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加藤紘一

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(最終更新 2007年11月16日 (金) 10:25。)

加藤 紘一かとう こういち1939年6月17日 ‐)は、日本政治家衆議院議員(12期)。

防衛庁長官(45代)。内閣官房長官(61代)。自由民主党幹事長(32代)を歴任。

衆議院議員 加藤 紘一
生年月日 1939年6月17日(68歳)
出生地 山形県鶴岡市
出身校 東京大学
ハーバード大学大学院
学位・資格 法学士
前職 国家公務員(外務省)
所属委員会
内閣役職
衆・文部科学委員会委員
世襲 2世
父・加藤精三(衆議院議員)
選出選挙区 山形県第3区
当選回数 12回
所属党派 自由民主党(無派閥)
党役職
会館部屋番号 衆・第2議員会館711号室
ウェブサイト 加藤紘一オフィシャルサイト


目次

概要

  • 山形県鶴岡市出身。
  • 外務省出身。中国語語学研修組でありチャイナ・スクールの系譜にあると言われる。
  • 1995年自民党総裁選では、現職で同じ宏池会宮沢喜一派)であった河野洋平を支援せず平成研究会小渕恵三派)の橋本龍太郎を支持。橋本の党総裁当選に伴い党幹事長に就任。この結果、河野との対立は決定的となり、1998年に宮沢の後継として派閥会長に就任した際、河野らは退会し大勇会(河野グループ)を結成した。
  • 党幹事長として臨んだ第41回衆院選では小沢一郎率いる新進党との二大政党対決を勝利に導いた。その後、党幹事長代理の野中広務と新進党議員の引き抜き工作を行い、自民党の衆院における単独過半数復帰を実現した。
  • 第18回参院選で自民党は大敗、党幹事長を辞職するも後継総裁として小渕を支持、党内第2派閥の領袖として影響力を維持した。
  • 1998年宮沢派を禅譲されるが、河野洋平たちの離脱を引き起こし、宏池会の分裂、弱体化を招いた。
  • 1999年の自民党総裁選では、自由党公明党との連立政権を目指す現職の小渕を批判して出馬、敗北し党内非主流派となる。
  • 2000年、低支持率ながらも政権を維持する森喜朗に反発し内閣不信任決議案提出時の本会議に欠席、または賛成する意向を示した(加藤の乱)。かつては盟友であった党幹事長の野中による派閥の分裂工作により加藤の思惑は失敗に終わり、派閥は分裂し小派閥に転落した。
  • 2001年、事務所代表による所得税法違反の責任を取って離党、議員辞職して総裁候補としての地位は終焉した。
  • 現在新保守主義派が圧倒的多数となっている自民党において少数のリベラル派の筆頭と言える。その立場から自民党内で提言を行なっている。


YKK

山崎拓加藤紘一小泉純一郎との古くからの盟友関係は、3人の頭文字からY(山崎)K(加藤)K(小泉) でYKKと称される。竹下派支配に対抗する為に結成された。「加藤の乱」以後も3人の関係は続いたものの、3人の中で最も総理に近いとされた加藤が議員辞職などで力を落としていく一方で、予想外の小泉が総理になるなどの有為転変の後、加藤が公然と小泉の政策を批判するようになり、現在では3人の関係は山崎を通してのものとなっているとされる。加藤は橋本政権下で幹事長の要職に就き、ポスト橋本の絶好の位置に存在し、実際に竹下派(当時、小渕派)の中の有力者から総裁に推されることもあったものの、竹下派の影響力を受けた総裁では駄目だとこれを拒否。ポスト橋本の有力候補であり、幹事長時代は竹下派と良好な関係を構築していた加藤だったが、あくまでも総裁は竹下派の影響を受けない形で就任することを目指すと当時公言していた。加藤の志は小泉が達成することとなる。

一時はN(中村喜四郎)を加え、NYKKとも称されていた。

現況

加藤の乱の失敗、秘書の逮捕による議員辞職、かつて同派閥に属した谷垣禎一への派閥委譲により、現時点で一議員を超えた政治的影響力はほぼ無い。しかし、自民党内にあって小泉・安倍政権に真正面から異を唱える数少ない重鎮議員であるため、マスコミが政権批判をする場合にコメント役として重宝されている。

2006年8月15日には山形県の実家・事務所が放火されるという事件が起きた。犯人は右翼団体構成員(65)で後に懲役8年の判決を受けたが、加藤が事件当時小泉純一郎総理の靖国神社参拝を批判する発言を繰返していたこともあり、言動と放火との関連が取り沙汰されている。

放火事件の前後から、歴史認識問題等における保守派を『小林よしのり系』だとみのもんたの朝ズバッ!で発言し、放火事件の背景として小林の名を著書で挙げるなど、小林よしのりをたびたび攻撃している。加藤がSAPIO編集部からの討論打診を拒否したこともあいまって、小林からは『言論テロ』、『異常な政治家』などと『ゴーマニズム宣言』において批判されている(もっとも、加藤の乱の時から小林は加藤に批判的であった)。

同年夏にTVに出演した際、総裁選出馬への意欲を聞かれ、「今回『は』そういうことはしない」と発言した。加藤が総理への意欲を持っているとみる専門家も少なからずいるが、一般には「過去の人」との評価が定着しており、総裁候補として認知はされていない。

9月に誕生した安倍政権とも距離をとり続けてきたが、翌2007年での参院選敗北を期に批判を強めていた。古賀誠山崎拓と共に「新YKK」として会合を重ね、テロ特措法の期限切れを目途に倒閣に動き、麻生太郎以外の総裁候補を擁立するという計画が立てられていたとされる(産経新聞9月24日)が、突然の安倍辞任により、続く総裁選で新YKKはそのまま福田康夫支持になだれこんだ。

福田康夫内閣の政治姿勢には支持を表明している。

歴史観

1991年1月、宮沢内閣の官房長官として「細部は論じたくないが、(慰安婦側が)強制連行されたと主張するならその通りなのだろう」と日本側の非を認め、「お詫びと反省の気持ち」を表明した。[1]

1994年8月、当時自民党政調会長だった加藤は中国人民抗日戦争記念館を訪れ「ここに来るのは長年の願望だった」「来年は終戦から50年。日本では、どう50年を迎えれば良いか議論しており、日中戦争が本格的に始まるきっかけとなった盧溝橋を訪れることができたことは意義深い」とした。また、外務官僚時代にハーバード大学に留学した際に「蘆溝橋事件が起きるまでの一年」と題した論文で修士号を取得したことを述べ、「亜州歴史的真実只有一個(アジアの歴史の真実はただ一つ)」と記して抗日記念館の館長に献じた。これらを批判する人はいる。

2004年10月21日に北京で開かれた中国国際戦略学会での公演で、小泉総理の靖国参拝について「サンフランシスコ平和条約で明らかなように、14人のA級戦犯がすべての戦争責任を負う。1978年に靖国神社が14人の『位牌』を合祀して以降は、首相が正式に参拝することは外交上正しくない」と述べ、自重すべきとの考えを示し「首相自身は日本人の民族感情の問題だと考えているが、中国人から見ると歴史認識と戦争責任の問題だ」と指摘し、参拝は「条約を尊重するかどうかの観点から考えるべきものだ」と語り、その後も首相の参拝はサンフランシスコ条約違反との認識を示す。これについては、靖国神社に存在するのは「御祭神名簿」で「位牌」は存在せず、誤解が指摘されている。


一族

備考

  • 今や当たり前となっている内閣官房長官が立ったまま質問に答える形式(起立型)の記者会見を始めたのは、加藤が最初である。それまでの内閣官房長官は座って記者会見を行っていた。加藤が起立型に切り替えたのは、加藤の支持者から「TVで会見を見ていると元気が無いように見える」と指摘されたのがきっかけと言われている。
  • かつての保守本流派閥の宏池会の流れを汲む3派閥(麻生派・古賀派・谷垣派)の間で宏池会再結集構想(大宏池会構想中宏池会構想)がしばしば登場するが、加藤は派閥分裂の度の派閥分裂の原因を作った張本人であり、麻生・古賀両派の中にはいまだに加藤に不信感を持っている者もいる(加藤自身は2005年9月に加藤派の後継である谷垣派を離脱し無派閥)。

略歴

経歴

政歴

文献

著書

  • 『強いリベラル』文芸春秋社、2007年6月、ISBN 4163692401
  • 『新しき日本のかたち』ダイヤモンド社、2005年11月、ISBN 4478180431
  • 『いま政治は何をすべきか: 新世紀日本の設計図』講談社、1999年8月、ISBN 4062098733
  • 『日本の政治: 現場報告: 講演と討論』明治学院大学立法研究会編、信山社出版、1995年5月、ISBN 4797250011

訳書

  • 『米ソ核軍縮交渉: 成功への歩み』ストローブ・タルボット著、サイマル出版会、1990年3月、ISBN 4377308408

関連文献

  • 『屈託なく生きる』城山三郎、講談社、1988年1月、ISBN 4062035863
  • 『激動のなかを生きる男たち』竹村健一、バンガード社、1998年7月、ISBN 4915599140
  • 『加藤紘一・全人像』仲衛著、行研、1992年6月、ISBN 490578686X
  • 『自民党・ナンバー2の研究』浅川博忠、講談社、2002年7月、ISBN 4062734990
  • 『自民党幹事長室の30年』奥島貞雄著、中央公論新社、2002年12月、ISBN 4120033430

関連項目

外部リンク

先代:
栗原祐幸
防衛庁長官
1984 ‐ 1986
次代:
栗原祐幸
先代:
坂本三十次
内閣官房長官
1991 ‐ 1992
次代:
河野洋平
先代:
橋本龍太郎
自由民主党政務調査会長
1994 - 1995
次代:
山崎拓
先代:
三塚博
自由民主党幹事長
1995 ‐ 1998
次代:
森喜朗
先代:
宮沢喜一
宏池会会長
1998 ‐ 2001
1998 ‐ 2002
次代:
堀内光雄堀内派
小里貞利小里派
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