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佐々岡真司

について

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(最終更新 2007年11月21日 (水) 12:16。)
佐々岡真司
所属球団 広島東洋カープ
国籍 日本
出身地 島根県那賀郡金城町(現浜田市
誕生日 1967年8月26日(40歳)
身長
体重
184 cm
88 kg
血液型 O型
守備位置 投手
投球打席 右投右打
背番号 18
英語表記 SASAOKA
年俸 7500万円(2007年)
初出場 1990年4月12日
最終出場 2007年10月7日
経歴 浜田商業高校-NTT中国-
広島東洋カープ
テンプレート


佐々岡 真司(ささおか しんじ、1967年8月26日 - )は、島根県那賀郡金城町(現浜田市)出身の元プロ野球選手投手)である。背番号は18。血液型はO型。

目次

来歴・人物

町立雲城小学校3年で野球を始め、町立金城中学校では内野手であった。 島根県立浜田商業高等学校2年時に投手に転向。以来、県内屈指の投手として注目を集めたが、夏の甲子園春のセンバツには共に縁がなかった(3年時(1985年)には、夏の甲子園島根県予選にてベスト4の成績を残している)。

卒業後は、NTT中国野球部に入部。ソウルオリンピック代表にこそ選ばれなかったものの、アマチュア時代から既に、そのスライダーの切れ味はプロでも通用すると言われていた。1989年第60回都市対抗野球大会には、三菱重工広島の補強選手として出場し、初戦のNTT東日本戦で与田剛と息詰まるような投手戦を演じる。同年ドラフト1位で広島東洋カープに入団。

プロ1年目の1990年から、スライダーを武器に二桁勝利・二桁セーブを挙げ、投手陣の主軸として活躍。しかし、史上初の新人で最優秀救援投手に輝いた与田剛に阻まれ、新人王の獲得はならなかった。2年目の翌1991年には、先発のエースとして17勝をあげ、最多勝利最優秀防御率の二冠を獲得。チームのリーグ優勝に大きく貢献すると共に、シーズンMVP沢村賞ベストナイン最優秀投手)と各タイトルを総ナメにした。

それ以降は、先発、中継ぎ、抑えと頻繁に転向を繰り返すも、全体的に安定した活躍を見せた。1999年5月8日中日ドラゴンズ戦ではノーヒットノーランを達成。2003年9月14日横浜ベイスターズ戦では、史上6人目となる100勝100Sを達成した。2006年5月4日には、東京ヤクルトスワローズ戦にて先発100勝目をあげる。先発100勝かつ100セーブという記録は、江夏豊以来史上2人目という快挙であり、各メディアで大きく取り上げられた。

2007年、現役を引退。引退後の進路は、現時点では未定である。

経歴

  • 島根県立浜田商業高等学校2年時(1984年)、投手に転向。3年時(1985年)、夏の甲子園島根県予選にてベスト4の成績を残す。
  • 高校卒業後、NTT中国野球部に入部。第60回都市対抗野球大会三菱重工広島の補強選手として出場するなど、チームのエースとして活躍。
  • 1989年、希望球団だった広島東洋カープドラフト1位で入団。
  • 1990年、初登板初先発を初勝利で飾り、その後も先発・抑えとして様々な場面で活躍、2桁勝利・2桁セーブを挙げ、当時の新記録となる17試合連続セーブポイントも記録。しかし、新人で最優秀救援投手を獲得した与田剛に阻まれ、新人王獲得はならなかった。
  • 1991年、先発に専念。シーズンを通して17勝・防御率2.44を挙げ、最多勝利最優秀防御率の二冠に輝き、チームのリーグ優勝に大きく貢献すると共に、シーズンMVP沢村賞ベストナイン最優秀投手)を獲得。この年、4月25日の阪神タイガース戦の3回から5月11日の中日ドラゴンズ戦の7回まで、4試合にかけて30イニング連続無失点を記録。また10月23日西武ライオンズとの日本シリーズ第4戦(広島市民球場)で先発し、8回途中まで無安打無得点に抑えた。
  • 1992年、12勝を挙げ、プロ入り以来3年連続2桁勝利を記録。
  • 1993年、シーズン最多敗を記録。
  • 1994年、リリーフに転向。抑えの大野豊とともに投手陣を支えた。
  • 1995年、プロ入り6年目で初の開幕投手を務め、勝利投手となる。シーズン当初は先発だったが、抑えの大野が不調に陥り先発に転向したため、井上祐二とともに再度リリーフに転向。
  • 1996年、 プロ入り後初めて、シーズンを通して抑えに定着。Max150km/hのストレートと縦に大きく割れる独特のカーブを武器に活躍し、自己最多の23セーブを記録。。前年は先発、同年はリリーフとして2年連続で開幕戦の勝利投手となる。6月26日から6月30日にかけて、5日連続セーブの新記録を達成。7月23日のオールスター第三戦の9回に登板、堀幸一小久保裕紀ブリトーを3者連続見逃し三振に仕留めて優秀選手賞を受賞。 11月に行われた日米野球では第1戦と第3戦にリリーフで1イニングずつ登板し、第1戦でバリー・ボンズアンドレス・ガララーガを、第3戦でイヴァン・ロドリゲスブラッディ・アンダーソンスティーブ・フィンリーを三振に仕留めた。
  • 1997年、前年に続いて抑えに定着。同年台頭してきた横山竜士とともにリリーフ陣を支えた。
  • 1998年、不振に陥ったため、抑えを小林幹英に譲って先発に再転向する
  • 1999年、新たな球種・シュートを習得して先発として活躍。1991年の17勝に次ぐ15勝を挙げ、リーグトップの13完投・5完封を記録。5月8日中日ドラゴンズ戦でノーヒットノーランを達成。
  • 2000年、2度目の開幕投手を務め、勝利投手となる。前年に続いて先発として2桁勝利を記録。
  • 2001年、2年連続3度目の開幕投手。シーズン当初は先発だったが、抑えのエリック・シュールストロムが故障でリタイヤし、7月から抑えに再転向。小山田保裕とともにリリーフ陣を支える。
  • 2002年、3年連続4度目の開幕投手を務める。シーズン途中から小山田が抑えに定着したため、先発に復帰して8勝を挙げた。
  • 2003年、前年に続いて先発としてスタートしたが、小山田に代わって抑えを務めたルーキー永川勝浩が夏場以降失速。これを支えるためにシーズン途中から抑えに再転向。9月14日横浜ベイスターズ戦では、史上6人目となる100勝100Sを達成した。
  • 2004年、中継ぎに転向。永川、大竹寛とともにリリーフとして投手陣を支える。8月以降はチーム事情により先発に再転向。8先発で48回1/3を投げ、防御率1.48と安定感を見せた。
  • 2005年、前年後半の安定感から先発としてスタートするも、結果を残せず6月から二軍に降格、ルーキーイヤー以来となる二軍登板を経験する。一軍復帰後リリーフに転向。リリーフでは安定した投球を見せたが、シーズントータルでは30試合に登板し1勝、防御率6.33の成績に終わった。
  • 2006年、前年の野村謙二郎の引退により、チーム最年長選手となり、先発投手に転向。当初は黒田博樹大竹寛ショーン・ダグラスの脇役的な扱いだったが、最終的にはチームで唯一シーズン通じてローテーションを守って投げきり、規定投球回数に到達すると共に8勝を挙げた。5月4日には、東京ヤクルトスワローズ戦にて先発100勝目をあげる。先発100勝かつ100セーブという記録は、江夏豊以来史上2人目。39歳での規定回数到達は、大野豊に次ぐ球団史上2位の高齢記録であった。
  • 2007年9月19日、現役引退を表明。

エピソード

  • 社会人時代に勤務していたNTT中国は、広島カープのホームグラウンド・広島市民球場のすぐ隣りにある。
  • 入団1年目は、シーズン二桁勝利二桁セーブだけでなく、当時の新記録となる17試合連続セーブポイントも記録していた。最終的に新人王は与田剛が獲得したが、非常に高い成績を収めたことが認められ、セ・リーグ会長特別賞が贈られている。
  • 投手ながら打力もあり、1990年8月14日中日戦郭源治投手からサヨナラホームランを放ったこともある。
  • 同僚の玉木重雄とともに、ロージンバッグの粉を大量につけて投げることで知られていた。
  • 1994年、対ヤクルト戦でジェラルド・クラークに死球を与えた報復としてクラークから暴行を受け、鼻血を出すほどの大怪我を負ったが、続投を強く懇願、その試合で勝利を収めている。
  • 現役後半年は、新人時代のスライダーの切れは影を潜めたが、代わりに縦に鋭く落ちるカーブシュートなど様々な球種を習得・駆使していた。特に縦のカーブは、オールスター日米野球の際に様々な投手に教えを乞われるなど、代表的な決め球として内外に知られていた。
  • MVPに輝いたほどの投手が、30歳前後の最も脂の乗り切った時期において、毎年のように(時にはシーズン途中で)役割が変わるという例はかつてない。200試合以上登板している投手の中で、先発、中継ぎ、抑えの割合がそれぞれ25%を超えている、史上唯一の選手である。ファンの間では「先発に専念していたら、今頃は200勝を達成していたかもしれない」という声もあったが、この事に関して本人は「チームの勝利の為なら、どんな役割でも引き受ける」と語っていた。
  • 2005年、出身地の金城町から町民栄誉賞を受賞している。
  • 2007年10月6日、引退試合として広島市民球場で行われた対横浜ベイスターズ最終戦に登板。10-0と広島が大量リードして迎えた9回表、二死無走者から村田修一の打席に挑んだが、高めのボール球に空振りするつもりで振った村田のバットがボールを捉え、本塁打を放ってしまった。悲鳴と罵声が入り混じる中、村田は涙を流しながらダイヤモンドを一周。「人生で一番辛いホームラン。こんな辛い気持ちになるのは今日が初めて」と語った。佐々岡はこの後、次打者の鈴木尚典を空振り三振に打ち取って、本拠地のラストゲームを締めくくっている。
  • 引退試合終了後のセレモニーでは、「夢だったカープのユニフォームを今日まで着れて、私は幸せな男。感謝の気持ちでいっぱいです」とファンに挨拶し、場内を一周。この時、ひとり三塁側ダッグアウト前に残っていた村田が「申し訳ありませんでした」と頭を下げたが、佐々岡は「真剣勝負の結果。打たれて吹っ切れたよ。気持ち良かった」と笑顔で応えていた。
  • なお村田は、この佐々岡からの本塁打が決め手となり、同年の本塁打王を獲得している。村田はシーズン後この時のことを「引退登板の時には、できれば打順が回って欲しくなかった。打った後は佐々岡さんの為にも、カープファンの為にも、絶対にタイトルを獲らなきゃいけないと思った」と振り返っている。
  • 引退試合を終えた翌日10月7日の対東京ヤクルトスワローズ最終戦(神宮球場)、佐々岡と同じく同年限りでユニフォームを脱ぎ、アマチュア時代にはバッテリーを組んだこともある同期・古田敦也の引退試合にワンポイント登板し、ファンを驚かせた。この8回裏二死の対戦で古田を遊ゴロに打ち取り、登板後には古田と固い握手を交わし、花束を贈られた。試合後は左翼スタンドにサインボールを投げ込んで東京のファンに別れを告げ「マーティに最後のわがままを聞いてもらった。全部真っすぐを真ん中に投げるつもりだったけど、球が遅すぎた。凄くいい思い出になりました」と感慨に浸っていた。なお佐々岡は、この現役最後の登板でホールドをマークしている。
  • 非常に温厚な人柄で知られ、チームメイトだった新井貴浩は「本当に優しい様のような人」と評していた。
  • カラオケでの十八番はオヨネーズの「麦畑」。

記録

  • 初登板 : 1990年4月12日 対横浜大洋ホエールズ横浜スタジアム
  • 初先発 : 同上
  • 初完投 : 同上
  • 初勝利 : 同上
  • 初奪三振 : 同上(谷繁元信から)
  • 初完封:1990年9月18日対横浜大洋ホエールズ
  • 初セーブ:1990年5月9日対ヤクルトスワローズ(明治神宮野球場)
  • 通算100勝:2000年6月16日対横浜ベイスターズ(115人目)
  • 通算100セーブ:2003年9月14日対横浜ベイスターズ
  • 通算100勝100セーブ達成 : 2003年9月14日対横浜ベイスターズ
  • 先発100勝100セーブ達成(史上2人目) : 2006年5月4日対ヤクルトスワローズ
  • 1000奪三振:1998年7月5日対阪神タイガース(102人目、新庄剛志から)
  • 1500奪三振:2002年9月4日対阪神タイガース(45人目、片岡篤史から)
  • 1000投球回:1995年8月29日対阪神タイガース(264人目)
  • 1500投球回:2000年4月28日対横浜ベイスターズ(146人目)
  • 2000投球回:2003年8月24日対中日ドラゴンズ(82人目)
  • 500試合登板:2004年9月24日(75人目)
  • 30イニング連続無失点:1991年4月25日阪神タイガース戦の3回から5月11日中日ドラゴンズ戦の7回まで
  • 5日連続セーブ:1996年6月26日から30日まで
  • ノーヒットノーラン達成 : 1999年5月8日対中日ドラゴンズ(セ・リーグ32回目、プロ野球78回目。1死球のみ、四球0は1948年の真田重蔵、1995年のブロス以来3人目)
  • オールスター出場:1990年、1991年、1996年、1999年、2000年、2001年

タイトル

年度別投手成績

年度 チーム




































1990年 広島 18 44 6 29 7 2 0 13 11 17 .542 151.1 123 15 53 6 129 3 0 56 53 3.15
1991年 33 13 0 18 5 0 17 9 0 .654 240.0 186 20 69 8 213 4 0 69 65 2.44
1992年 29 7 0 20 1 0 12 8 0 .600 197.0 186 14 60 4 161 8 1 87 74 3.38
1993年 30 7 1 21 1 1 5 17 0 .227 183.0 206 21 58 5 124 6 0 93 88 4.33
1994年 41 2 10 12 1 0 7 9 6 .438 130.2 129 15 27 4 93 1 0 51 48 3.31
1995年 44 2 30 10 0 0 7 7 17 .500 127.0 108 10 39 5 110 3 0 47 43 3.05
1996年 49 0 46 0 0 0 5 7 23 .417 69.0 54 5 14 3 71 2 0 13 13 1.70
1997年 39 0 35 0 0 0 5 5 21 .500 57.2 54 5 20 2 64 3 0 19 17 2.65
1998年 29 1 12 15 0 0 5 11 6 .313 121 113 17 25 3 96 3 1 54 51 3.79
1999年 26 13 0 13 5 1 15 8 0 .652 190 181 17 43 4 150 0 0 73 69 3.27
2000年 21 5 0 16 1 1 10 6 0 .625 142.2 154 18 29 1 94 2 0 71 63 3.97
2001年 32 7 13 10 0 1 7 10 7 .412 140.1 154 16 31 3 92 2 0 61 56 3.59
2002年 25 2 0 23 1 2 8 9 0 .471 153.2 167 13 32 1 127 0 0 76 59 3.46
2003年 29 1 9 16 0 0 8 8 6 .500 110.1 122 20 25 5 81 0 0 64 60 4.89
2004年 30 0 7 11 0 0 3 7 3 .300 81.1 98 6 17 3 61 0 0 38 35 3.87
2005年 30 0 10 8 0 0 1 6 0 .143 54.0 75 14 19 0 37 2 0 44 38 6.33
2006年 27 0 0 27 0 0 8 8 0 .500 149.2 155 24 29 5 82 2 0 77 68 4.09
2007年 12 0 1 10 0 0 2 7 0 .222 45.2 75 9 5 4 21 0 0 34 33 6.50
通算成績 570 66 203 237 17 6 138 153 106 .474 2344.1 2340 259 595 66 1806 41 2 1027 933 3.58

太字はシーズン中のリーグ最高

関連項目

先代:
斎藤雅樹
セ・リーグMVP
1991年
次代:
J.ハウエル
先代:
野茂英雄
沢村賞
1991年
次代:
石井丈裕
先代:
斎藤雅樹
セ・リーグ最多勝投手
1991年
次代:
斎藤雅樹
先代:
斎藤雅樹
セ・リーグ最優秀防御率
1991年
次代:
盛田幸妃
広島東洋カープ
1989年ドラフト指名選手
1位:佐々岡真司 / 2位:仁平馨 / 3位:前間卓 / 4位:前田智徳 / 5位:山口晋 / 6位:浅井樹
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