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ロールス・ロイス

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(最終更新 2007年11月13日 (火) 02:06。)
Lady Emily(2006年)
Lady Emily(2006年)

ロールス・ロイス (Rolls-Royce) は、イギリス高級乗用車および航空用エンジンメーカーの社名およびブランド名である。名称は、創業当時の出資者チャールズ・スチュアート・ロールズと技術者のフレデリック・ヘンリー・ロイスにちなむ。

  • : 正確な英語の発音では「ロール・ロイス」だが、本記事中では日本において一般的に用いられる「ロールス・ロイス」と記す。

目次

概要

自動車の分野では「世界最高の自動車」The best car in the world を自ら名乗り、高級車の代名詞として、世界的に半ば伝説視されるブランドとなっている。1931年には、同じイギリスのスポーツカーメーカーであるベントレーを傘下に置いた。

1973年に自動車部門と航空機部門は別会社となった。さらに1998年、自動車部門はフォルクスワーゲンBMWの買収を受け、旧工場と「ベントレー」ブランドがフォルクスワーゲン系に、「ロールスロイス」ブランドはBMW系にそれぞれ分裂した。

歴史

創業者たち

ロールス

チャールズ・スチュアート・ロールズ( Charles Stewart Rolls 1877年1910年)は、上流階級の家に生まれたスポーツマンで、ケンブリッジ大学在学中から黎明期のモータースポーツに携わった自動車の先覚者であった。

学生時代には自動車速度制限法として悪名高かった「赤旗法」廃止に力を尽くし、イギリスの王立自動車クラブ(RAC)の前身となる自動車クラブの設立にも寄与した。卒業後の1902年には、親友でRAC幹部でもあったクロード・ジョンソン( Claude Goodman Johnson, 1864年 - 1926年)を右腕に、欧州車の輸入代理店C.S.ロールズ社 (C.S.Rolls&Co.) を設立して、自動車の輸入ビジネスを営んでいた(フランス製のパナールとモール、後にはベルギー製のミネルヴァを扱った)。

1900年前後のイギリス車は、欧州大陸諸国(フランスやドイツ)に比して技術的に遅れていた。見るべきものとしてはフレデリック・ランチェスターが開発した先進的な小型車「ランチェスター」が存在したが、これは複雑な設計の自動車で、広く普及するだけの普遍性を欠いていた。

当時のイギリスの自動車市場をリードしたのはフランス車であった。ロールズも大型のフランス車に乗ってレースに出場しており、彼が1903年にダブリンで149km/h(93マイル/h)の世界速度記録を達成した車は、自ら輸入したモールであった。

ロールズとジョンソンは、イギリス人として、欧州大陸の水準に比肩しうるイギリス車が存在しないことを常々残念に思っていた。

ロイス

フレデリック・ヘンリー・ロイス( Frederick Henry Royce 1863年~1933年)はリンカーンシャーの貧しい製粉業者の家に生まれ、9歳で働き始めてから苦学を重ねて一級の電気技術者となった立志伝中の人物である。1884年、20歳で自らの名を冠した電気器具メーカー、F.H.ロイス社 (F.H.Royce.Co) を、マンチェスターに設立した。

努力家で完全主義者の彼は、火花の散らない安全な発電機モーターを開発して成功を収め、更に従来は人力に頼っていた小型定置クレーンを扱いやすい電動式に改良して成果を挙げた。

1902年、長年の過労で体調を崩して療養を勧められたロイスは、療養中にフランス製のガソリン自動車「ドコーヴィル」 Decauville を購入した。ところがこのドコーヴィルは扱いにくい上、度々故障を起こし、幾度修理を重ねてもまともに実用にならなかった。ロイスは強い不満を感じた。

その頃、人件費の安いアメリカやドイツのメーカーが、ロイス社の市場に競合相手として出現してきた。ロイスと共同経営者のアーネスト・クレアモント(Ernest Claremont 1863年-1921年)は新しい分野の市場を開拓する必要に迫られていた。そこで自動車の将来性に着目したロイスは、自ら自動車を製作することを決意した。

1903年から自社の優秀な電気工数人を助手として、マンチェスター・クックストリートの自社工場で開発に着手。昼夜を次いでの開発作業の結果、極めて短期間のうちに試作車を完成させた。

1904年に完成したロイス10HP車は、Fヘッド(フラットヘッド)の直列2気筒2,000ccエンジンを前方に搭載し、3段変速機とプロペラシャフトを介して後輪を駆動する常識的な設計だった。奇をてらわない堅実な自動車で運転しやすく、極めてスムーズで安定した走行性能を示し、実用面でも十分な信頼性を持っていた。

メカニズムについてはあくまで単純で信頼性の高い手法を取ったが、トレンブラー高圧コイルとバッテリーを組み合わせた点火システム、そしてガバナー付の精巧なキャブレターは、当時としては最高に進んだ設計で、エンジン回転の適切なコントロールができた。

4月1日に行われたテストドライブでは、時速16.5マイル(26.5km/h)のスピードで145マイル(233km)を走破した。

この優秀な小型車に、ロイス社のすぐ近くで工場を経営していたヘンリー・エドマンズ(Henry Edmunds)が着目した。彼はC.S.ロールズ社の関係者で、ロールズが優秀なイギリス車を求めていることを知っており、早速コンタクトが取られた。

ロールス・ロイス成立

1904年5月、マンチェスターでロイス10HPに試乗したスチュアート・ロールズとクロード・ジョンソンは、性能の優秀さにいたく感銘を受けた。ロールズは「ロイス車の販売を一手に引き受けたい」と申し出、ロイスもこれを了承した。以後ロールズとロイス、そしてジョンソン(彼はその働きから Rolls-Royce の"-"(ハイフン)と評された)のチームは、相携えて高性能車の開発、発展に著しく寄与することになる。

しばらくは両者は別会社の形で「ロールス・ロイス」 (Rolls-Royce) ブランドの自動車の製造・販売を行った。C.S.ロールズ社とロイス社自動車部門の合同で「ロールス・ロイス社」 (Rolls-Royce Ltd) が設立され、名実共に「ロールス・ロイス」となるのは1906年である。ロイス社でも経営をコントロールしていたアーネスト・クレアモントが(ジョンソン以上に裏方に徹する形で)ロールス・ロイスでも経営実務にあたり、1907年から1921年に没するまで社長を務めている。

当初、マンチェスターのクック・ストリートにあったロイスの工場で生産が行われたが、1908年にはダービーに本拠を移している。

ごく初期の1905年式ロールス・ロイス
ごく初期の1905年式ロールス・ロイス

ロイスは1904年末から2気筒車とその気筒数を増やして延長した3気筒車、4気筒車、6気筒車を製作、当時のイギリス車の中で性能的に群を抜いた存在として注目され、自動車先進国であるフランスでもパリでの展示会で高く評価されるなど成功を収めた。

既に「パルテノン神殿をモチーフとした」とされる独特のラジエーター・デザインはこの頃に定着していた。最初の2気筒10HPは6台が現存している。

4気筒モデルは1905年、ロールズらの運転でマン島TTレースに出場、健闘を見せたがギアボックスのトラブルで2位となった。ロールズは翌年のT.T.レースでは雪辱を果たし、平均時速39マイル(63km/h)の快速で優勝している。

発展

シルヴァーゴースト

1906年、ロイスは従来の「30HP」6気筒車に代わるモデルとして、新型の6気筒車を開発した。「40/50HP」型として発表されたこのモデルは、翌1907年に「シルヴァーゴースト」の愛称を与えられ、ロールス・ロイスの世界的な名声を確立した名車として知られている。

保守的設計ながらトータルバランスへの入念な配慮を伴って、良質な材料と高い工作精度で製作されたこの7000cc級の新型車は、当時の自動車の中でも抜群に静粛かつスムーズな走行性能と卓越した耐久性を備えていた。翌1907年夏にはロールズ、クロード・ジョンソンらの運転により、40/50HP型のテスト用モデル「シルヴァーゴースト」が約15,000マイルの過酷な連続耐久テストをノートラブルで走破、このテスト車の愛称がそのまま40/50HPモデル全体の通称として用いられることになったのである。

当初「世界最高の6気筒車」のフレーズで売り出されたシルヴァーゴーストは極めて高価であったが、商業的にも成功を収めた。のちには「6気筒」を除いて「世界最高の自動車」The best car in the world と銘打つようになり、最高級車の代名詞として世界各国の王侯貴族や富豪に愛用された(日本向けとしては1922年に大正天皇の御料車にもなっている)。

以後しばらくの間、ロールス・ロイスは生産モデルをシルヴァーゴースト1種のみに絞り、1912年に排気量拡大などのマイナーチェンジを加えたものの、1925年まで19年間の長期に渡って6,173台のシルヴァーゴーストを生産した。

第二次世界大戦までの発展

C・S・ロールズは1898年に初めて気球に乗って以来、熱心な飛行家でもあった。そして後にはライト兄弟とも親交を結び、貴族の飛行家ロード・ブラバゾン・タラに次ぐ、イギリスで二人目の公認パイロットとなって、飛行機の操縦に熱中した。

しかしロールズは、1910年7月12日、ボーンマス国際飛行大会で乗機の墜落によって事故死した。

翌1911年、ヘンリー・ロイスは大腸ガンを患ったが、手術を受けて辛うじての小康を得た。以後ロイスは、イングランド南部やフランス等での転地療養を続けながらも、ジョンソン、クレアモントらの助けを借り、巧みに経営と技術の舵取りを行った。特に、第一次世界大戦に伴う航空機エンジン分野への進出は重要な経営判断であった。

シルヴァーゴーストの後継モデルとして、1925年にはOHVエンジンを搭載し、機械式サーボ装置による強力な4輪ブレーキを装備した「ファントムI」が開発された(サーボブレーキはイスパノ・スイザに倣ったもので、シルヴァーゴースト末期形から採用されていた)。

これに先立つ1921年には、シルヴァーゴーストの大きな市場であり、当時輸入車に高額の関税を課していたアメリカ市場への対策としてアメリカ工場(マサチューセッツ州スプリングフィールド)が開設され、左ハンドル仕様のシルヴァー・ゴースト1,701台、ファントムI1,241台を生産したが、ビジネスとしては失敗に終わった。「たとえ高額の関税込みであろうとイギリス製のロールス・ロイスが欲しい」というアメリカの富裕層の心をつかみきれなかったのである。これらはボディメーカーがアメリカ系のため、イギリス本国生産モデルとは著しく異なるスタイリングをしており、ラジエーター以外はキャディラックパッカードなどのアメリカ車じみた外観だった。1929年の世界恐慌がとどめを刺す形になり、1931年にはアメリカでの現地生産の中止を余儀なくされる。

以後のロールス・ロイスの最上級モデルは引き続いて「ファントム」Phantom の名を与えられ、1932年には低床シャーシの「ファントムII」、1936年には当時最先端のウィッシュボーン式独立懸架とV形12気筒エンジンを備えた巨大な「ファントムIII」を送り出している。

一方、1922年にはシルヴァー・ゴーストより小型の20HP形車(通称ベビー・ロールス)でオーナー・ドライバー向けの高級車市場を開拓。これは1929年に強化形の20/25HPに発展、1936年には排気量拡大型の25/30HP形に移行し、1938年にはやはり前輪独立懸架装備のシルヴァー・レイスに進化している。

1949年式ロールス・ロイス「シルヴァー・レイス」
1949年式ロールス・ロイス「シルヴァー・レイス」

既にこの頃には「アイドリング中、ボンネットに硬貨を立てても倒れなかった」「リアシートから運転手に『エンジンを始動してくれ』と言ったら、答えは『エンジンは既に回っております』だった」等々の「ロールス・ロイス伝説」が世に流布していた。

第二次世界大戦以前のロールス・ロイスは、材質や工作精度において常に高い水準を維持し続けた。また走行性能の面でも、同時期の高級スポーツカーに引けを取らない水準を保っていた。特注でクーペボディを載せれば、十分にグラン・ツーリスモとして通用する車であった。

1931年には、ル・マン24時間耐久レースなどで数々の勝利を収めながらも経営不振に陥っていたベントレー社を、創業者ウォルター・O・ベントレーから譲受、自社ブランドとした。以後のベントレーは1990年代までロールス・ロイスのバッジエンジニアリングによるオーナー・ドライバー向けの姉妹車として存続する。

ヘンリー・ロイスは1933年に死去し、ロールス・ロイス社は「R/R」エンブレムの赤地部分を、ロイスの喪に服して黒地に変えた(と言われているが、生前にロイスが「黒の方が美しい」として変えさせたという説もある)。現在でもこれは踏襲されている。

戦前、高級車オーナーはボディのないベアシャーシを購入し、外部のボディメーカー(コーチビルダー)に発注して好みのボディを架装するのが、ロールス・ロイスに限らない伝統であった。しかし1930年代以降、レディメイドのボディが一般化し、ロールス・ロイスも有名コーチビルダーのパークウォード社やマリナー社で標準ボディを架装させることになった。

第二次世界大戦中は自動車生産を中止し、航空用エンジンをはじめとする軍需生産に特化した。ダービー工場は、軍需工場としてドイツ空軍による爆撃の被害を受けている。

第二次世界大戦後

ロールス・ロイス「シルヴァー・クラウド」(1959年)
ロールス・ロイス「シルヴァー・クラウド」(1959年)
ロールス・ロイス「シルヴァー・シャドウ」(1977年)
ロールス・ロイス「シルヴァー・シャドウ」(1977年)

第二次世界大戦後の1946年、工場はダービーからクルーに移転され、1947年からシルヴァー・レイスの生産を再開した。戦後も、ロールス・ロイスは古くから培ってきた名声によって広い販路を得た。

戦後のロールス・ロイスの外見は、イギリスの伝統に従ってごく保守的であったが、性能は常に時代毎の水準を満たしていた。戦後の最上級リムジンとしては、1950年に復活したファントムIVを皮切りに、1959年にファントムV、1968年にはファントムVIが登場している。

それよりもより量産向けのモデル(ロールス・ロイスの基準では)としては、シルヴァー・レイスに代わり、1949年にシルヴァー・ドーン、1955年にはシルヴァー・クラウドが開発された。1965年のシルヴァー・シャドゥでは、後輪独立懸架(セミ・トレーリングアーム式)が導入され、車体はモノコック構造となって著しく近代化されている。

また1955年には、ファントムIVがエリザベス2世女王の御料車に採用され、念願の頂点を極めている(それ以前の英国王室では、半世紀以上に渡ってディムラーが御料車だった)。

だがロッキードL-1011 トライスター用のRB211型ジェットエンジン開発の失敗により航空用エンジン部門が不振に陥ったことで、1971年、ロールス・ロイス社は倒産する。これにより同社は国有化された。1973年、比較的好調だった自動車部門が独立したロールス・ロイス社として存続、航空用エンジン部門は分社されてロールス・ロイスPLC社となった。

その後、1980年には自動車部門を大手機械メーカーのヴィッカーズ社が買収し、民営化されている。同年、新たな生産モデルとしてシルヴァー・スピリッツが登場した。

近年の動向

1960年代以降、メルセデス・ベンツをはじめとするドイツ車が、高級車の方向性に変化を生じさせた。極端に高価な価格帯に市場を限定するロールス・ロイスは、リムジンから大型クーペ、スポーツモデル、ワゴンまでカバーするメルセデス・ベンツのような存在と競合せざるを得なくなってきた。さらに、1990年代に入ると新たに日本車が高級車分野に進出した。こうして超高級車として特別な存在であったロールス・ロイスも、厳しい状況に置かれるようになった。1992年にはBMWと提携を結んでいる。

ロールス・ロイス「シルヴァー・セラフ」(1999年)
ロールス・ロイス「シルヴァー・セラフ」(1999年)

1998年3月、ニューモデルとしてシルヴァー・セラフが発表された。BMW製の巨大なV形12気筒エンジンを搭載した大型車である。だが同年、ロールス・ロイスの親会社であるヴィッカーズは、ロールス・ロイス社の売却を決定した。これは多くの混乱を引き起こすことになる。

この自動車史上最高のブランドを得るために、事業拡張を試みたフォルクスワーゲン(VW)とBMWの両社が競り合った。1998年4月、BMWに3億4,000万ポンドで売却成立といったん決まったが、翌5月にこれが覆され、VWが4億3,000万ポンドで買収することになった。この決定は6月5日に確定した。ところがここでまた一波乱が起こった。分社化された航空部門であるロールス・ロイスPLC社は、世界的な名声のある「ロールス・ロイス」ブランドの価値を維持する目的で、自動車部門の海外企業買収に関する拒否権を保有していた。折しも当時PLC社は、BMW社(航空用エンジンメーカーでもある)とジェットエンジン分野で提携を結び、ドイツに合弁会社「BMWロールスロイス」(現・ロールスロイス・ドイツ。ボーイング717のBR715エンジンを製造していた)を設立していた。

同社の意向も働き、ヴィッカーズは7月28日に、「ロールス・ロイス」ブランドと「R/R」のロゴマークについては使用権をBMW社に売却すると決定。代価は4,000万ポンドであった。

結果として会社そのものと工場、そして「ベントレー」ブランドはVW社の所有となったものの、「ロールス・ロイス」のブランドはBMWが所有することとなった。この奇怪な騒動は、イギリスの誇りとも言える「ロールス・ロイス」ブランドの売却にまつわる混乱という事情もあって、多くのイギリス人たちを憤慨させた。それは以下のような皮肉にも現れている。

「第二次大戦中、ロールスロイス製エンジンを搭載したイギリスの戦闘機がドイツ空軍を追い払った。そのロールスロイスがドイツ企業に買収されるとは!」
ロールス・ロイス・モーターカーズ「ファントム」(2006年)
ロールス・ロイス・モーターカーズ「ファントム」(2006年)

ロールス・ロイス社を引き継いだVWは、2002年までBMWからエンジン供給を受け「ロールス・ロイス」ブランドで従来モデルの製造・販売を行ったが、2003年からは社名を「ベントレー・モーターズ社」 (Bentley motors) に変更、「ベントレー」ブランドのみでの製造・販売に移行した。

一方BMWは「ロールス・ロイス・モーターカーズ社」 (Rolls-Royce Motor Cars) をサセックス州グッドウッドに設立し、2003年から新開発車「ファントム」の生産・販売を開始している。

2003年10月に発表された新型「ファントム」は、デザインモチーフを往年の「シルヴァー・クラウド」から採り、「スピリッツ・オブ・エクスタシー」 Spirit of ecstasy を頂にしたパルテノン神殿風のラジエーターグリルを、引き続き用いている。

現在のロールス・ロイス車にとって最大の市場はアメリカ合衆国であり、なかでもロサンゼルス地区での販売が突出している。次いでイギリス中華人民共和国の順である(2006年)。

車種一覧

現行車種

  • ロールス・ロイス・ファントム(4450万円)
  • ロールス・ロイス・ファントム・エクステンディットホイールベース(5170万円)
  • ロールス・ロイス・ファントム・ドロップヘッドクーペ(5218.5万円)

戦後車種

戦前車種

  • ロールス・ロイス・レイス(1938~1939年)
  • ロールス・ロイス・ファンタムIII(1936~1939年)
  • ロールス・ロイス・ファンタムII(1929~1935年)
  • ロールス・ロイス・ファンタムI
    • Derby(1925~1929年)
    • Springfield(1926~1931年)
  • ロールス・ロイス・Twenty(1922~1929年)
  • ロールス・ロイス・V8 Legalimit(1905~1906年)
  • ロールス・ロイス・30HP(1904~1906年)
  • ロールス・ロイス・20HP(1905~1906年)
  • ロールス・ロイス・シルヴァーゴースト40/50HP(1906~1925年)
  • ロールス・ロイス・25/30HP(1936~1938年)
  • ロールス・ロイス・20/25HP(1929~1936年)
  • ロールス・ロイス・15HP(1904~1905年)
  • ロールス・ロイス・10HP(1904~1906年)

日本での販売

輸入者の変遷は以下の通りである。

  1. - 2001年 : コーンズ・アンド・カンパニー・リミテッド
  2. 2002 - 2003年 : フォルクスワーゲンアウディ日本
  3. 2004年 - : ロールスロイスモーターカーズリミテッド

2006年12月、ロールスロイス社のイアン・ロバートソン会長兼CEOは、中華人民共和国が日本を追い越し、ロールスロイス社にとってアジア最大の市場となったことを発表した[1]

航空用エンジン部門

スチュアート・ロールズが飛行家であったことから航空には元々縁のあるメーカーであったが、本格的な取り組みが始まったのは1914年である。

この年8月に第一次世界大戦が勃発したが、開戦と同時にドイツ ダイムラー社の最新型グランプリ・レーシングカーがイギリス軍当局によって没収された。このレーシングカーはロンドンのショールームにちょうど展示されていたものであったが、当時最先端のSOHC動弁機構を搭載していた。SOHCのシステムを航空用エンジンに技術移転できると見込んだイギリス軍は、ロールス・ロイス社に開発を持ちかけたのである。

ヘンリー・ロイスはダイムラーエンジンを参考に、SOHC機構を搭載した飛行船用70HPエンジン「ホーク」を開発する。当時の航空用としては珍しい直列形水冷エンジンであったが信頼性は高かった。以後ロールス・ロイスの航空用レシプロエンジンは、直列形・V形の液冷式を採用して実績を上げた。第一次世界大戦後、ロールス・ロイス社において航空用エンジンは自動車と並ぶ重要部門となった。

ロイスはスーパーマリン社の水上機に搭載する大出力エンジンを開発し、同機がシュナイダー・トロフィーを獲得することに貢献した功績で、1930年にナイトに列せられている。

マーリンとグリフォン

ロイスが最晩年に手がけた液冷V形12気筒エンジンは「マーリン」の愛称で改良を重ねつつ、第二次世界大戦中を通じて大量に生産された。

マーリンは戦闘機スピットファイアハリケーン爆撃機ランカスター偵察戦闘爆撃機モスキートなど、数多くのイギリス製軍用機に搭載され、イギリス本土防衛戦(バトル・オブ・ブリテン)や対独攻撃において大きな成果を挙げた。

また、第二次大戦での最優秀戦闘機ともされるアメリカP-51 マスタングは、マーリン(米国のパッカード社によりライセンス生産された)を搭載したことが成功の一因と言われている。零戦の設計者である堀越二郎もマーリンエンジンを絶賛しており、このエンジンを搭載する戦闘機を設計できなかった事を無念がっていたと言われる。

最後のシュナイダー・トロフィー・レースに勝利した水上機、スーパーマリン S.6B用のエンジンを基に開発された「グリフォン」エンジンは、マーリンより更に強力なエンジンで、後期型スピットファイアに搭載された。

ジェットエンジン

NAMC YS-11
NAMC YS-11

ロールス・ロイス社は戦後もいち早くジェットエンジン開発に取り組み、アメリカのゼネラル・エレクトリック(GE) やプラット・アンド・ホイットニー(P&W)と並ぶ世界的なジェットエンジンメーカーとなった。

しかし、革新技術を盛り込んだロッキード・トライスター向けの「RB211」エンジンの開発費用が増大(最終試験運転の段階でターボファンに使用されたグラスファイバーが剥がれ落ちるトラブルが発生したため、約2年の歳月を費やして一から再設計された)、これによる不採算化が、1971年の倒産を招くこととなる。

以後、航空用エンジン部門は「ロールス・ロイス」の名を保ったまま、ロールス・ロイスPLC社となった。現在はRB211の発展形である「トレント」エンジンが主力となっている。

キャセイパシフィック航空シンガポール航空カンタス航空ニュージーランド航空等、かつての大英帝国領であった影響があってか、伝統的にロールス・ロイス製のエンジンを採用している。最近では全日空中国国際航空ボーイング787において、またロールス・ロイスがドイツ企業であるBMWの系列(航空機用エンジンでも合弁を組んでいる)となっていることから、ルフトハンザドイツ航空エアバスA380においてトレント1000を採用する等、ロールス・ロイス製エンジンを積極的に採用するエアラインが増えている。なお全日空は、ボーイング787でトレント1000を確定オーダー50機全てに搭載する予定であるが、現状ではこれが最多導入例となる見込み。

また現在のところ太平洋戦争後で唯一の日本製旅客機であるYS-11も、エンジンはロールス・ロイスの「ダート」エンジンを使用している。ダートは1960年代のターボプロップ旅客機の定番エンジンで、アブロ748で採用されたほか、DC-3のアップグレード機のエンジンとして搭載された機があり、全日本空輸がYS-11以前に導入したバイカウントフォッカーF27フレンドシップにも搭載された。

その他

ロールス・ロイスの秘密

ロールス・ロイス車のエンジン出力は、シルヴァー・ゴースト初期形で48HP、後期形で65HP(いずれもグロス値)とされるが、この当時以来、公式には常に秘密のままであった。単に「必要十分な性能」とだけ表現され、実際いつの時代のモデルも同時代の水準に比し、その言葉通りに必要十分以上の性能を出していたのである。無益なカタログ馬力競争に背を向けた一つのポリシーとも言えよう。

しかし何事にも厳格なドイツの法では近年「正確な出力表示」が求められるようになった。ロールス・ロイスもドイツ資本が入ったことからこれに抗しきれず、1990年代末期以降のモデル(シルヴァーセラフ以降)では出力を表示するようになっている。

スピリッツ・オブ・エクスタシー

ロールス・ロイスのラジエーター頂点に立つ羽根を広げた精霊像は、「スピリッツ・オブ・エクスタシー」 Spirit of ecstasy の名で知られる。1911年、ロールス・ロイスの広告イラストを手がけた画家チャールズ・サイクスによってデザインされたのが原型である。ロールスやジョンソンと親しかったRAC幹部ロード・モンタギューの女性秘書エレノア・ソーントンがモデルという説もあるが定かでない。

ヘンリー・ロイスの言葉

ヘンリー・ロイスは、完全主義者の努力家としてのポリシーをいくつかの言葉に残し、それらは現代にまで伝わる箴言となっている。

  • 「価は忘れ去られても、品質は残る (The quality will remain when the price is forgotten.) 」
  • 「我々が悪い車を作ろうとしても作れない。もし作っても工場の門番が門外に出さないだろう」
  • "Qvidvis recte factvm qvamvis hvmile praeclarvm"(いかにささやかなりとも最善を尽くした仕事は全て尊い、という趣旨のラテン語。社是ともいえる言葉)

関連項目

  • コーンズ・アンド・カンパニー - 日本における正規販売業者
  • BMW - 「ロールス・ロイス」ブランドを引き継いだ。
  • フォルクスワーゲングループ - 「ベントレー」ブランドを引き継いだ。
  • ジョン・レノン - 階級社会の権威的象徴であるロールス・ロイスに、サイケデリック調の塗装を施したことで有名
  • よっちゃん食品工業 - 社用車としてロールス・ロイスを購入し、車体に「よっちゃんイカ」の社名ペイントを書き込むという、あまりにも泥臭い宣伝行為を強行して騒動になった
  • 三瓶 - 旧芸名「ロールスロイス」。売れない芸人は少しでも人目を惹くため、知名度のある既存の固有名詞を利用した突拍子もない芸名を付ける例があり、これもその一つである

参考文献

  • 大河内暁男『ロウルズ‐ロイス研究 企業破綻の英国的位相』(東京大学出版会、2001年) ISBN 4130460706

外部リンク

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