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フレデリック・ショパン

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(最終更新 2007年11月16日 (金) 16:16。)
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フレデリック・フランソワ・ショパン
フレデリック・フランソワ・ショパン
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フレデリック・フランソワ・ショパン (Frédéric François Chopin, ポーランド名フリデリク・フランチシェク・ショペン Fryderyk Franciszek Szopen, 1810年3月1日2月22日1809年3月1日説あり) - 1849年10月17日)はポーランドの音楽家。ヨーロッパにおいて作曲家として、またピアニストとして有名であった。
様々な形式、美しい旋律、半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、それまでなかったピアノ音楽の新しい地平を切り開いた偉大な作曲家の一人である。

目次

人物

生涯を通じて肺結核に悩まされた病弱の芸術家であり、残された肖像画などからも、赤みがかった頬等、その徴表が見られるが、そうした繊細なイメージとよくマッチした作風のものばかりでなく、そうした自らの中の閉塞感を打破しようとする想いや大国ロシア帝国に蹂躙される故国ポーランドへの想いからか、時として情熱的な作風の曲も多く見られる。幼少の頃からいろいろな面で才能を発揮し、ユーモアにあふれ、ものまねと漫画を書くのが得意で学校ではクラスの人気者だったという。

その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、またそれまでの作曲家に見られない繊細かつきらびやかな音の使用でピアノの詩人とも呼ばれ、前期ロマン派音楽を代表する作曲家である。ノクターンワルツなど、今日でも彼の作曲したピアノ曲はクラシック音楽ファン以外にもよく知られており、ピアノの演奏会において取り上げられることが最も多い作曲家の一人でもある。

20歳でポーランドから演奏旅行に出掛けた。この時、ショパンの友人がポーランドの土が入った杯を渡したという伝説があるが、これはショパンの伝記を書いた著者の作り話である。後に革命が起こると、ウィーンでは反ポーランドの風潮が高まり、パリ行きを余儀なくされる。 ウィーンドレスデンパリと転々としたが、後半生は大部分をフランスで過ごした。しかし望郷の思いは終生止むことがなく、死後心臓が遺言によりポーランドに持ち帰られ、ワルシャワの聖十字架教会に埋葬された。また決して政治的に革命思想の主とはいえないが、故郷を支配する列強への反発心は若い頃から強く、「美しい花畑の中に大砲が隠されている音楽」(シューマン)と評されることもしばしばである。

ジョルジュ・サンドの肖像画(1835年)
ジョルジュ・サンドの肖像画(1835年)

若い頃の肖像に見るように美男子であったためか、様々な女性との愛の遍歴も伝説も交えて多々語られることがある。実際彼の場合は、愛情が作曲へと昇華する典型例とも見られる。中でも女流文学家ジョルジュ・サンドとの9年におよぶ交際、劇的な破局の間には「24の前奏曲集」、「幻想曲」、「バラード第4番」、「英雄ポロネーズ」、「舟歌」、「幻想ポロネーズ」等数多くの傑作が生まれた。また同年代に同じくパリで活躍した大ピアニストであったリストとは違って、大ホールでの演奏をほとんど行わなかったショパンにとっては、貴族の婦人が主催するサロンでの演奏や、貴族の子弟へのピアノ教師が生きてゆくために必要で、なおかつ心落ち着ける居場所であったのであろう。

ピアノの技術革新の時代に生きたショパンは新しい演奏技術の開拓に果敢に挑み、自身の練習の意味も込めて「練習曲集」(「3つの新練習曲」を除く12曲)を2つ編んだ。一方で古典の作曲家への敬意は強く(実際ショパンは自身がロマン派に属するという考えを否定した)、特にバッハモーツァルトは彼の作品に影響を及ぼした。例えば「前奏曲集」(24曲)は5度循環で24の全長短調を経る小品集だが、これは明らかにバッハの「平均律クラヴィーア曲集・24の前奏曲とフーガ」を意識したものである。また心を落ち着けるためにバッハの平均律をしばしば好んで弾いた。

大曲よりは小品を好んで作曲した。多楽章作品は数える程しかない。これはピアノという表現手段にもっとも適合的な音楽形態は何であるかを、ショパンなりに熟考した結果とも考えられよう。ピアノ協奏曲に関しては評価が2つに分かれる。

ショパンの作品にはいろいろと逸話のあるものが多く、それらの中にはきちんと確証の持てないものも多い。また彼自身は同時代の有名な作曲家にして評論家でもあったシューマンとは違い、批評活動は全く行わず、音楽作品と文筆作品(ことに詩)との融合にもあまり積極的ではなかったという(その点をとらえて、ショパンはロマン派ではないとする見解もある)。

きちんとした写真がほとんど残されておらず、死の直前にルイ=オーギュスト・ビソンの手によって撮られた写真が有名である(もう一枚現存する1846年の写真は損傷が激しい)。

ショパンは、数多くのピアノの作品を残したが、その中には未知の作品や、原稿消失作品が複数あることが確認されている。

生涯

ショパン(ドラクロワ画)。当初はジョルジュ・サンドと二人で一枚に書かれた絵だったが、彼らの交際の破局から二枚に分割され、ショパンはルーヴル美術館蔵、サンドの部分はコペンハーゲンの美術館に所蔵されている
ショパン(ドラクロワ画)。当初はジョルジュ・サンドと二人で一枚に書かれた絵だったが、彼らの交際の破局から二枚に分割され、ショパンはルーヴル美術館蔵、サンドの部分はコペンハーゲンの美術館に所蔵されている
  • 1810年 - 0歳:ポーランドの国土ほぼ中央に位置するジェラゾヴァ・ヴォラ(Żelazowa Wola)に、フランス人の父ニコラ(ポーランド名ミコワイ)、ポーランド人(貴族の末裔)の母ユスティナの間に生まれる
  • 1816年 - 6歳: ヴォイチェフ・ジヴニーの指導を受ける。
  • 1817年 - 7歳:アダルベルト・ジウニーよりピアノを習いはじめる。現存する初めての作品『ポロネーズ ト短調』を作曲、出版される。
  • 1818年 - 8歳:ワルシャワではじめて公開演奏
  • 1823年 - 12歳:ユゼフ・エルスネル(ワルシャワ音楽院長)より対位法、和声学を学び始める
  • 1826年 - 16歳:ワルシャワ音楽院に入学
  • 1828年 - ベルリンに行き、2週間ほど滞在してウェーバーの歌劇「魔弾の射手」、チマローザの歌劇「秘密の結婚」、ヘンデルの「聖セシリア」を聴く
  • 1829年 - コンスタンツィア・グワトコフスカ(声楽)への初恋(ピアノ協奏曲第2番第2楽章に結実)。 ワルシャワ音楽院を首席で卒業、ウィーンで演奏会を開く
  • 1830年 - ワルシャワを去りウィーンに向かう。 告別演奏会でピアノ協奏曲第1番を披露、コンスタンツィアも歌を披露
  • 1831年 - ウィーンを去りパリへ向かう。 途上、ワルシャワ蜂起失敗の報に接し「革命のエチュード」を作曲したとの伝説。 パリ到着、終生の友となるデルフィヌ(デルフィナ)・ポトツカ夫人と再会
  • 1832年 - 2月26日 パリで初の演奏会を開く
  • 1835年 - カールスバード(チェコ)で両親と最後の再会。 かつて親交のあったポーランド人貴族ヴォジンスキ伯爵家のマリアとドレスデンにて再会、ワルツを献呈(後に「別れのワルツ」と呼ばれる)
  • 1836年 - 26歳:マリアに求婚。 マリ・ダグー伯爵夫人(リストの愛人)のサロンでジョルジュ・サンドを紹介される
  • 1837年 - ヴォジンスキ家から婚約が破棄される(マリアからもらったバラの花と手紙の束は彼の死後「わが哀しみ」と書かれた紙包みの中から見つかった)
  • 1838年 - サンドとの交際が始まる。 マジョルカ島に半年間結核療養で滞在するも悪化
  • 1839年 - 冬はパリ、夏はノアンのサンドの別荘で暮らす生活が始まる(1847年まで)
  • 1844年 - 冬 インフルエンザにかかる
  • 1847年 - 36歳:ジョルジュ・サンドと別れる
  • 1848年 - 2月26日 パリでの最後の演奏会。 ロンドンに滞在、ヴィクトリア女王の御前演奏など好評を博す
  • 1849年 - 39歳:姉、ルトヴィカと最後の再会。 ポトツカ夫人、病床を見舞い歌う。 10月17日パリで永眠。ペール・ラシェーズ墓地に埋葬される。(4つ左隣はルイジ・ケルビーニの墓。)しかし、彼の意向により心臓だけは、姉によってポーランドに持ち帰られている。

ショパンの病気は一般的には肺結核とされている。ショパンの解剖報告書、死亡診断書は(おそらく)パリ・コミューン第二次世界大戦により失われたが、関係者の手紙で一部言及されており、それによれば、肺が侵されていたものの、死因までは特定できなかったと言う。この点や、ショパンの症状などから、ショパンの病気は他の疾患(たとえば遺伝病の一種嚢胞性線維症など)ではないかとする説もある([1])。『音楽と病 病歴に見る大作曲家の姿』(ジョン・オシエー著、法政大学出版局、ISBN 4-588-02178-8)でも、嚢胞性線維症が主張されている。

ポトツカ夫人の書簡

第二次大戦直後にポーランドの音楽研究家パウリーナ・チェルニツカが、ショパンがポトツカ夫人に書いたという大量の書簡を公表した。これらにはショパンの私生活に対する言及や彼の音楽思想、他の音楽家に対する批評が多く含まれていたため論議を巻き起こした。彼女は原本の公開を拒否したまま謎の自殺を遂げたが、現在では(一部に議論はあるが)少なくとも大部分が彼女による偽作であるとされている。1950-60年代に書かれた伝記などにはこれらの書簡を引用したものが多い。

参考文献:「贋作ショパンの手紙」イェージー・マリア・スモテル著、足達和子訳、音楽之友社、1985年。ISBN 4-276-22433-0

ショパン国際ピアノコンクール

ショパンは、第一次世界大戦で解放されるまで他国によって虐げられたポーランド人の誇りである。大戦後ポーランド人は、ショパンの名を冠した国際ピアノコンクールを、ショパンの生誕日を中心とした期間に開催することにした。現在国際音楽コンクールは数多く開催されているが、このショパンコンクールこそが近代コンクールの先駆けというべきものである。現在も続く国際音楽コンクールの中では最古のものである。

5年に一度の、若手ピアニストにとっての最高の登竜門であるショパンコンクールは、現在では10月17日のショパンの命日を中心とした期間開かれ、地元ワルシャワだけでなく世界中の熱心な音楽ファンにとっては待望のものとなっている。公式日程のほか、市民が気に入ったピアニストを(たとえ予選で落ちた者でも)私的に囲んで演奏会を催したり、期間中遠方からの参加者がピアノを貸してくれる市民宅に逗留したりするなど、単なる優劣付けにとどまらない一大音楽イベントである。1990年の第12回と1995年の第13回と2大会続いて第1位優勝者が輩出されないという状況であったが、2000年の第14回コンクールにおいて中国のユンディ・リが15年ぶりに優勝に輝いた。2005年の第15回コンクールの模様はインターネットで全世界に配信された。この回、初の試みとして、書類選考を通過した参加者全員をワルシャワへ呼び集め、テープやビデオ審査ではなく、生演奏による「予備審査」が導入されたが、2つの会場で同時にコンクール予備審査が行われるという、ショパンコンクールの権威を損ないかねない不可解な審査方法は、大問題となった。

優勝者

  1. 1927年 レフ・オボーリン(ソヴィエト連邦)
  2. 1932年 アレクサンドル・ウニンスキー(ソヴィエト連邦)
  3. 1937年 ヤコブ・ザク(ソヴィエト連邦)
  4. 1949年 ベラ・ダヴィドヴィチ(ソヴィエト連邦)、ハリーナ・チェルニー・ステファンスカ(ポーランド)
  5. 1955年 アダム・ハラシェヴィチ(ポーランド)
  6. 1960年 マウリツィオ・ポリーニ(イタリア)
  7. 1965年 マルタ・アルゲリッチ(アルゼンチン)
  8. 1970年 ギャリック・オールソン(アメリカ)
  9. 1975年 クリスティアン・ツィメルマン(ポーランド)
  10. 1980年 ダン・タイ・ソン(ヴェトナム)
  11. 1985年 スタニスラフ・ブーニン(ソヴィエト連邦)
  12. 1990年 (該当者なし)
  13. 1995年 (該当者なし)
  14. 2000年 ユンディ・リ(中国)
  15. 2005年 ラファウ・ブレハッチ(ポーランド)

有名な作品

ノクターン 作品9-2 変ホ長調
映画『愛情物語』に使われた有名な旋律。いわゆる通俗名曲として専門家によっては評価が低いが、生前ショパン自身はこの曲に愛着を感じていたともいわれ、ロベルト・シューマンの妻クララがショパンの曲を演奏した折、彼はお返しにこのノクターンを弾いたというエピソードが伝えられている。
別れの曲 (12の練習曲 作品10-3 ホ長調)
ショパン自身が「生涯でこれほど美しい旋律を書いたことはない」と語ったという。哀愁を帯びた主部と、激情的な中間部の対比が見事。曲名は戦前のフランス映画(ないしドイツ映画。中身は初恋の人、コンスタンツィアとの別離を創作したもの)の邦題に由来。自筆譜のテンポ設定はヴィヴァーチェ・マ・ノン・トロッポであり、近年このテンポで練習曲風に弾くピアニストも極僅かいるが、一般的には中間部のテンポ設定である。
革命のエチュード (12の練習曲 作品10-12 ハ短調)
祖国ポーランドの独立運動がロシア軍に弾圧されたという悲報を聞いて、作曲されたといわれている。革命というタイトルはフランツ・リストによって名付けられた。
雨だれの前奏曲 (24の前奏曲集 作品28-15 変二長調)
中音部の変イ音が弱く、とぎれとぎれに全曲打ち続けられる(中間部は異名同音である嬰ト音)。中間部は低音部に一時旋律が移る。この曲もしくは同様な趣の同曲集第6番(ロ短調)は、マヨルカ島滞在中に大雨の中サンドが寺院に戻って来たところショパンが弾いていた曲との伝説。ショパンが雨音を意識して書いた作品は、同曲集第6番(ロ短調)と言われている。
ピアノソナタ第2番「葬送」 変ロ短調 作品35
第3楽章に葬送行進曲を持つ。全曲の劇的な構成-特に第4楽章ーゆえ、ソナタという形式としては破綻をきたしているという評は作曲当時からあった。
幻想曲 ヘ短調 作品49
ショパンの健康もサンドとの仲も安定していた時期の作。ショパンの作品中唯一の幻想曲である。
バラード第4番 ヘ短調 作品52
「バラード(譚詩曲)」は、6拍子を基調とした物語風の曲。ショパンの最後のバラードである。
アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 作品22
本来は、ピアノとオーケストラのための協奏的作品であるが、現在では、ピアノ独奏で演奏されることがほとんどである。最初の3分から4分は比較的穏やかな演奏が続く。その間左手はアルペッジオで動く。そしてその後ショパンのポロネーズの最大の特徴である「ウン タタタッタっタッタ」というリズムが出てくる。その後の終わりの部分では右手の華やかな演奏がなされ終わりを迎える。なお、この曲は映画「戦場のピアニスト」のエンディング曲になった。
軍隊ポロネーズ イ長調 作品40-1
「ポロネーズ第3番」の通称。英雄ポロネーズと並ぶ名高い作品として有名である。序奏がないため、いきなり主題から展開され、8小節単位で曲が進んでいきコーダもなく終了する。この曲の強弱はすべてフォルテ以上の強さである。1838年、マヨルカ島での静養の際に作曲されたといわれる。
英雄ポロネーズ
「ポロネーズ第6番変イ長調 作品53」の通称。ショパンのポロネーズのなかで、最も演奏される機会が多い曲。
幻想ポロネーズ 変イ長調 作品61
「ポロネーズ第7番」の通称。
舟歌 嬰ヘ長調 作品60
「舟歌」は、西洋では通常6拍子だが、ショパンはフレーズの長さを息長く、倍の12拍子とした。サンドとの関係が破局に近づく頃に作曲され、また父の死に接した衝撃で健康が悪化した、コーダ付近にその影が見え隠れしている。この曲をロンドンで初演した際、ショパンは、楽譜上フォルテシモと表記されているコーダ部を、ピアニシモで消え入るように弾いたという。
小犬のワルツ(ワルツ 変ニ長調 作品64-1)
ショパンワルツのなかで、最も短くかつ最も演奏される機会が多い曲の一つ。速く細かい動きの旋律の主部が印象的。サンドの飼い犬が自分の尻尾を追いかけてくるくる回っている様子を描いたともいわれる。デルフィヌ(デルフィナ)・ポトツカ夫人に献呈されている。
幻想即興曲 嬰ハ短調[遺作]作品66
右手の速いパッセージが繰り広げられる典雅な主部と、歌謡的な旋律のトリオ部と短いコーダで構成される。若い頃の作品で、友人のユリアン・フォンタナが手を加え、『幻想即興曲』と名前をつけて出版した。この曲に関してショパン自身は友人に「この曲はベートーヴェンの『月光』を拝借して創った」と語っており、当時の批評家の酷評を恐れ生涯この曲を演奏することも公開することもしないつもりでいたらしい。
夜想曲 第20番 嬰ハ短調 [遺作]
1830年に作曲されたが、1875年に出版されたため遺作とされる。3分形式。中間部には、ピアノ協奏曲第2番 作品21から各楽章の断片的なモチーフと歌曲「願い」 作品74-1のモチーフを組み合わせられて構成されている。ショパンの姉のルドヴィカピアノ協奏曲第2番を練習する時のために作曲したという説もある。

作品

サブタイトルは、ショパンが曲にタイトルを付けることを好まなかったため、ほとんどはショパン自身によるものではない。 彼の作る音楽の特徴として、あらゆる曲にピアノが必ず使われているという点がある。ショパンの作品は現在に至るまで世界中に愛されており、その人気はフランツ・リストが演奏会で盛んにショパンの作品を取り上げていたことと、弟子に必ずショパンの曲を教えていたことから始まっている。 なお、ショパンは自分の作品に大きなこだわりを持っており、遺言で自分の未出版作品の破棄を希望していたが、その希望は受け入れられず、友人でもあったユリアン・フォンタナをはじめとするショパン研究者によって出版された。主な遺作には、幻想即興曲、レント・コン・グラン・エスプッレシオーネ 嬰ハ短調(ノクターン 第20番)などがある。 フォンタナは、ショパンの原稿に手を加え、また作曲年代に関係なく作品番号を付けて出版した。作品66から作品75は、フォンタナによって付けられた作品番号である。またポーランド音楽出版社(パデレフスキ版およびエキエル版)やヘンレ社などの原典版楽譜では、ショパンのオリジナルとフォンタナやその他の編集者による楽譜が掲載されており比較することができる。 なおショパンの作品の分類番号は2つあり、1つはKK(クリスティナ・コビラィンスカによる作品番号のついていない作品)とB(モーリス・ブラウンによる作品分類番号)の2つである。ヤン・エキエルは、彼自身が編纂しているナショナル・エディション(ショパン全集)の中で、作品番号の付いていない作品に限って、WN(Wydanie Narodowe = ナショナル・エディション)というエキエル独自の作品分類番号を記している。

ピアノ独奏曲

  • マズルカ
    • 4つのマズルカ 作品6
    • 5つのマズルカ 作品7
    • 4つのマズルカ 作品17
      • 変ロ長調 作品17-1 / ホ短調 作品17-2 / 変イ長調 作品17-3 / イ短調 作品17-4 
    • 4つのマズルカ 作品24
      • ト短調 作品24-1 / ハ長調 作品24-2 / 変イ長調 作品24-3 / 変ロ短調 作品24-4
    • 4つのマズルカ 作品30
      • ハ短調 作品30-1 / ロ短調 作品30-2 / 変二長調 作品30-3 / 嬰ハ短調 作品30-4
    • 4つのマズルカ 作品33
    • 4つのマズルカ 作品41
    • 3つのマズルカ 作品50
      • ト長調 作品50-1 / 変イ長調 作品50-2 / 嬰ハ短調 作品50-3
    • 3つのマズルカ 作品56
      • ロ長調 作品56-1 / ハ長調 作品56-2 / ハ短調 作品56-3
    • 3つのマズルカ 作品59
      • イ短調  作品59-1 / 変イ長調 作品59-2 / 嬰へ短調 作品59-3
    • 3つのマズルカ 作品63
      • ロ長調 作品63-1 / ヘ短調 作品63-2 / 嬰ハ短調 作品63-3
    • 4つのマズルカ (作品67)
    • 4つのマズルカ (作品68)
    • マズルカ第50番 ト長調
    • マズルカ第51番 変ロ長調 
    • マズルカ第52番 イ短調 ノートル・タン
    • マズルカ第53番 イ短調 エミール・ガイヤールへ
    • マズルカ第54番 ニ長調
    • マズルカ第55番 変ロ長調 アレクサンドラ・ヴォウォフスカへ
    • マズルカ第56番 ハ長調
    • マズルカ第57番 変イ長調 マリヤ・シマノフスカへ
    • マズルカ 二長調 作品番号なし
  • ワルツ
    • 華麗なる大円舞曲 変ホ長調 作品18
    • 3つのワルツ 作品34
    • ワルツ 変イ長調 作品42 (『大円舞曲』)
    • 3つのワルツ 作品64
      • 変ニ長調 作品64-1 - 俗称 『小犬のワルツ』  / 嬰ハ短調 作品64-2 /  変イ長調 作品64-2
    • 2つのワルツ (作品69)
      • 変イ長調 作品69-1 (『別れのワルツ』や『告別』と呼ばれる) / ロ短調  作品69-2 
    • 3つのワルツ (作品70)
      • 変ト長調 作品70-1 / ヘ短調  作品70-2 / 変二長調 作品70-3
    • ワルツ ホ短調  作品番号なし
    • ワルツ ホ長調  作品番号なし
    • ワルツ 変ホ長調 作品番号なし
    • ワルツ 変イ長調 作品番号なし
    • ワルツ 変ホ長調 作品番号なし
    ショパンの自筆譜には、『ワルツ』ではなく、「ソステヌート」と表示されている。
    • ワルツ イ短調  作品番号なし
    • ワルツ 嬰へ短調 作品番号なし(未出版)
  • 夜想曲(ノクターン)
    • 3つの夜想曲 作品9
      • 変ロ短調 作品9-1 (第1番) /  変ホ長調 作品9-2 (第2番) / ロ長調 作品9-3 (第3番)
    • 3つの夜想曲 作品15
      • ヘ長調 作品15-1 (第4番) / 嬰ヘ長調 作品15-2 (第5番) / ト短調 作品15-3 (第6番)
    • 2つの夜想曲 作品27
      • 嬰ハ短調 作品27-1 (第7番) / 変二長調 作品27-2 (第8番)
    • 2つの夜想曲 作品32
      • ロ長調 作品32-1 (第9番) / 変イ長調 作品32-2 (第10番)
    • 2つの夜想曲 作品37
      • ト短調 作品37-1 (第11番) / ト長調 作品37-2 (第12番)
    • 2つの夜想曲 作品48
      • ハ短調  作品48-1 (第13番) / 嬰へ短調 作品48-2 (第14番)
    • 2つの夜想曲 作品55
      • ヘ短調 作品55-1 (第15番) / 変ホ長調 作品55-2 (第16番)
    • 2つの夜想曲 作品62
      • ロ長調 作品62-1 (第17番) / ホ長調 作品62-2 (第18番)
    • 夜想曲 ホ短調 (作品72-1  第19番)
    • 「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」(夜想曲) 嬰ハ短調 作品番号なし 遺作 (第20番)
    • 夜想曲 ハ短調 作品番号なし 遺作 (第21番)
  • バラード
  • スケルツォ
  • 前奏曲
    • 前奏曲集(24の前奏曲集) 作品28
      • 第15番:雨だれの前奏曲  変二長調
    • 前奏曲 作品45 (嬰ハ短調)
    • 作品番号なし (変イ長調)
     ショパンの自筆譜には、『前奏曲』ではなく「プレスト・コン・レジェレッツァ」とだけ記されている。
    • 前奏曲 作品番号なし (変ホ短調) – 俗称『トリル前奏曲』
  • 序奏と華麗なポロネーズ ハ長調 (ピアノ独奏ヴァージョン) 
    チェロとピアノのための2重奏曲からのショパン自身による改作。
  • 』 ト短調 (ピアノ独奏ヴァージョン)
    歌曲「春」 (作品74-2)からのショパン自身による改作。
  • ラルゴ 変ホ長調
    作曲当初、「前奏曲集 作品28」の19曲目に組み入れる予定であったという説もある。
  • ポーランド国歌『ポーランドいまだ滅びず』(ドンブロフスキのマズルカ)のピアノ独奏用編曲 (ヘ長調)
  • 3声のカノンの低音譜(F.メンデルスゾーンによる) ロ短調
  • カノン ヘ短調
    未完成作品である。「オクターヴのカノン」ともいわれる。

ピアノとオーケストラのための楽曲

流麗なアンダンテ・スピアナートが単純ながらト長調の美しい前奏を務めている。本体の「華麗なる大ポロネーズ」は変ホ長調。ピアニスティックな技巧を十二分に発揮している。本来は管弦楽との協奏曲であるが、ピアノ・ソロで演奏される方が多い。ソナタ形式に近い三部形式。

室内楽曲

歌曲

  • 17の歌曲 作品74(歌とピアノ)
    • 「願い」(「乙女の願い」とも呼ばれる) ト長調 作品74-1
    • 「春」 ト短調 作品74-2
  • 魔力 (ニ短調)
    原題である”Czary”は、「魔力」の他に「魅惑」と訳されることもある。
  • ドゥムカ (イ短調)
    17の歌曲 作品74の13曲目と同じ ザレスキ 作の詩に作曲された。こちらの方が5年前に書かれていて、調性も同じであることから、13曲目の原曲と考えられる。
  • マズル『どんな花』 (ト長調 ヴァツラフ・ハンカ女史へ献呈)
    ピアノ伴奏はなく、詩と旋律のみの歌曲である。

未知の作品、原稿消失作品

  • マズルカ(4曲、調性不明)
  • マズレク (調性不明)
  • ポロネーズ(3曲、調性不明)
  • ワルツ(4曲、調性不明)
  • コントルダンス 変ホ長調
  • コントルダンス 変ロ長調
  • 舞曲 (調性不明)
  • アンダンテ・ドレンテ 変ロ短調
  • 行進曲 変ロ短調
  • 行進曲 ヘ短調
  • 行進曲(調性不明)
  • 軍隊行進曲 (調性不明) 
  • 2つの小品
    • Ⅰ 前奏曲 (ヘ長調)
    • Ⅱ アンダンティーノ (ニ短調)
  • 変奏曲 (調性不明)
  • レント (調性不明)
  • 4手のためのソナタ (全4楽章)
  • 4手のための変奏曲 (ヘ長調)
  • エオロパンタレオンのための2つの作品
  • 2つの教会音楽 
  • 歌曲 (5曲、題名及び調性不明)
  • 軍隊行進曲(吹奏楽曲)

楽譜

ファウンデーション独自に出版している巻とポーランド音楽出版社の協力を得て出版している巻の両方がある。

録音

他者による編曲

オーケストラ

特に有名なものとして、いくつかの楽曲がオーケストレーションを施されまとめられ数種のバレエ音楽が存在する。

  • ラ・シルフィード(La Sylpheede) - 1835年初演のバレエ曲目。
  • レ・シルフィード(Les Sylpheedes) - 1909年初演のバレエ曲目。バレエ演目としてのショパンの編曲では最も有名なもの。編曲者は多数にわたるが、次項のグラズノフを含む。
  • ショピニアーナ(Chopiniana) - グラズノフ編曲によるもの。バレエ音楽としての『レ・シルフィード』そのものを指す場合と、『レ・シルフィード』からグラズノフの編曲によるものをさらに抜粋した演奏会用組曲を指す場合がある。英雄ポロネーズや軍隊ポロネーズ、ノクターンやマズルカなどにオーケストレーションが施されている。

ピアノ曲


メディア

関連項目

外部リンク

ウィキペディアでの『フレデリック・ショパン』の改訂履歴
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