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リー・アイアコッカ

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(最終更新 2007年11月21日 (水) 08:30。)

リー・アイアコッカLee Iacocca, 本名:Lido Anthony Iacocca, 1924年10月15日 - )はアメリカ自動車製造会社クライスラー社の元会長で、フォード社の元社長でもある。


目次

プロフィール

生い立ち

1924年10月15日に、裕福なイタリア移民の息子としてアメリカ東海岸のペンシルバニア州アレンタウンに生まれ、大学入学まで同市で育つ。1930年代の大恐慌の影響を受け家計が苦しくなったもののその後持ち直し、アメリカ東部の名門大学の一つであるリーハイ大学機械工学管理工学を学んだ後(疾患があったため第二次世界大戦には徴兵されなかった)、同じく東部の名門であるプリンストン大学大学院修士号を取得。1946年8月に、ビッグスリーの一角を占め、世界第2位の規模を持つ自動車会社であるフォード社に入社した。

マスタング

フォード・マスタング
フォード・マスタング

フォード社に入社した後は主に販売に関わり、アメリカ東海岸地区の地区販売支配人や商用車販売部門長などを歴任した後、1960年11月にフォード部門の総支配人兼副社長に就任。当時のフォード社の社長で、後にジョン・F・ケネディ政権の国防長官となるロバート・マクナマラの下で辣腕を振るうこととなる。

その後、第二次世界大戦以降に出生した、所謂「ベビーブーマー」世代向けの中型車として開発された2ドアスポーツカー、マスタングの開発責任者となる。同車は1964年4月に発売され、その軽快なデザインと緻密なマーケティングによりアメリカ自動車史に残る大ベストセラーとなり、アイアコッカの名はマスタングの名とともに全世界に知れ渡ることになる。

フォード社社長へ

1965年1月にはフォードとマーキュリーリンカーン部門の副社長に就任。当時低迷していた高級車部門のマーキュリー部門やリンカーン部門の建て直しを成功させた他、マーキュリー部門の高級スポーツカー・クーガーやリンカーン部門の高級クーペ・マークⅢをヒットさせるなどの実績を残し、1970年1月にフォード社の社長に就任した。

しかし、その後同社の会長で創始者ヘンリー・フォードの孫であるヘンリー・フォード2世と、小型車の市場導入やヨーロッパ市場における販売戦略などの経営方針をめぐり対立。その後対立は修復不可能な状態にまでなり、1978年10月に、同社が史上最高の売り上げを2年連続で達成したと発表された直後にもかかわらず同社を解雇された。

クライスラー社会長へ

Kカーのプリムス・リライアント
Kカーのプリムス・リライアント

フォード社を解雇された直後の1978年11月に、フォード社のライバルであり、日本車との販売競争や第2次オイルショック、ずさんな財務などのあおりを受けて、当時深刻な経営危機に陥っていたクライスラー社のジョン・J・リカルド会長に請われて同社の社長に就任する(その後1979年9月に会長に就任)。

就任後は同社の社内改革を進める一方、自らの年俸を1ドルとし労働組合との共闘の道を開いた。また、1979年12月には、同月に成立した債務保証法により連邦政府から15億ドルの資金調達に成功。同時に前輪駆動(FF)の小型車「Kカー」の開発を進め、その後1981年に発売されたKカーは大ヒットする。

ミニバンの成功

ミニバンのクライスラー・タウン・アンド・カントリー
ミニバンのクライスラー・タウン・アンド・カントリー

さらに1983年にはアメリカの自動車会社として初めて発売したミニバン(コード名「T115」)が大ヒットし、同社は黒字化し完全に立ち直った。破産寸前のクライスラー社を立て直し、数十万人のアメリカ人の雇用を守った功績から、アイアコッカは「アメリカ産業界の英雄」とまで呼ばれた。

また、1985年には日本三菱自動車との提携をまとめ、イリノイ州に合弁会社ダイヤモンドスター・モーターズ(DSM)を設立し共同生産を開始する。1987年には、フランスルノー傘下でジープブランドを所有するアメリカン・モーターズ社(AMC)を買収し、ジープブランドをクライスラー社の高収益部門に育て上げた。さらには1982年5月に当時のロナルド・レーガン大統領に請われ、ニューヨーク自由の女神の修復基金の代表を務めたことから、大統領選挙への出馬さえ噂されるようになる。

引退

TC バイ・マセラティ
TC バイ・マセラティ

しかし、先方の社長アレッサンドロ・デ・トマソとの個人的な関係だけを基に話を進め、経営的には何の意味も成さなかったイタリアの高級車メーカー・マセラティ社との提携による「TC バイ・マセラティ」の生産や、1987年に行われたイタリアの高級スポーツカーメーカー・ランボルギーニ社の買収。ビジネスジェット機製造会社・ガルフストリームの買収などが代表するように、独裁的な地位を背景に独断で経営を進めて行くなど、長期政権の弊害が出てきたことにより社内外からの批判を浴び、1992年にはクライスラー社を退職した。退社後の1994年には自動車殿堂入りしている。

現在

現在は、亡くなった前妻の死因である糖尿病克服のための財団の代表を務める傍ら、電気自転車を製作する会社を経営する。また、2002年より善い行いをする事により成功するというNu Skin Enterprisesの理念に賛同し、その善い行いの一つである世界中の飢餓に苦しむ子供たちを無くし、救うという活動ナリッシュ ザ チルドレンの諮問委員会の会長を務めている。

自伝、その他

1984年に出版された自叙伝「Iacocca:An_Autobiography」(日本語題:「アイアコッカ―わが闘魂の経営」ダイヤモンド社刊)は世界中で700万部を売り上げる大ベストセラーになり、自動車業界以外にもその名前と経営手腕が知れ渡ることになった。その他にもいくつかのビジネス指南書を上梓し、いずれもヒット作となっている。

珍しい「アイアコッカ」の正しい綴りを覚えるため、クライスラー社の社員たちは記憶術を使い、次のように覚えた:「I Am Chairman Of Chrysler Corporation Always. (私はいつでもクライスラー社の会長である)」。

関連項目

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