加藤 紘一(かとう こういち、1939年6月17日 ‐)は、日本の政治家。衆議院議員(12期)。
防衛庁長官(45代)。内閣官房長官(61代)。自由民主党幹事長(32代)を歴任。
| 生年月日 | 1939年6月17日(68歳) |
|---|---|
| 出生地 | 山形県鶴岡市 |
| 出身校 | 東京大学 ハーバード大学大学院 |
| 学位・資格 | 法学士 |
| 前職 | 国家公務員(外務省) |
| 所属委員会 内閣役職 |
衆・文部科学委員会委員 |
| 世襲 | 2世 父・加藤精三(衆議院議員) |
| 選出選挙区 | 山形県第3区 |
| 当選回数 | 12回 |
| 所属党派 | 自由民主党(無派閥) |
| 党役職 | ‐ |
| 会館部屋番号 | 衆・第2議員会館711号室 |
| ウェブサイト | 加藤紘一オフィシャルサイト |
目次 |
山崎拓と加藤紘一、小泉純一郎との古くからの盟友関係は、3人の頭文字からY(山崎)K(加藤)K(小泉) でYKKと称される。竹下派支配に対抗する為に結成された。「加藤の乱」以後も3人の関係は続いたものの、3人の中で最も総理に近いとされた加藤が議員辞職などで力を落としていく一方で、予想外の小泉が総理になるなどの有為転変の後、加藤が公然と小泉の政策を批判するようになり、現在では3人の関係は山崎を通してのものとなっているとされる。加藤は橋本政権下で幹事長の要職に就き、ポスト橋本の絶好の位置に存在し、実際に竹下派(当時、小渕派)の中の有力者から総裁に推されることもあったものの、竹下派の影響力を受けた総裁では駄目だとこれを拒否。ポスト橋本の有力候補であり、幹事長時代は竹下派と良好な関係を構築していた加藤だったが、あくまでも総裁は竹下派の影響を受けない形で就任することを目指すと当時公言していた。加藤の志は小泉が達成することとなる。
一時はN(中村喜四郎)を加え、NYKKとも称されていた。
加藤の乱の失敗、秘書の逮捕による議員辞職、かつて同派閥に属した谷垣禎一への派閥委譲により、現時点で一議員を超えた政治的影響力はほぼ無い。しかし、自民党内にあって小泉・安倍政権に真正面から異を唱える数少ない重鎮議員であるため、マスコミが政権批判をする場合にコメント役として重宝されている。
2006年8月15日には山形県の実家・事務所が放火されるという事件が起きた。犯人は右翼団体構成員(65)で後に懲役8年の判決を受けたが、加藤が事件当時小泉純一郎総理の靖国神社参拝を批判する発言を繰返していたこともあり、言動と放火との関連が取り沙汰されている。
放火事件の前後から、歴史認識問題等における保守派を『小林よしのり系』だとみのもんたの朝ズバッ!で発言し、放火事件の背景として小林の名を著書で挙げるなど、小林よしのりをたびたび攻撃している。加藤がSAPIO編集部からの討論打診を拒否したこともあいまって、小林からは『言論テロ』、『異常な政治家』などと『ゴーマニズム宣言』において批判されている(もっとも、加藤の乱の時から小林は加藤に批判的であった)。
同年夏にTVに出演した際、総裁選出馬への意欲を聞かれ、「今回『は』そういうことはしない」と発言した。加藤が総理への意欲を持っているとみる専門家も少なからずいるが、一般には「過去の人」との評価が定着しており、総裁候補として認知はされていない。
9月に誕生した安倍政権とも距離をとり続けてきたが、翌2007年での参院選敗北を期に批判を強めていた。古賀誠、山崎拓と共に「新YKK」として会合を重ね、テロ特措法の期限切れを目途に倒閣に動き、麻生太郎以外の総裁候補を擁立するという計画が立てられていたとされる(産経新聞9月24日)が、突然の安倍辞任により、続く総裁選で新YKKはそのまま福田康夫支持になだれこんだ。
福田康夫内閣の政治姿勢には支持を表明している。
1991年1月、宮沢内閣の官房長官として「細部は論じたくないが、(慰安婦側が)強制連行されたと主張するならその通りなのだろう」と日本側の非を認め、「お詫びと反省の気持ち」を表明した。[1]
1994年8月、当時自民党政調会長だった加藤は中国人民抗日戦争記念館を訪れ「ここに来るのは長年の願望だった」「来年は終戦から50年。日本では、どう50年を迎えれば良いか議論しており、日中戦争が本格的に始まるきっかけとなった盧溝橋を訪れることができたことは意義深い」とした。また、外務官僚時代にハーバード大学に留学した際に「蘆溝橋事件が起きるまでの一年」と題した論文で修士号を取得したことを述べ、「亜州歴史的真実只有一個(アジアの歴史の真実はただ一つ)」と記して抗日記念館の館長に献じた。これらを批判する人はいる。
2004年10月21日に北京で開かれた中国国際戦略学会での公演で、小泉総理の靖国参拝について「サンフランシスコ平和条約で明らかなように、14人のA級戦犯がすべての戦争責任を負う。1978年に靖国神社が14人の『位牌』を合祀して以降は、首相が正式に参拝することは外交上正しくない」と述べ、自重すべきとの考えを示し「首相自身は日本人の民族感情の問題だと考えているが、中国人から見ると歴史認識と戦争責任の問題だ」と指摘し、参拝は「条約を尊重するかどうかの観点から考えるべきものだ」と語り、その後も首相の参拝はサンフランシスコ条約違反との認識を示す。これについては、靖国神社に存在するのは「御祭神名簿」で「位牌」は存在せず、誤解が指摘されている。
| 警察予備隊 |
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| 警察予備隊本部長官 增原惠吉 警察予備隊担当国務大臣 大橋武夫 海上保安庁長官 柳沢米吉 |
| 国務大臣保安庁長官 |
| 木村篤太郎 |
| 国務大臣防衛庁長官 |
| 木村篤太郎- 大村清一-杉原荒太-砂田重政-船田中-小瀧彬-津島壽一-左藤義詮-伊能繁次郎-赤城宗徳-江崎真澄-西村直己-藤枝泉介-志賀健次郎-福田篤泰-小泉純也-松野頼三-上林山栄吉-増田甲子七-有田喜一-中曽根康弘-增原惠吉-西村直己-江崎真澄-增原惠吉-山中貞則-宇野宗佑-坂田道太-三原朝雄-金丸信-山下元利-久保田円次-細田吉蔵-大村襄治-伊藤宗一郎-谷川和穂-栗原祐幸-加藤紘一-栗原祐幸-瓦力-田沢吉郎-山崎拓-松本十郎-石川要三-池田行彦-宮下創平-中山利生-中西啓介-愛知和男-神田厚-玉澤徳一郎-衛藤征士郎-臼井日出男-久間章生-額賀福志郎- 野呂田芳成- 瓦力- 虎島和夫- 斉藤斗志二- 中谷元- 石破茂- 大野功統- 額賀福志郎- 久間章生 |
| 防衛大臣 |
| 久間章生- 小池百合子- 高村正彦- 石破茂 |
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| 内閣書記官長 | 田中光顕 - 小牧昌業 - 周布公平 - 平山成信 - 伊東巳代治 - 高橋健三 - 平山成信 - 鮫島武之助 - 武富時敏 - 安廣伴一郎 - 鮫島武之助 - 柴田家門 - 石渡敏一 - 南弘 - 柴田家門 - 南弘 - 江木翼 - 山之内一 - 江木翼 - 兒玉秀雄 - 高橋光威 -三土忠造 - 宮田光雄 - 樺山資英 - 小橋一太 - 江木翼 - 塚本清治 - 鳩山一郎 - 鈴木富士彌 - 川崎卓吉 - 森恪 - 柴田善三郎 - 堀切善次郎 - 河田烈 - 吉田茂 - 白根竹介 - 藤沼庄平 - 大橋八郎 - 風見章 - 田邊治通 - 太田耕造 - 遠藤柳作 - 石渡荘太郎 - 富田健治 - 星野直樹 - 三浦一雄 - 田中武雄 - 廣瀬忠久 - 石渡荘太郎 - 迫水久常 - 緒方竹虎 - 次田大三郎 - 楢橋渡 - 林譲治 |
| 内閣官房長官 | 林譲治 - 西尾末広 - 苫米地義三 - 佐藤栄作 - 増田甲子七 - 岡崎勝男 - 保利茂 - 緒方竹虎 - 福永健司 - 根本龍太郎 - 石田博英 - 愛知揆一 - 赤城宗徳 - 椎名悦三郎 - 大平正芳 - 黒金泰美 - 鈴木善幸 - 橋本登美三郎 - 愛知揆一 - 福永健司 - 木村俊夫 - 保利茂 - 竹下登 - 井出一太郎 - 二階堂進 - 園田直 - 安倍晋太郎 - 田中六助 - 伊東正義 - 宮澤喜一 - 後藤田正晴 - 藤波孝生 - 後藤田正晴 - 小渕恵三 - 塩川正十郎 - 山下徳夫 - 森山眞弓 - 坂本三十次 - 加藤紘一 - 河野洋平 - 武村正義 - 熊谷弘 - 五十嵐広三 - 野坂浩賢 - 梶山静六 - 村岡兼造 - 野中広務 - 青木幹雄 - 中川秀直 - 福田康夫 - 細田博之 - 安倍晋三 - 塩崎恭久 - 与謝野馨 - 町村信孝 |
水田三喜男 - 塚田十一郎 - 三木武夫 - 福田赳夫 - 中村梅吉 - 船田中 - 椎名悦三郎 - 福田赳夫 - 田中角栄 - 賀屋興宣 - 三木武夫 - 周東英雄 - 赤城宗徳 - 水田三喜男 - 西村直己 - 大平正芳 - 根本龍太郎 - 水田三喜男 - 小坂善太郎 - 櫻内義雄 - 倉石忠雄 - 水田三喜男 - 山中貞則 - 松野頼三 - 櫻内義雄 - 河本敏夫 - 江崎真澄 - 河本敏夫 - 安倍晋太郎 - 田中六助 - 藤尾正行 - 伊東正義 - 渡辺美智雄 - 村田敬次郎 - 三塚博 - 加藤六月 - 森喜朗 - 三塚博 - 橋本龍太郎 - 加藤紘一 - 山崎拓 - 池田行彦 - 亀井静香 - 麻生太郎 - 額賀福志郎 - 与謝野馨 - 中川秀直 - 中川昭一 - 石原伸晃 - 谷垣禎一
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