| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 | ドイツ シュトゥットガルト,バーデン=ヴュルテンベルク州 |
| 設立 | 1931年 |
| 業種 | 自動車製造 |
| 事業内容 | 自動車の製造,販売 |
| 代表者 | ヴァンダリン・ヴィーデキングCEO |
| 売上高 | €72億7300万(2006年) |
| 従業員数 | 11,910人(2005年) |
| 関係する人物 | フェルディナント・ポルシェ,フェリー・ポルシェ(創業者) |
ポルシェ (Porsche A.G.) は、ドイツの自動車製造会社。
本拠地は、ドイツ南西部の都市であるシュトゥットガルト。高級スポーツカーとレーシングカーを専門に開発・製造し、中でも1963年に発売されたスポーツカー「ポルシェ・911」は改良を重ねながら製造・販売され、現在でも高い人気を誇っている。そのため、水冷エンジンとなった新世代ポルシェにおいても、「リアエンジン」と「911」の名前は「記号」として残されることになった。殆どの製品に共通する「カエル顔」と呼ばれるデザインも特徴。
目次 |
最初の フォルクスワーゲン・タイプ1を作り上げた技術者、フェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche)の息子であるフェリー・ポルシェ(Ferry Porsche)によって1947年に設立された。
1971年にポルシェ一族は経営から手を退き、同族経営から脱却している(ただしポルシェ家は、依然として同社の大株主ではある)。このときポルシェの技術者だったポルシェ博士の孫(娘ルイーザの子)であるフェルディナント・ピエヒ(後にフォルクスワーゲングループ会長)と同じく孫(フェリーの子)でデザイナーだったブッツィ・ポルシェ(のちにポルシェデザイン社長)も会社を去っている。現在の社長はヴェンデリン・ヴィーデキング。
2005年、歴史的に縁の深いフォルクスワーゲンの株式の20%を取得し、同社の筆頭株主となった。
ポルシェAGとポルシェデザイン社は、当初は創業者が同じポルシェ一族と言うだけで、資本関係等は全く関係の無い別会社だった。しかし、現在でポルシェの子会社になっている(ポルシェデザインの公式サイトでも「Porsche AGの過半数所有子会社です」となっている)。
ポルシェは1990年代前半に最大のマーケットでもある米国での販売不振により赤字が拡大し、経営難をささやかれた時期があったが、1996年に低価格のオープンカー (ロードスター型) 「ポルシェ・ボクスター」を投入、翌年にはデザインと設計を全面的に一新した996型「ポルシェ 911」を投入した効果により販売が好転。2003年にはポルシェ初の4ドア車(実際は5ドアのSUV)である「ポルシェ・カイエン」も投入し、1999~2000年度の生産台数が約4万5千台であったのに対し、2003年~2004年度の生産台数は約8万台(フィンランド工場製を含む)と、順調な伸びを示している。
ツッフェンハウゼン(Zuffenhausen)工場はシュツットガルト市にあり、1940年代から続くポルシェの主力工場。ポルシェ・ボクスターをフィンランドの工場に生産委託する以前は、多くのポルシェをこの工場で生産していた。工場は大小4つの建物から成り、ポルシェセンター(販売拠点)やポルシェ博物館、修理・特注工場が併設されている。
生産能力増強のために、ドイツのライプツィヒ (旧東ドイツ地区)に新しい工場を建設し、2002年8月に稼動開始した。テストコースも備える広大な敷地に、近代的な外観と設備を備えるライプツィヒ工場は年間3万台超の生産能力を誇っている。現在、最も販売好調なポルシェ・カイエンと少量生産車ポルシェ・カレラGTの生産を行っている。
ポルシェは創業以来ドイツのツッフェンハウゼン工場で生産を行っていたが、ポルシェ・ボクスターが販売好調のためフィンランドの企業「ヴァルメット社」(Valmet) にボクスターの生産を委託。2000年~2001年度の場合、総生産台数の約4割にあたる約2万台をフィンランド製ボクスターが占めていた。現在はドイツの新しいライプツィヒ工場の稼動により、フィンランド工場製ボクスターの割合は大幅に縮小され、約6千台となっている。
ポルシェ・カイエンの製造・組み立ては、姉妹車であるフォルクスワーゲン・トゥアレグ、アウディ・Q7とともに、スロヴァキア・ブラチスラヴァのフォルクスワーゲン工場で行われる。
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ロードカーとして登録可能なモデルも多い
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※開発に関わったもの
余談ではあるが、日本では1962年~1966年にかけて井関農機が一部のポルシェトラクターを輸入販売した事があり、その後ポルシェトラクターを参考に日本の気候や風土に合わせたヰセキオリジナルのトラクター「ヰセキトラクターTBシリーズ」を開発し1964年に販売を開始する。
| 参戦年度 | 1958 - 1964 |
|---|---|
| 出走回数 | 31 |
| コンストラクターズタイトル | 0 |
| ドライバーズタイトル | 0 |
| 優勝回数 | 1 |
| 通算獲得ポイント | 47 |
| 表彰台(3位以内)回数 | 5 |
| ポールポジション | 1 |
| ファステストラップ | 0 |
| F1デビュー戦 | 1958年オランダGP |
| 初勝利 | 1962年フランスGP |
| 最終勝利 | 1962年フランスGP |
| 最終戦 | 1964年オランダGP |
過去にチームとして参戦した経験もあるが、エンジンサプライヤーとして、1983年~1987年までマクラーレンTAGポルシェとして1.5l V6ターボエンジンを、1991年にフットワークに3.5l V12エンジンを供給していた。
特に1984年~1985年には、ニキ・ラウダ、アラン・プロストによってドライバーズタイトル、コンストラクターズタイトル、翌1986年もプロストのドライバーズタイトルの獲得に貢献している。
しかし、1991年に供給したV12エンジンは、V6ターボを2つつなぎあわせた様なエンジンで、重量200kgという超ヘビー級なうえに大きく、更にパワーが出ないという駄作で、シーズン半ばに撤退してしまうという失態であった。