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ユリウス・クラウディウス朝の断絶
ディオクレティアヌス帝による4分割統治
西ローマ帝国滅亡
神聖ローマ皇帝・ドイツ王の一覧を参照。
同じ王朝に含まれていても血統が繋がっていない場合があるので、注意が必要である。
日本人の研究者の間では、公用語がラテン語であったフォカスまでをラテン語で、公用語をギリシア語に改めたヘラクレイオス以降はギリシア語で表記するのが一般的であり、ここでもそれに従っている。ただし、日本では一部の名前が慣用として古代・中世のギリシア語の発音からかけ離れた音にのっとっている場合があり、すべてがギリシア語に忠実なわけではない。
レオ朝の血統断絶
ヘラクレイオス王朝の血統断絶
イサウリア朝の血統断絶
マケドニア王朝の血統断絶
1204年のコンスタンティノス・ラスカリスは、第4回十字軍によるコンスタンティノポリス攻撃の最中に皇帝に選出されたものの、コンスタンティノポリスが陥落してしまったために在位たった一晩で逃亡した。 このためコンスタンティノス・ラスカリスを皇帝として扱わない場合もある。また、コンスタンティノス・ ラスカリスを「コンスタンティノス11世」とし、帝国最後の皇帝を「コンスタンティノス12世」とする 場合もあるので注意が必要である。
東ローマ帝国滅亡
オスマン帝国では、ルーム・カイセリとして、ローマ皇帝を自称したスルタンもいた。ただし、これらは世襲でもなく戴冠する事もなかったので、正式なローマ皇帝とは言えないとする歴史家も多い。皇帝教皇主義の延長とするネオ・ビザンティン説もある。オスマン帝国の君主も参照。