| マンチェスター・ユナイテッドFC | |
| 原語表記 | Manchester United Football Club |
|---|---|
| 愛称 | The Red Devils |
| クラブカラー | 赤 |
| 創設年 | 1878年 |
| 所属リーグ | イングランドプロサッカーリーグ |
| 所属ディビジョン | FAプレミアリーグ |
| ホームタウン | マンチェスター |
| ホームスタジアム | オールド・トラフォード |
| 収容人数 | 76,212 |
| 代表者 | |
| 監督 | |
マンチェスター・ユナイテッド・フットボール・クラブ (Manchester United Football Club) は、イングランドのマンチェスターを本拠地とするサッカークラブ。愛称は赤い悪魔(Red Devils)、ユナイテッド(United)、あるいはマンU(ManU)とも呼ばれる。
目次 |
マンチェスターの鉄道員が中心となり、ニュートン・ヒース(ランカシャー&ヨークシャーレイルウェイズ)FC(略してニュートン・ヒース(L&YR)FC)として1878年に創立。1902年に一度破産する。その後地元醸造業主のジョン・ヘンリー・デイヴィスがクラブを再興しマンチェスター・ユナイテッドとなる。名称変更前の2日間だけマンチェスター・セルティックという名称であった。
2日間だけではあるがセルティックと名乗ったことはこのクラブがカトリック系であることの表明であったといえる。以来カトリック系選手、監督、理事を多く抱えている。その代表としてはサー・マット・バスビーが挙げられる。スコットランドのカトリックコミュニティー出身であり、クラブの発展に大きく貢献した。
今や名門となったチームだが、歴史の長いイングランド・フットボールリーグにおいて、意外にもその歴史はさほど古い方ではなく、また苦難の連続でもあった。草創期に2度のリーグ優勝後、1910年代~1950年頃までは低迷。第二次世界大戦時には空襲でオールド・トラフォードが被災し、戦後も資金不足から修復できずマンチェスター・シティの本拠地(メイン・ロード)を拝借するといった有様だった(もっとも、その期間の1948年に観客動員83,260人という現在に至るリーグ戦記録を打ち立てているが)。1950年代に入り、サー・マット・バスビーを監督としてチームの大改革を行い、復活を遂げたかに見えたが、その矢先ミュンヘンの悲劇で主力の多数を失った。これにより英国(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)のクラブチームとして初のヨーロッパでの栄光はセルティックに譲ることになってしまう。ボビー・チャールトン、ジョージ・ベストらを擁して栄光を勝ち取る1960年代後半のあと、1970年代に入り世代交代に失敗。1974年には(1シーズンだけ)2部落ちの憂き目にも遭っている。
長い低迷期を終わらせたのは、スコットランド人監督、アレックス・ファーガソンである。1986年に就任した彼は若手の育成と、暴れ馬と呼ばれた選手たちの融合に見事成功。現在に至る常勝軍団の系譜をスタートさせる。
FAプレミアリーグの優勝回数は9回で、最多優勝クラブ。旧ファーストディビジョン時代を通じて、優勝16回はリバプール(18回)に次ぐ2位。その他に、FAカップで11回、リーグカップで2回、UEFAチャンピオンズリーグで2回、UEFAカップウィナーズカップで1回のタイトルを勝ち取っている。
中でも1998-1999シーズンはクラブにとって特筆すべきシーズンである。ファーガソン監督の下、ユース時代から育て上げられたデビッド・ベッカム、ポール・スコールズ、ライアン・ギグスら、いわゆる「ファーギーズ・フレッジリングス(アレックス・ファーガソンの雛鳥)」と呼ばれた選手達を中心に、UEFAチャンピオンズリーグ決勝では、バイエルン・ミュンヘンを劇的な逆転で下し欧州覇者となった(カンプ・ノウの奇跡)。さらにこのシーズンはリーグ優勝とFAカップ優勝を合わせたトレブル(三冠)を達成。ヨーロッパのサッカーシーンに「赤い悪魔」の名を轟かせた。
欧州フットボール史において他にUEFAチャンピオンズリーグ(旧チャンピオンズカップを含む)、国内リーグ、国内カップを制し3冠を成し遂げたのは1966-67年のセルティック、1971-72年のアヤックス、1987-88年のPSVアイントホーフェンのみである。
1995年には、イプスウィッチ戦でリーグレコードの9-0の大差で勝利。2005年10月29日、対ミドルスブラ戦でクリスティアーノ・ロナウドがマンチェスター・ユナイテッドとしてのプレミアシップ、1,000ゴール目を記録。これはプレミア最速記録でもある。
このようにプレミアシップ発足後も高い実力と人気を兼ね備え、アーセナルとともに2強と呼ばれた。しかし2002-2003シーズン以降のリーグ優勝はなく、アーセナル(2003-2004:無敗優勝)、チェルシー(2004-2005、2005-2006:2連覇)からの王座奪還を目標としていた。そして、2006-2007シーズンではリーグ2連覇をしていたチェルシーとの激闘を制し、2002-2003シーズン以来4年ぶりのリーグ優勝を果たした。
同じ市内にあるマンチェスター・シティとの「マンチェスター・ダービー」は、「マージーサイド・ダービー」(リヴァプール対エヴァートン)、「ノース・ロンドン・ダービー」(アーセナル対トッテナム)と並ぶ3大ダービーの一つに数えられ、世界で最も有名なダービーマッチの一つである。
また伝統的にライバル関係にあるとされるリバプールとの試合は、世界に数多く存在する「伝統の一戦」の一つに数えられており、毎回白熱した試合が繰り広げられている。特に、アンフィールドでのアウェー戦は野次合戦となる。
アメリカメジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースと業務提携を結んでいる。経済的優良クラブの典型とされてきたが、アメリカNFLタンパベイ・バッカニアーズのオーナーであるマルコム・グレーザーによって買収され、物議を醸している。マルコム・グレーザーによるクラブ支配に反対するサポーターの一部は、新クラブFCユナイテッド・オブ・マンチェスターを結成した。
2006年4月には超ワールドサッカーネットコミュニケーションズと提携し日本で携帯電話公式サイトを立ち上げた。
伝統的にマンチェスター・ユナイテッドの背番号7は特別なものとして扱われる。ジョージ・ベスト、スティーブ・コッペル、ブライアン・ロブソン、エリック・カントナ、デビッド・ベッカム、クリスティアーノ・ロナウドと受け継がれている。
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| 氏名 | 国籍 | 期間 |
|---|---|---|
| A.H. Albut | 1892 - 1900 | |
| ジェームス・ウエスト | 1900 - 1903 | |
| J. Ernest Mangnall | 1903 - 1912 | |
| ジョン・ベントレー | 1912 - 1914 | |
| ジョン・ロブソン | 1914 - 1921 | |
| ジョン・チャップマン | 1921 - 1926 | |
| ラル・ヒルディッチ | 1926 - 1927 | |
| ハーバート・バムレット | 1927 - 1931 | |
| ウォルター・クリックマー | 1931 - 1932 | |
| スコット・ダンカン | 1932 - 1937 | |
| ウォルター・クリックマー | 1937 - 1945 | |
| マット・バスビー | 1945 - 1969 | |
| ウィルフレッド・マクギネス | 1969 - 1970 | |
| マット・バスビー | 1970 - 1971 | |
| フランク・オファレル | 1971 - 1972 | |
| トミー・ドハーティー | 1972 - 1977 | |
| デーブ・セクストン | 1977 - 1981 | |
| ロン・アトキンソン | 1981 - 1986 | |
| サー・アレックス・ファーガソン | 1986 - |
| マンチェスター・ユナイテッドFC - 現所属メンバー |
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1ファン・デル・サール| 2ネヴィル| 3エヴラ| 4ハーグリーヴス| 5ファーディナンド| 6ブラウン| 7ロナウド| 8アンデルソン| 9サハ| 10ルーニー| 11ギグス| 12フォスター| 13朴智星| 15ヴィディッチ| 16キャリック| 17ナニ| 18スコールズ| 19ピケ| 21董方卓| 22オシェイ| 23エヴァンズ| 24フレッチャー| 25シンプソン| 27シルヴェストル| 29クシュチャク| 32テベス| 33イーグルス| 38ヒートン 監督:ファーガソン |
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アーセナル |
アヤックス |
インテル |
バイエル・レバークーゼン |
バイエルン・ミュンヘン |
パリ・サンジェルマン |
バルセロナ |
バレンシア |
PSVアイントホーフェン |
ボルシア・ドルトムント |
ポルト |
マルセイユ |
マンチェスター・ユナイテッド |
ACミラン |
ユヴェントス |
リヴァプール |
リヨン |
レアル・マドリード