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モーリス・ラヴェル

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(最終更新 2007年11月6日 (火) 15:51。)
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Maurice Ravel
Maurice Ravel

ジョゼフ=モーリス・ラヴェルJoseph-Maurice Ravel, 1875年3月7日 - 1937年12月28日)はバレエ音楽『ボレロ』の作曲や、『展覧会の絵』のオーケストレーションでよく知られたフランス作曲家

目次

生涯

1875年、ラヴェルはフランス南西部、スペインにほど近いバスク地方ビアリッツ近郊にある町シブールで生まれた。生家は、オランダの建築家により17世紀に建てられたもので、アムステルダムの運河に面している建物のように完全にオランダ様式を呈して、サンジャンドリュツの港に面して建っている。母マリーはバスク人であった。一方、父ジョゼフはスイス出身の発明家兼実業家であった。家族がパリへ移住した後、弟エドゥアールが生まれた。両親はラヴェルが音楽の道へ進むことを激励し、パリ音楽院へ送り出した。在学中、ラヴェルは多くの若く革新的な芸術家と行動を共にし、影響と薫陶を受ける。

音楽院の14年の間、ガブリエル・フォーレやエミール・ペサールらの下で学んだラヴェルは、有名なローマ大賞を勝ち取ろうと試みる。しかし作品のクオリティーを認められながらも年齢制限により最終選考から外されるなどした。その落選理由の不純さは波紋を呼び、フォーレをはじめ、ロマン・ロランらも抗議を表明。パリ音楽院院長のテオドール・デュボワThéodore Dubois)は辞職に追い込まれる事態となった。これは「ラヴェル事件」と呼ばれている。結局ラヴェルはローマ大賞に5回挑戦。1901年には最高3位まで上り詰め(カンタータ「ミルラ」)、受賞が確実と思われたこともあったものの、4度目では予選すら通過しなかったのである。

1907年、歌曲集「博物誌」の初演後、エドゥアール・ラロの息子ピエール・ラロはこの作品をドビュッシーの盗作として非難し、論争が起こった。しかし、「スペイン狂詩曲」が高い評価で受け入れられると、すぐに批判はおさまった。そしてラヴェルは、ロシア・バレエ団セルゲイ・ディアギレフの委嘱により「ダフニスとクロエ」を作曲。

第一次世界大戦中、ラヴェルは年齢とその虚弱体質から、小規模軽量を考慮した上でパイロットとして徴募したが、その希望は叶わなかった。代わりにトラック運転手として兵籍登録されることとなる。当初の手記では、彼が戦時中に運転したトラックは「砲トラック」か総括的なトラックとの言及がほとんどで、救急車を運転するとの言及はないという。大戦で友人たちを失ったラヴェルはその死を悼み、「クープランの墓」を作曲した。その後、フランス政府が彼にレジオンドヌール勲章を授与したが、ラヴェルはこれを拒否した。

1928年、ラヴェルは初めてアメリカでピアノによる演奏旅行を行った。パリにおけるどの初演でもみられたしらけ方とは違い、ニューヨークでは彼はスタンディングオベーションを受けた。同年、オックスフォード大学はラヴェルに名誉博士号を与えた。

1932年、パリでタクシーに乗っている時、交通事故に遭い、記憶障害や失語障害などが徐々に進行していく。かつての手紙の流麗な筆記体活字体になり、1通仕上げるのに辞書を使って1週間も費やした。また渡されたナイフの刃を握ろうとして周囲を慌てさせたが、自身の曲の練習に立ち会った際には演奏者のミスを明確に指摘している(どんな病気にかかっていたかは諸説ある[1])。病床にあって彼はいくつかの曲の着想を得、それを書き留めようとしたがついに一文字も書き進める事が出来なくなったと伝えられる。さらに体調が悪化、1937年、彼が望みを賭けていた脳の手術が失敗し、まもなく世を去った。享年62。遺体はレバロワ・ペレ(Levallois-Perret)(パリ西北郊)に埋葬された。

晩年を過ごしたイヴリーヌ県モンフォール・ラモリ(Montfort-l'Amauryにあるラヴェルの最後の家は、現在ラヴェル博物館Musée Maurice Ravel)となっている。浮世絵を含む絵画や玩具のコレクション、作曲に用いられたピアノなどが展示されている。

作風

「オーケストレーションの天才」「管弦楽の魔術師」と言われる卓越した管弦楽法、「スイスの時計職人」(ストラヴィンスキー談)との評もある精緻な書法が特徴的である。母方の血筋であるスペインへの関心は様々な楽曲に見出だされ、「ヴァイオリン・ソナタ」「ピアノ協奏曲ト長調」などにはジャズの語法の影響も見られる。

ラヴェルはドビュッシーと共に印象派(印象主義)の作曲家に分類されることが多い。しかし、ラヴェルの作品はより強く古典的な曲形式に立脚しており、ドビュッシーとは一線を画していた。ただし自身への影響を否定はしながらも、ドビュッシーを尊敬・評価し、1902年には実際に対面も果たしている。また、ドビュッシーもラヴェルの弦楽四重奏曲へ長調を高く評価するコメントを発表している。

ラヴェル自身はモーツァルト及びフランソワ・クープランからはるかに強く影響を受けていると主張した。しかしながら、ラヴェルとドビュッシーの作風に共通する点があるのも事実であろう。また彼はエマニュエル・シャブリエエリック・サティの影響を自ら挙げており、「エドヴァルド・グリーグの影響を受けてない音符を書いたことがありません」とも述べている。更に先述のようにスペイン音楽、ジャズに加え、アジアの音楽及びフォークソング(俗謡)を含む世界各地の音楽に強い影響を受けていた。

ラヴェルはおそらく宗教を信じず、無神論者であったと思われる。彼は、リヒャルト・ワーグナーの楽曲に代表されるような宗教的テーマを表現することを好まず、その代わりにインスピレーション重視の古典的神話に題を取ることをより好んだ。

ピアノ協奏曲ト長調について、ラヴェルは、モーツァルトおよびサン=サーンスの協奏曲がそのモデルとして役立ったと語った。彼は1906年頃に協奏曲『Zazpiak Bat』(「バスク風のピアノ協奏曲」。直訳だと「7集まって1となる」というバスク人のスローガン)を書くつもりであったが、それは完成されなかった。ノートからの残存や断片で、これがバスクの音楽から強い影響を受けていることを確認できる。ラヴェルはこの作品を放棄したが、かわりにピアノ協奏曲など他の作品のいくつかの部分で、そのテーマとリズムを使用している。

ラヴェルは、「アンドレ・ジェダルジュAndré Gedalge)は私の作曲技術の開発において非常に重要な人でした」とコメントしている(ジェダルジュは対位法教程を残した最初期の作曲家でもある)。

後世への影響

「作曲家は創作に際して個人と国民意識、つまり民族性の両方を意識する必要がある」と言うのがラヴェルの考え方であった。1928年、アメリカとカナダの25都市の大きなコンサート・ホールでピアノ公演を行なうため渡米した際も、アメリカの作曲家達に「ヨーロッパの模倣ではなく、民族主義スタイルの音楽としてのジャズとブルースを意識した作品を作るべきだ」と述べ、アメリカの作曲者が目指すべきスタイルを示唆している。この考え方は作曲家ジョージ・ガーシュウィンがラヴェルに会った時に「できることならフランスの作曲家に学びたかった」と言うと、ラヴェルは「あなたはもう一流のガーシュウィンじゃないですか。二流のラヴェルになるおつもりですか」と言ったという逸話にも表れている。

ラヴェルに作曲を教えてもらった数少ない人物にレイフ・ヴォーン・ウィリアムズがいた。ラヴェルは当初、彼の作品をいくつか見て、モーツァルトの様式で小さなメヌエットを作るよう指示したといわれている。

ヴォーン・ウィリアムズ自身はラヴェルから学んだことを次のように述べている。「重苦しくて対位法的な、いわゆるゲルマン様式は必ずしも必要ではないというようなことを言われた。【複雑多様ではあるけれども繁雑難解ではない】というのが彼のモットーであった。また彼は私に楽譜どおりではなく、音色のニュアンス、表現のあやをどういうふうにオーケストレートするかということを示してくれた。(中略)彼は展開のための展開に反対した。ひとつの要素は、なにか他のよりよきものに到達するためにのみ発展すべきであると言う考えだった。(中略)ラヴェルは私のことを「自分の模倣をしない」唯一の生徒であったと言った」

彼の曲を得意とするピアニストはマルグリット・ロンや彼女の弟子のサンソン・フランソワなどがいるが、特にラヴェル本人から楽曲について細かいアドヴァイスを受ける機会があったヴラド・ペルルミュテールは、ラヴェルの意図を忠実に再現した「ラヴェル弾き」と言われる。

代表的な作品

※括弧内の西暦は作曲年

ピアノ作品

  • グロテスクなセレナード(Serenade grotesque, 1893年頃)
    自筆譜では単に「セレナード」という題である。
  • 耳で聞く風景(Les sites auriculaires)
    • ハバネラ(Habanera)
      ドビュッシーが「グラナダの夕べ」に盗作したのでは、と物議を醸した作品。後にオーケストレーションして「スペイン狂詩曲」の第3曲に使われている。
  • 鐘の鳴るなかで(Entre cloches)

協奏曲

管弦楽作品

オペラ

  • スペインの時(L'heure espagnole)
    1幕のオペラ。時計屋の女房に言い寄る男たちをコミカルに扱った歌劇。
  • 子供と魔法(L'enfant et les sortilèges)
    '子供と呪文' という場合もある。2幕のオペラ。

バレエ音楽

ジャック・ルーシェの依頼によるバレエのための編曲。組曲版とは順番が違い、前奏曲と間奏曲が付加され、全体が続けて演奏される。1912年に初演。
  • 前奏曲(Prélude)
  • 第1場: 紡ぎ車の踊りと情景(Danse du rouet et scène)
  • 第2場: 眠りの森の美女のパヴァーヌ(Pavane de la belle au bois dormant)
  • 第3場: 美女と野獣の対話(Les entretiens de la belle et de la bête)
  • 第4場: 一寸法師(Petit poucet)
  • 第5場: パゴダの女王レドロネット(Laideronnette,impératrice des Pagodes)
  • アポテオーズ: 妖精の国(Le jardin Féerique)

室内楽曲

声楽曲

  • 聖女(Sainte)
  • クレマン・マロのエピグラム(2 Epigrammes de Clément Marot)
    クレマン・マロの2つの風物詩とも。
    • 私に雪を投げるアンヌへの(D'Anne qui me jecta de la neige)
    • スピネットを弾くアンヌへの(D'Anne jouant de l'epinette)
  • シェエラザード(Shéhérazade)
    • アジア(Asie)
    • 魔法の笛(La flûte enchantée)
    • つれない人(L'indifférent)
  • おもちゃのクリスマス(Le Noël des jouets)
  • 5つのギリシア民謡
  • 博物誌(Histories naturelles)
    • くじゃく(Le paon)
    • こおろぎ(Le grillon)
    • 白鳥(Le cygne)
    • かわせみ(Le martin-pêcheur)
    • ほろほろ鳥(La pintade)
  • ハバネラ形式のヴォカリーズ
  • 草の上で(Sur l'herbe)
  • トリパトス
  • 民謡集(4曲)
  • スコットランドの歌
  • ステファヌ・マラルメの3つの詩(3 Poèmes de Stéphane Mallarmé)
    • ため息(Soupir)
    • むなしい願い(Placet futile)
    • 壷のなかから一飛びに躍り出た(Surge de la croupe et du bond)
ドビュッシーが同時期に、第1曲、第2曲と同じ詩に作曲している。
  • 無伴奏混声合唱のための3つの歌
    • ニコレット
    • 3羽の美しい極楽鳥
    • ロンド
  • 2つのヘブライの歌(2 Mélodies hébraïques)
    • カディッシュ(Kaddish)
    • 永遠の謎(L'énigme éternelle)
  • マダガスカル島民の歌(Chansons madécases)
    • ナアンドーヴ(Nahandove)
    • おーい(呼び声)(Aoua!)
    • 休息-それは甘く(Repos-Il est doux)
  • ドゥルシネア姫に思いを寄せるドン・キホーテ(DonQuichotte à Dulcinée)
    • ロマンティックな歌(Chanson romanesque)
    • 勇士の歌(Chanson épique)
    • 乾杯の歌(Chanson à boire)
    もともと映画「ドン・キホーテ」の劇中歌として作られたが、映画では使用されなかった(イベールの曲が採用された)。
  • アリッサ(Alyssa)1903
  • アルシオーヌ(Alcyone)1902

合作

編曲

私家作品(未完、断片など)

  • フーガ(紛失)
  • マズルカ(1ページの断片)
  • 交響曲のスケッチ
  • モーヌ大将(構想のみで現存はしないが、作曲はしたという説あり)
  • スケート滑り(断片)
  • 組曲(第1ピアノ部分欠落)
  • 「室内」のための前奏曲(オペラ「室内」の未完原稿)
  • グリーグの主題による変奏曲
  • カリロエ(現存せず)

その他

モンフォール・ラモリーにあるモーリス・ラヴェル博物館
モンフォール・ラモリーにあるモーリス・ラヴェル博物館
モーリス・ラヴェル博物館
パリ郊外モンフォール・ラモリー fr:Montfort-l'Amaury (パリ・モンパルナス駅より約50分、駅前より徒歩45分または車)にある最晩年の家をそのまま保存し、博物館として展示している。
墓碑
パリ近郊ルヴァロワ(パリ・サン・ラザール駅より約15分)の墓地にある。

メディア

注釈

  1. ^ ピック病、ウェルニッケ失語症アルツハイマー型痴呆症の説があった。行動に支障をきたしながらも、正確な知覚を示す数々の記録から、全般的痴呆を伴わない緩徐進行性失語症 slowly progressive aphasia without global dementia が有力な候補として挙がっている。参考文献:岩田誠『脳と音楽』メディカルレビュー社 2001年 ISBN 4896003764

外部リンク

参考文献

  • 「民族音楽論」第4章 音楽的自叙伝 塚谷晃弘訳
  • 大作曲家の生涯 下 ショーンバーグ 亀井旭・玉木裕訳
  • ニコルス, R. 1987. 「ラヴェル」. 東京・泰流社
  • シュトゥッケンシュミット, H.H.・岩淵達治訳. 1983. 「モリス・ラヴェル: その生涯と作品」. 東京: 音楽之友社
  • Orenstein, A. 2003 (1990). A Ravel reader: correspondence, articles, interviews. New York: Dover Publications.
  • Orenstein, A. 1991 (1975). Ravel: man and musician. New York: Dover Publications.

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