GE型エンジンを搭載した1600GTが追加される。
CMキャラクターは郷ひろみ(前期型、後期型共に)。最初はCMソングとして自身の「素敵にシンデレラ・コンプレックス」[26]が使われていた。その後「素敵に…NEWカローラ」のキャッチコピーの下、映画「アラビアのロレンス」のテーマ曲に合わせ、郷がアラビア衣装を身に纏い砂漠で佇むシーンがあった。また別バージョンで、雨の中で郷が同車を運転中、子犬が舞い込んでくるといったほのぼのとしたCMもあった。
1985年5月のマイナーチェンジでは1300ccのガソリンエンジンがこれまでの2A-LU型からEP71系スターレットと共通の2E-LU型SOHC12バルブガソリンエンジンに換装され動力性能が若干向上した。後期型のキャッチコピーは「それ以上のNEWカローラ」。また後期型の「SEサルーン」は同クラスで初めて後席センターアームレストを装備したりと、次期モデルのE90系へと繋がる豪華さを持つようになった。
1987年5月、モデルチェンジ。日本市場では販売が振るわなかった5ドアリフトバックは、カローラでは廃止されたが、「シエロ」のサブネームを与えられ、スプリンターに残された。同年8月にワゴンをモデルチェンジ。同年10月にセダンにフルタイム4WDが追加される。なお、この代から北米仕様のカローラセダンは、4ドアセダンのみの販売になる。
典型的なキープコンセプト(特にセダン・FX)でのモデルチェンジだったが、特に最上級グレードであり、販売の中心となった「SEリミテッド」(後期型では「SEリミテッドG」)の内外装は、当時のマークIIクラスに肉迫する高級感と高い品質感が特徴で、装備面でも電動格納式リモコンドアミラー、ワンタッチパワーウィンドウや高級モケットシート、エレクトロニック・ディスプレイメーター、TEMSといった、それまでひとクラス上にしかなかった装備が数多く採用された[27]ことでクラスレス化を謳い、のちのバブル景気へと繋がる好景気との相乗効果もあり大ヒットとなった。
キャッチコピーは前期型は「ニッポンの自動車の新しい物語が始まります。」、後期型は「この国のセダン」。
エンジンは1500cc以上はすべてDOHC16バルブとされ、1300ccSOHC12バルブのキャブレター(2E型)、1500ccハイメカツインカムのキャブレター(5A-F型)とEFI(5A-FE型)、1600ccのハイメカツインカム(4A-F型)とスポーツツインカム(4A-GE型)を搭載。この他、1800ccディーゼルエンジン(1C-II型)が用意された。なお、1600ccハイメカツインカムは4WD専用とされた。1988年5月の一部改良ではセダンの1500SEリミテッドに5A-FE型が追加される。
モデル後期の1989年5月には、1500cc及び1600ccエンジンがすべてEFI(電子制御燃料噴射)化され、1500ccに追加された「SEリミテッドG」のみカムシャフトのプロフィールを変更し既存の5A-FEに対し出力を11馬力向上させた5A-FHE型ハイメカツインカム[28]が設定されるとともに、2C-III型2000ccディーゼルエンジンを搭載する4WDモデルが追加された[29]。1800ccディーゼル1C-Ⅱを1C-Ⅲに換装、1300cc2Eは電子制御キャブレターに。また扱いにくかったパワーウインドのスイッチも前席のみドアアームレストに内蔵され扱いやすくなった。
また、このモデルからフルタイム4輪駆動モデルが設定されているが、搭載されるエンジンやトランスミッションごとにシステムが異なり、ガソリンエンジンのMT車にはメカニカル・デフロック付フルタイム4WD、ガソリンエンジンのAT車には電子制御油圧式ハイマチック4WD、後期に追加されたディーゼルエンジン車(MTのみ設定)にはビスカスカップリング・センターディファレンシャル式のフルタイム4WDが搭載された。余談ではあるが4WD車用のコンポーネントの一部にAE85/86レビン(トレノ含む)用の燃料タンクや4リンク・リジット・コイル式のリアサスペンションが流用されていた[30]。
1991年6月、7代目にモデルチェンジ(ワゴンは同年9月にモデルチェンジ)。このモデルは歴代で最も豪華な内容となった。キャッチフレーズは「大きな 愛のような カローラ」。発売当初のCMソングは、さだまさしの「奇跡-大きな愛のように-」。数ヶ月後には同じくさだまさしの「ありがとう」がCMソングとして起用された。
エンジンは、先代から搭載されている5A-FE型1500cc、4A-FE型1600cc(ハイメカツインカム)と4A-GE型1600cc(スポーツツインカム)[31]、新開発の4E-FE型1300cc(前期型は100馬力、後期型は97馬力)を搭載。ディーゼル仕様は二輪駆動モデルも四輪駆動モデルも2C-III型2000ccに統一された。
1500cc5A-FEエンジン搭載車のMTが全て5速化された。
100系カローラは、バブル景気で質感向上を追求する時代の後押しを受けたことや、先代の90系カローラが上級車種に匹敵する高級感を持って大ヒットしたため、その路線を昇華させた形で登場した。重要回路に金メッキ端子を採用したり、ボディ全体の80%以上が亜鉛メッキを用いた防錆鋼板を大幅採用する[32]など品質、内外装の質感は非常に高かった。装備も当時の大衆車の水準を大きく凌ぎ、前期型の最上級グレード(1600SE-G)には運転席パワーシートが装備されていたほか、販売価格の面でも小型セダンにしてはかなり割高なものだった[33]。
1992年5月には全高の低い4ドアハードトップのカローラセレスが追加された。姉妹車はスプリンターマリノ。TRDから、セリカ(ST202型)に使われたトランスミッション、ドライブシャフト、および3S-GE型2000ccエンジンを搭載した特別仕様車「TRDカローラ2000」(セダンベース)[34]が東京地区のみで販売された。ちなみに、セレスベースのTRDセレス2000も存在するが、これはTRD関係者が特別に依頼した物である。生産台数は大変少なく、TRDカローラ2000は12台、TRDセレス2000は2台との情報がある。
1993年5月にはマイナーチェンジが行われた。グリル・バンパー・テールライト・ホイールキャップの形状変更やシートクロスの柄が変更されるなどの変更を受ける。またSE-Gのデジタルメーターのオプション設定とパワーシートがコスト削減の流れで廃止される。またSEリミテッドにおいても価格が下げられた。しかしながら、カローラ歴代史上最高(1990年代当時)とされる高い内外装の質感はほぼ変わらなかったため、1995年のモデルチェンジ時まで高い人気を維持して生産し続けられた。CMキャラクターは、イッセー尾形と東ちづる。
E110系登場後もワゴン、バン、セレスはE100系のまま生産が続けられ、セレスは1998年3月頃まで(モデル廃止)、ツーリングワゴンは2000年8月まで[35]、バン及びビジネスワゴンは後継車の「プロボックス」にバトンタッチされる2002年8月まで生産された。この間、ワゴンは1995年のE110系セダン登場と同時に行われたマイナーチェンジ時に4WD車を、翌1996年5月には4A-GE型エンジン搭載のBZツーリングをそれぞれ追加し、さらに翌々1997年4月の大幅なマイナーチェンジ時には、BZツーリングに6速MTが搭載された。この時のCMキャラクターに篠原ともえとユースケ・サンタマリアが起用され、「カロゴン」の愛称が定着し、「カロゴンズ」名義でCMソングも発売された。なお、バン・ワゴンのディーゼルエンジンは、1998年4月にE110系セダンのディーゼルエンジンが3C-E型2200ccに変更された時に、同時に3C-E型に変更されている。
1995年5月15日、8代目の110系にモデルチェンジ。前期型のCMキャラクターはピーター・フォーク演じる「刑事コロンボ」。なお当初のCMコピーは「ずっといいですよ。新COROLLA誕生」だった。
好景気の後押しを受け車格を超えた装備と質感を追求し、販売価格も割高で「角を矯めて牛を殺す」的なコンセプト[36]だった7代目の反省[37]を元に、バブル経済崩壊後の8代目は大衆車としての原点回帰を元に7代目とは逆に「価格破壊的商品」を意識したコンセプトで徹底したコスト削減と軽量化を実施した。なおバン/ワゴンはE100系シリーズ中最も好評だった為、E100系をマイナーチェンジして継続生産された。
1500cc5A-FEエンジン搭載車のATがすべて4速化された。
基本構造は先代のE100系を継承しているが、ボディデザインも抑揚ある複雑な曲線からの簡略化が図られた。品質感の大きな落ち込みが指摘され、要因として硬質プラスチックで覆われた内装、およびセダンのXEサルーン以下のグレードにおける機械(ガバナ)式スピードメーターの採用[38]、黒い素地色がむき出しの二分割バンパー、更にフレームなどの溶接がE100系ではスポット溶接を用いていたが、E110系ではその一部にリベット溶接を採用し[39]、製造コストを大きく下げた点などにあるとされ[40]、販売状況は壊滅的なものだった。そのため、1996年5月の一部改良では「SEサルーン」等の一部のグレードに限り無地だったバンパー上部にシルバーメタリックあるいはグレーメタリックの塗装が施され、同時にABS・デュアルエアバッグを装備するなどの改良が施された。しかしこれだけではE110系カローラセダンのイメージを大きく向上させることはできなかった。一部では、当時既に老境に入りつつあったピーター・フォークをCMキャラに起用したことが販売不振の原因の一つではないかと考えられていた。
1997年4月に比較的大規模なマイナーチェンジを行い[41]、通常のカラードバンパー、ソフトパッドに覆われたインストゥルメントパネルなどを用いて、再びE100系並の品質感を得る事となった。最上級グレードが「SEサルーンG」から「SEサルーンLセレクション」へと変更され、ブロンズガラスや木目調パネル、オートエアコンが標準装備された。同時に後席ヘッドレストを分割式に、ヘッドライトをマルチリフレクター式にするなどの安全装備も充実した。
なお後期型のCMキャラクターには藤本義一が起用されていた。また後期型のCMコピーは「ベストセラーカーの責任」である。
また、廃止されていたスポーツグレードのGTが6速MTを装備して復活し、E110系カローラの象徴的なグレードとなった。このGTは先代とは異なりDジェトロ方式を採用し、各気筒独立のスロットルの口径も拡大され、1600ccながら出力は165psに達した。これに伴い、前期型の4ドアセダン中最も人気薄とされてきたグレードの「1.6 Sクルーズ」は廃止された。4ドアセダンのボディのcd値(空気抵抗係数)は前期型、後期型ともに0.31。
1998年4月の一部改良では、ディーゼル車がこれまでの2000ccから2200ccのEFIディーゼル(3C-E型、79ps)に換装された。1300cc4E-FE型エンジン車のマニュアルミッションが4MTから5MTに変更になる。(同時に88ps→85psに変更。)
しばらく続いていた4年サイクルをこの代からやめることになり、2000年8月まで5年3ヶ月も販売が続けられた。
2000年8月28日、9代目にモデルチェンジ。プラットフォームやエンジンが一新され、NZ、ZZ系エンジンが採用される。
通称NCV[42]シリーズ[43]と呼ばれる。フロントグリルのエンブレムも、それまでのカローラ(花冠)マークではなく、NCVを図案化したものに変わった。また、このNCVエンブレムはセダンのアシスタパッケージ[44]にはフロントグリルに付けられていない。代わりにトヨタのCIエンブレムがフロントグリルに付けられている。[45]また、一時はカローラの名前を廃止する計画もあったが、最終的に日本を代表する車名という事で残されることになった。
プラットフォームは、V50系ビスタ用およびT230系セリカをベースに縮小化し、E110系[46]と比較し更なる軽量化を図り走行安定性向上のため、リヤサスペンションが先代の独立懸架式[47]からトレーリングビーム[48]に変更された。全高はE110系セダンに対して90mmも高くなり[49]、ホイールベースはT230系セリカと同じく2600mm[50]にまで延長されている。尚、4輪駆動車用には前述のT230系セリカとほぼ共通したバイザッハ・アクスル方式のダブルウィッシュボーン式独立懸架が採用されている。スポーツモデル[51]廃止と相まって、スポーツクーペファンには少し寂しいモデルではある[52]。
カローラにとっては初のVSC[53]やTRC[54]といった安全装備が採用された[55]。セダンには1ZZ-FE型1800cc[56]と1NZ-FE型1500cc[57]、セダン専用の2NZ-FE型1300cc[58]の3種類のエンジンが搭載され、フィールダーとランクスには前述3種類のエンジンに加え、2ZZ-GE型1800cc[59]が搭載される。ちなみにガソリンエンジン全車、カムシャフトはタイミングチェーンによって駆動される[60]。4ドアセダンのボディのcd値は前期型から後期型まで0.29。また、フィールダー、ランクスのcd値は前期型から後期型まで共に0.30。
2001年10月9日の一部改良に伴い、セダンの「1.8ラグゼール(LUXEL)」に本革シート(カローラ初)を標準装備した「1.8ラグゼール・プレミアムエディション」が追加された。同時に車体色も1色追加されている[61]。
2002年9月19日に行われた最初のマイナーチェンジでは、エクステリアデザインおよびインテリアデザインの若干の変更[62]、セダン、フィールダー、ランクス全車のリアシートの中央部に新たにヘッドレストが装備された。
2004年4月28日に行われた2度目のマイナーチェンジでは、セダンとフィールダーは特にフロントノーズ周辺の造形が中期型までの丸みを帯びた造形から、押し出しや目鼻立ちを強調した若干角ばった造形に刷新された[63]。同時にインテリアデザインも大幅に刷新されている[64]。また、セダンの1.8ラグゼールにはE100系セダンの前期型の1600SE-G以来、パワーシートが再び採用された。
2004年4月のマイナーチェンジまでは、セダンとフィールダーに3C-E型2200ccディーゼルエンジン[65]も用意されていたが、3C-E型ディーゼルエンジン自体の旧態化[66]および日本国内の環境規制に対応できないため、日本国内仕様のラインナップからは外された。ちなみに2000年代以降に市販された日本国内向けのトヨタのディーゼルエンジンを搭載した小型乗用車としてはE120系カローラセダン/E120G系フィールダーを最後に前述の通り開発、製造および販売が完全に途絶えている。
3代目カローラの1977年1月のマイナーチェンジ以降(E50系)から2006年10月のフルモデルチェンジ直前までの9代目カローラまで(E120系)およそ30年間存在したカローラの1300ccモデルは、このE120系(セダンのみ)が最後となった。また、全グレードにSuper ECTを用いた電子制御4速ATの採用も、このE120系が最初で最後だった。
E120系カローラの開発にあたっては開発初期に試作車両として初代(NHW10系)プリウスを改造した車両を用いて試作を行っていたこともあった。
E120系導入の際に、ボディバリエーションが大きく再編された。
2006年10月10日に発売。今回、セダンにはサブネームが付いた「カローラアクシオ(COROLLA AXIO)」の新名称で一新[71]。このネーミングは「品質」「価値」を意味するギリシア語の「AXIA(アクシア)」に由来する。一方、ワゴンは9代目に続き「フィールダー」の名称で展開される。なお「ランクス」の名称で展開してきたハッチバックは、後継車として3ナンバーサイズの新型欧州戦略車「オーリス」を導入することとなり、カローラランクスの名前は1代限りで消え、カローラの派生車種から再びハッチバックが消滅した。また、オーリスの上級仕様である「ブレイド」も発売された。 10代目のキャッチコピーは「新しい尺度。」、「今度のCOROLLAはよくしゃべる」。
10代目の形式が「E120」から「E140」に飛んでいる理由は、「E130」が輸入車のヴォルツ[72]および北米専売車種のマトリックスに振られている理由であるためである。
なお、今回セダンに関しては海外向けと国内向けとプラットフォームを2つ持つことになる。それは日本国内での根強い5ナンバー需要に対応するためで、従来車の車両寸法をほぼ維持した[73]E140系セダンのアクシオとE140G系ステーションワゴンのフィールダーは事実上ドメスティックモデルとなる。
案外知られていないが、このE140系カローラアクシオは歴代のカローラセダンでは大変珍しく、E140G系カローラフィールダーの逆派生モデルとなっている[74]。
エンジンは1500ccモデルの1NZ-FE型エンジン[75]が継続されるほかは1800ccモデルには1ZZ-FE型エンジンに代わって新開発の2ZR-FE型(DUAL VVT-i対応、136馬力)ガソリンエンジンが新たに搭載された。また、今回から、格下のベルタと競合するという理由で、[76]セダン専用でありE50系[77]以降から続いてきたカローラシリーズの伝統ともいえる1300ccモデルやフィールダーやランクス、アレックスに搭載されていたスポーツツインカムモデルは廃止された。ただしカローラセダンの1300ccモデルの廃止後は事実上ベルタ[78]がその空いたポジションを受け持つ事となる。
オートマチックトランスミッションは全車CVT[79]である。また、ATを好まないユーザー向けにE120系に引き続いて1500ccモデルの2WD車に限りアクシオ、フィールダー共に5速マニュアルミッションも用意される。ちなみにアクシオは法人向けの「1.5X ビジネスパッケージ」[80]を除き全車にバックモニター機能付5.8インチ液晶ディスプレイとCDオーディオと前後ドアスピーカー[81][82]が標準で装備される。なお、4WD仕様に関してはアクシオの最上級グレードの「1.8ラグゼールαエディション」を除く全てのグレードに設定される。
CMは先代から引き続き木村拓哉が出演(フィールダー)しており、新たに明石家さんま(アクシオ、フィールダー)や浅田美代子(アクシオ)、柄本明(フィールダー)、細野晴臣(フィールダー)も起用された。
1997年のフィンランド・ラリーでデビュー。WRC活動最後の1999年にマニュファクチュアラーズチャンピオンを獲得。インプレッサWRCやランサーエボリューションに比べ、絶対的なスピード面では一歩譲ったものの、ターマック、グラベル、スノー・アイスなどどの路面でも安定した速さを見せた。特にハンドリングのよさ、マシンセッティングのしやすさは抜群で、いろいろなタイプのドライバーに好まれた強いラリーカーであった。
パブリカ、スターレットがメインでカローラは意外に少なく、1975年11月から1977年12月までH-KE26V、1984年9月から1987年7月までE70V系、E70G系、1987年6月から1991年9月はE90V系、E90G系、1991年6月から2002年6月までE100V系、E100G系が委託生産された。また、カローラベースでシャルマンとしてダイハツで発売されていた[89]。
当初はパブリカ店扱いであったが、1969年にパブリカ店がカローラ店に改称され現在に至る。なお、ディーゼル店でも併売されていたが、ディーゼル店の他系列への吸収(但し、宮城県ではディーゼル店がカローラ店(現:トヨタカローラ宮城)に、パブリカ店は一時カローラ店で冠していたがオート店(現:ネッツ店・ネッツトヨタ仙台)にそれぞれ社名変更)により販売は終了した。