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安倍晋三

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この項目では安倍晋三の人物について説明しています。

  • 安倍晋三内閣総理大臣を首班とする2006年9月26日 - 2007年8月27日までの内閣については安倍内閣をご覧ください。
  • 2007年8月27日 - 2007年9月26日の内閣については安倍改造内閣をご覧ください。
衆議院議員 安倍 晋三
生年月日 1954年9月21日(53歳)
出生地 出生地:東京都
本籍地:山口県大津郡油谷町(現:長門市)
出身校 成蹊大学
南カリフォルニア大学(留学)
学位・資格 政治学士
前職 会社員
衆議院議員秘書
所属委員会
内閣役職
衆・外務委員会委員
世襲 3世
祖父・安倍寛、岸信介
父・安倍晋太郎
選出選挙区 山口県第4区
当選回数 5回
所属党派 自由民主党(無派閥)
党役職 山口県第4区支部長
会館部屋番号 衆・第一議員会館602号室
ウェブサイト あべ晋三


安倍 晋三(あべ しんぞう、1954年9月21日 - )は、日本政治家衆議院議員(5期)。

内閣総理大臣(第90代、2006年9月26日 – 2007年9月26日)、内閣官房長官(第72代)、自由民主党総裁(第21代)、同党幹事長を歴任。

目次

概要

親族に政治家が多く、父方の祖父の安倍寛(元衆議院議員)、母方の祖父岸信介(第56・57代内閣総理大臣)、大叔父の佐藤栄作(第61 - 63代内閣総理大臣)、父の安倍晋太郎(元外務大臣)、弟の岸信夫参議院議員)などがいる。妻は森永製菓社長令嬢の安倍昭恵

大学卒業後、神戸製鋼所社員、外務大臣秘書官を経て衆議院議員となる。官房副長官自由民主党幹事長、同幹事長代理、官房長官等を歴任。2006年に自由民主党総裁、内閣総理大臣に就任。2007年9月26日に内閣総理大臣を退任。

来歴

出生

1954年9月21日、当時毎日新聞記者であった安倍晋太郎とその、洋子の次男として東京で生まれる(本籍地は山口県大津郡油谷町(現・長門市)。 父方の祖父衆議院議員安倍寛(この時既に故人)、母方の祖父は後の首相・岸信介で、大叔父にはやはり後の首相佐藤栄作がいる、政治家一族であった。「幼い頃から私には身近に政治がありました」と安倍は振り返っている[1]

幼い頃は、野球選手刑事になることに憧れていた[2]

学業

岸信介が入学を推奨したという[3] 、成蹊学園(小学校・中学校・高等学校大学法学部政治学科)を卒業。安倍は小中高と良い教師に恵まれていたと振り返る[4]

小学4年生から5年生にかけての1964年から2年間平沢勝栄(後の衆議院議員、日本人拉致問題で助言したと言われる)が家庭教師についていた[5][1]。平沢はテレビ朝日系の番組『ビートたけしのTVタックル』で、「安倍晋三さんは、私が教えてから頭悪くなったと言うんですけどね、違うんですよ。安倍晋三さんがしっかりしてるのは私が教えたからで、私が教えてなかったら今頃網走の刑務所に入ってたかも知れないよ。」と語っている[6]。低学年の時、父晋太郎が選挙(1963年)に落選したとき、「仕事がなくなっちゃったんだ。でも、知り合いの会社の顧問になれるから大丈夫なんだ」 と語っていたという[7]。晋太郎の落選当時、両親と離れて暮らしており、平沢勝栄を遊び相手にしたりしていた[1]。この当時、友人によればあまり目立たなかったという[7]。また平沢によれば、「はやっていた『おそ松くん』の『シェー』のポーズを良くまねする普通の子ども」だったという[1]

高校クラブ地理研究部に所属[8]。同級生によれば存在感の薄さが逆に印象に残っていたという[3]。ちなみに池田大作の次男と同期生だった[9]

父の安倍晋太郎、祖父の安倍寛・岸信介、大叔父の佐藤栄作、家庭教師の平沢勝栄と親類・周囲には東京大学出身者が多かったが本人は無難にエスカレーター式に成蹊大学に進み行政学を学ぶ。安倍を痛烈に非難している衆議院議員田中真紀子は、平沢勝栄が「頭が悪くて勉強が嫌いで口が軽くて。コネでもなんかすれば慶大くらい入れるだろうと思ったら、それもダメだった」と話していたとしている[10]アーチェリー部に所属し、準レギュラーだった[11]。成蹊大時代はアルファ・ロメオに乗ってキャンパスに通う[12]。大学生の頃は人付き合いがいいが、大人しく真面目だったという[8]1977年春に渡米し、カリフォルニア州ヘイワードの英語学校に通うが、日本人だらけで勉強に障害があると判断して通学を止め、その後イタリア系アメリカ人の家に下宿しながらロングビーチの語学学校に通った[13]。秋に南カリフォルニア大学への入学許可が出され[14]1978年に入学、政治学を専攻し春・夏・秋学期を履修し、1979年中退した[15]

政界へ

1979年4月に帰国し、神戸製鋼に入社した。ニューヨーク事務所、加古川製鉄所、東京本社で勤務した[1]。加古川製鉄所での経験は、「私の社会人としての原点[16]」、あるいは「私の原点[17]」だったという。

神戸製鋼での3年間勤務の後、1982年、父で時の外務大臣・晋太郎の秘書官等に就任し、数々の各国首脳との会談に同席するなど父の後継者としての政治家修行を行う。1987年に松崎昭雄・森永製菓社長の娘で電通社員の昭恵結婚する。その際の媒酌人を務めたのが、福田赳夫総理だった。1991年に首相候補の最有力と目されていた父・晋太郎が急死。

1993年に死亡した父の地盤を引き継ぎ、第40回衆議院議員総選挙に山口1区(当時)より出馬し、初当選。父が派閥会長を務めていた清和会三塚派、後の森派→町村派)に属す。

衆議院議員

派閥領袖の森喜朗首相が組閣した2000年第2次森改造内閣で、後に次期首相となる小泉純一郎に推薦され[18]内閣官房副長官に就任。森政権の後を受け、2001年に成立した小泉純一郎首相の第1次小泉内閣でも引き続き内閣官房副長官を務める。

2006年1月、ロバート・ゼーリックと会う安倍晋三。
2006年1月ロバート・ゼーリックと会う安倍晋三。

2002年の小泉首相の北朝鮮訪問に随行し、小泉首相と金正日総書記との首脳会談では「安易な妥協をするべきではない」と強硬論を繰り返し主張した。拉致被害者5人の帰国は実現したものの、この日本人拉致問題は日本側の納得する形では決着せずに難航した。内閣参与中山恭子と共に北朝鮮に対する経済制裁武力行使を含めた強硬路線を主張した。拉致被害者の北朝鮮帰国方針にも中山恭子内閣府参与と共に頑強に反対した[18]。対話路線などの慎重論を唱える議員が多かった中で、安倍の毅然とした姿勢は珍しく注目を集めることになった。

2003年9月、小泉首相によって自民党幹事長に抜擢された。当選3回で、大臣経験もない若手議員が党幹事長に就任するのは前代未聞のことであるが、苦戦が予想される同年11月の総選挙のために安倍の「人気」が必要とされたためと見られた。11月の総選挙で自民党は絶対安定多数の確保に成功した。

幹事長時代には自民党内で恒常化していた「餅代」、「氷代」(派閥の長が配下の者に配る活動資金)の廃止、自民党候補者の公募制の一部導入など党内の各種制度の改正を行った。2004年参議院選挙では目標の51議席を下回れば「一番重い責任の取り方をする」と引責辞職を示唆。結果は49議席で、しばらく現職に留まった後で辞任した。同年9月から後任の幹事長・武部勤の強い要請を受け党幹事長代理に就任。幹事長経験者が幹事長代理に格下げになるということも大変異例なことだった。その幹事長代理として迎えた05年衆院選では保守派弁護士稲田朋美を「刺客」(「抵抗勢力」に対する対抗馬、福井1区松宮勲への対抗馬)にスカウトした。

小泉政権末期の早い段階から自民党内の「ポスト小泉」の最有力候補の一人と言われ、2005年10月31日付で発足した第3次小泉改造内閣では内閣官房長官を務める。

2006年9月1日に自民党総裁戦への出馬を表明。憲法改正教育改革財政健全化に取り組む方針を示す。また、総裁選に当選し次第、所属する派閥の森派を離脱する考えを示した。

小泉純一郎の総裁任期が満了となり、2006年9月20日自由民主党総裁選挙麻生太郎谷垣禎一を大差で破って自由民主党総裁に選出、9月26日臨時国会に於いて内閣総理大臣に指名される。戦後最年少で、戦後生まれとしては初めての総理大臣であった。

内閣総理大臣

安倍内閣・安倍改造内閣

安倍内閣安倍改造内閣2006年の政治、および 2007年の政治も参照

2006年のAPECでの安倍晋三。
2006年のAPECでの安倍晋三。

就任表明では「美しい国」というテーマのもとに「戦後レジームからの脱却」「教育バウチャー制度の導入」「ホワイトカラーエグゼンプション」などといったカタカナ語を連発し、議員からは「わかりにくい」と揶揄された。 安倍は小泉前首相の靖国参拝問題のために途絶えていた中国韓国への訪問を表明。10月8日に中国・北京胡錦濤国家主席と会談。翌9日に盧武鉉大統領と会談すべく韓国・ソウルに入り、小泉政権下で冷え切った日中・日韓関係を改善した。 その日、北朝鮮が核実験を実施して世界を驚かせた。この北朝鮮の核実験に対して、安倍首相は「日本の安全保障に対する重大な挑戦である」として非難声明を発するとともに、国連制裁決議とは別に、より厳しい経済制裁措置を実施した。9月~11月にかけての郵政造反組復党問題では安倍は非難を受けた。12月に懸案だった教育基本法改正と防衛庁昇格を強行する。同月、本間税制会長が公務員宿舎の愛人問題で、佐田行革相が架空事務所費計上問題で辞任した。

2007年に始まった第166回通常国会では数多くの重要法案を強行採決で次々に成立させた。

ハイリゲンダム・サミットで各国首脳らと。
ハイリゲンダム・サミットで各国首脳らと。

5月初旬には米国を初訪問し、小泉政権に引き続いて日米関係が強固なものであることをアピールした。同月、以前から様々な疑惑のあった松岡農水大臣自殺。また年金記録問題が大きく浮上してくる。安倍は問題発覚後も国会で「救済」という言葉をしばらく使い続けるなどしていた。こうした中で、6月当初の内閣支持率は小泉政権以来最低になったということがメディアに大きく報じられた。同月6日~8日には首相就任後初のサミットであるハイリゲンダム・サミットに参加、地球温暖化への対策を諸外国に示した。7月3日に久間防衛相の原爆投下をめぐる発言が問題化。当初は問題なしとしていたが、批判の高まりにより、久間に厳重注意を行なった(翌日になり、久間が辞任する)。同月5日第166回国会閉会。

第21回参議院議員通常選挙への与野党の戦いが始まって早々、自殺した松岡の後任である赤城農水大臣もいくつかの事務所費問題が発覚する。安倍はこういった閣僚の不祥事に対しかばうことが多く、処分が甘く、遅いと非難された。選挙中に発生した新潟県中越沖地震では発生当日に遊説を打ち切り現地入りした。2007年の参議院選挙では「年金問題」の早期解決を約束し、「野党に改革はできない、責任政党である自民党にこそ改革の実行力がある」とこれまでの実績を訴えたが、結果は連立を組む公明党との議席を合わせても過半数を大きく下回る歴史的大敗を喫した。

選挙結果の大勢が判明した時点で総理続投を表明。これについては、応援演説において「私か小沢さんか、どちらが首相にふさわしいか」と有権者に「政権選択」を迫るような趣旨の発言をしていたことから内外から続投に対する厳しい批判が出た。また、同年7月31日自民党総務会においても、「決断されたほうがいい」などと党内からも退陣を促す発言が噴出した[19]。赤城農相を8月1日に更迭したが、「遅すぎる」と批判された。選挙結果や批判を受け、8月27日に内閣改造、党役員人事に着手した(安倍改造内閣)。

ところが組閣直後から再び閣僚の不祥事が続発し、求心力を失う。9月9日、オーストラリアシドニーで開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議の終了にあたって開かれた記者会見において、テロ特措法の延長問題に関し9月10日からの臨時国会で自衛隊へ給油が継続が出来なくなった場合は、内閣総辞職することを公約した。

2007年9月10日第168回臨時国会が開催され、安倍首相は所信表明演説を行った。その中で安倍首相は「職責を全うする」などという趣旨の決意を表明した。なお、この表明では自身の内閣を「政策実行内閣」と名づけ、「美しい国」という言葉は結びに一度使ったのみであった。午後には「(改正案を通すのは)厳しいでしょうか」と辞任を示唆する発言を麻生幹事長に漏らしていたが、麻生は「このタイミングで辞めるのはいかがなものか」と慰留していた。

突然の辞意表明と入院、そして内閣総辞職

2007年9月12日午後2時(JST)、「内閣総理大臣及び自由民主党総裁を辞する」と退陣を表明する記者会見を行った。これにより同日予定されていた衆議院本会議の代表質問は中止となった。

辞任の理由として本人は緊急記者会見で「テロ特措法の再延長について議論するため民主党の小沢代表との党首会談を打診したが、事実上断られ、このまま自身が首相を続けるより新たな首相のもとで進めた方が良い局面になると判断した」「私が総理であることが障害になっている」などとした(しかし小沢代表は記者会見を開き「打診を受けたことは1回もない」と否定。なお、小沢代表は党首会談について報じられてからも「意見を変える気はない」ときっぱりと明言しており、これに対し「事実上断られた」と判断した可能性が考えられる)。一方で、自身の健康に不安があるという理由も与謝野馨内閣官房長官が同日中会見で述べている。24日の記者会見で、本人も健康問題も辞任の理由の一つであることを認めた。

もともと胃腸に持病を抱えているといわれており[20]、辞意表明当日の読売新聞・特別号外でもそのことについて触れられていた。また、辞意表明前日には記者団から体調不良について聞かれ、風邪をひいた旨を返答しており[21]、この時点で疲労による体調不良が顕著になっていたとも言える。

それでも臨時国会が開幕し内政・外交共に重要課題が山積している中で、かつ所信表明演説を行って僅か2日後での退陣表明は、まるで「内閣を放り出す、投げやりの辞任」であり如何なる理由があるにせよ極めて無責任であり、古賀誠元自民党幹事長など各界各方面から退陣に至る経緯・理由が不透明であるとする意見が多い。「参院選の後に辞めていればよかった。こういう形の辞任は国民に失礼」(民主党・鳩山由紀夫幹事長)、「所信表明直後の辞任は前代未聞」(共産党・志位和夫委員長)、「『ぼくちゃんの投げ出し内閣』だ。小沢代表との会談が断られただけで辞任するのは子供っぽい理由」(社民党・福島瑞穂党首)などの意見がある[22]9月13日朝日新聞社が行なった緊急世論調査では、70%の国民が「所信表明すぐ後の辞任は無責任」と回答している[23]

なお、麻生太郎自民党幹事長は同日の会見において、記者からの「総理はいつ辞任を決断していたのか」との問いに対し、「2日くらい前といえばそうだし、昨日と言えばそうだし…」などと述べ、麻生幹事長は安倍が近く辞めることを2日前(安倍晋三が臨時国会でテロ特措法の延長ができなければ内閣総辞職すると述べた日と同日)にはすでに知っていたことを明らかにした。

日本国外のメディアもトップニュースで「日本の安倍首相がサプライズ辞職」、「プレッシャーに耐えきれなかった」(アメリカCNN)などと報じた。欧米諸国の報道では批判的な意見も多かったが[24]、安倍内閣の下で関係が良好だった中国韓国台湾のマスコミは同情的な意見が目立った。

退陣表明の明くる13日、慶應義塾大学病院に入院し、検査の結果、胃腸機能異常の所見が見られ、かなりの衰弱状態にあると医師団が発表した。これについても海外メディアで報道され、イギリスBBCは「昨日官邸をチェックアウトした安倍首相は、今日は病院にチェックインした」、「日本は1週間以上も、精神的に衰弱しきった総理大臣を抱えることになる」と報じた。

日刊ゲンダイによれば遠藤武彦農相に不正な補助金疑惑が発覚した際、遠藤の辞任の流れを与謝野馨内閣官房長官と麻生幹事長の2人だけで決めて安倍を排除したことから、安倍が「麻生さんに騙された」と発言したと言われる[25]。 この内容について9月14日報道ステーションが麻生にインタビューで問い質したところ、麻生は「(9月14日に安倍氏の見舞いに行った時)『そんなこと言われて与謝野とふたりで困っている』と安倍総理に言ったら、『そんなこと言ってない』と笑っておられました。どなたかが意図的に流したデマでしょう」と反論をしている。同日のNEWS ZEROは、番組終盤に安倍の「麻生さんに騙された」という発言を速報という形で伝え、麻生と安倍との間に不穏な空気が流れていたとする報道を行った。

また、自民党の若手による「麻生-与謝野クーデター説」について与謝野官房長官は、9月18日の閣議後の会見において明確に否定した。さらに麻生幹事長は9月19日に「事前に安倍首相の辞意を知っていたのは自分だけではない」とし、与謝野官房長官も同日「中川(秀直)さんは11日(辞任表明の前日)に安倍さんに会っていて、知っていてもおかしくない」と、中川前幹事長も事前に安倍の辞意を知っていたことを示唆した[26][27]

安倍内閣メールマガジン9月20日配信分において「国家・国民のためには、今身を引くことが最善と判断した」とのメッセージのもと、これをもって最終号を迎えた[28]

なお、病院側は、安倍首相の容体は回復軌道には入っているものの退院できる状態ではないとした。9月21日は安倍首相53歳の誕生日だが、病院で誕生日を迎えることになった[29]。このように安倍首相は退陣まで公務復帰できなかった状況だが、与謝野官房長官は「首相の判断力に支障はない」と内閣総理大臣臨時代理は置く予定はないという方針をとっていた[30]。20日の官房長官会見では「首相は辞任と病気の関係を説明するべき」としていた[31]

9月23日に行われた自民党総裁選には欠席して前日に不在者投票を行い、前総裁のあいさつは谷川秀善両院議員総会長が代読した。

9月24日17時、慶應義塾大学病院にて記者会見を行い、自身の健康状態及び退陣に至る経緯について「意志を貫くための基礎体力に限界を感じた」と釈明し、政府・与党、国会関係者並びに日本国民に対して「所信表明演説後の辞意表明という最悪のタイミングで国会を停滞させ、多大な迷惑を掛けたことを深くお詫び申し上げたい」と現在の心境を開陳、謝罪した。また、自民党若手による「麻生クーデター説」については本人の口から改めて否定された[32]。さらに、首相としての公務に支障があったにも関わらず臨時代理を置かなかったことについては「法律にのっとって判断した」としたが、これについては政府内でも批判の声があった[33]

9月25日の安倍内閣最後の閣議に出席し、国会へ登院して衆議院本会議での首班指名選挙に出席する意思を明らかにした。9月25日の安倍内閣最後の閣議で閣僚全員の辞職願を取り纏めて内閣総辞職した。安倍前首相は最後の閣議の席上、全閣僚に対して一連の事態に対する謝罪及び閣僚在任に対する謝意を述べた。26日には皇居で行われた福田康夫首相の親任式に出席した後、再び病院へと戻った。なお、安倍内閣の在職日数は一年あまりとなる366日であり、日本国憲法下では歴代7位の短期政権となった。改造内閣はわずか31日の短命に終わった。

その後、入院していた慶応大学病院を離れ、東京・富ケ谷にある私邸での自宅療養に入っている。あくまでも「一時帰宅」であるが、症状が順調に回復すれば、そのまま退院できるということである[34]。年内は自宅療養を続けるという[35]

11月13日新テロ特措法案の採決を行なう衆議院本会議には「はってでも出たい」と出席し、白票を投じた。安倍前首相が国会に登院するのは、9月25日の首班指名選挙以来のこと。後の記者会見において安倍前首相は「回復しました」と辞任会見時とは打って変わった元気な様子を見せた。

略歴

主な所属議員連盟

政見・政策

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

国家像

美しい国も参照

総裁戦直前の2006年7月19日に自らの政治信条を綴った自書『美しい国へ』を出版し、10刷・51万部以上を発行する[36]ベストセラーになった。政権スローガンも「美しい国日本を作る」とし、自身の政権を「美しい国づくり内閣」と命名した。自身の政権の立場を“「戦後レジーム(体制)」からの新たな船出”と位置づけている。現行憲法を頂点とした行政システムや教育、経済、安全保障などの枠組みが時代の変化についていけなくなったとし、それらを大胆に見直すとしている。

現行憲法をアメリカからの“押し付け憲法”とし、これまでの日本の歴史認識を自虐的な東京裁判史観とする保守層からは好意的に迎えられる一方、左派からは内閣発足当初から集団的自衛権を容認しアメリカに追従する軍国主義的な体制を作ろうとするものではないかという懸念が示されている[37]。また「美しい国」という理念について、何が・また何を以って“美しい”とするのかはっきりせず、抽象的であるとする批評もある[38]

2007年2月21日、首相官邸でアメリカのディック・チェイニー副大統領と会見する安倍晋三。
2007年2月21日、首相官邸でアメリカのディック・チェイニー副大統領と会見する安倍晋三。

憲法

総裁選では施行60周年を迎えた日本国憲法を改正すると宣言し、総理就任後の国会で、「現行の憲法は、日本が占領されている時代に制定され、60年近くを経て現実にそぐわないものとなっているので、21世紀にふさわしい日本の未来の姿あるいは理想を憲法として書き上げていくことが必要と考えている」と述べた[39]。また“私は、国会議員になった当初から改憲論者だが、3つの点で憲法を改正すべきだと主張してきた。第一の理由だが、現行憲法は占領軍の手によって、憲法の専門家ではない人たちによって2週間そこそこで書き上げられた、と言われており、やはり国の基本法である限り、制定過程にもこだわらざるを得ない”と述べた[40]

改憲のための国民投票法案日本国憲法の改正手続に関する法律)の整備をおこなうが、選挙に向けて野党の反対を押し切り成立させたためメディアでは法案の不備について批判が出た。

安全保障

米国により要請された日本版「国家安全保障会議」(NSC)構想の推進した。総理就任以前は憲法改正に関しては集団的自衛権の容認を打ち出して来た。総理就任後は、防衛庁を防衛省へ格上げした。これは「戦後レジーム(体制)から脱却し、新たな国造りを行うための第一歩」と意義付けられた。

2006年11月14日、安倍内閣は閣議で、核保有についての鈴木宗男質問主意書[41]に対して、「政府としては、非核三原則の見直しを議論することは考えていない」と強調しながらも、「核兵器であっても、自衛のための必要最小限度にとどまれば、保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」との答弁書[42]を出した。

塩崎恭久官房長官とハーバード大学を訪れた安倍晋三
塩崎恭久官房長官とハーバード大学を訪れた安倍晋三

教育

教育基本法を改正し、教育の目標の一つとして愛国心という言葉を盛り込んだ他、義務教育9年の規定や男女共学の項を削除、国家による教育統制の色合いを強めた。内閣府直属の「教育再生会議」を立ち上げた。その他、学校週五日制の見直しや大学進学の条件として社会奉仕活動の義務化を提唱した[43]。その他の政策としては、教育バウチャー制度の導入を検討、「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト」の座長を務め、自民党の山谷えり子らと共にジェンダーフリー教育に対する批判等を行った[44]。 今回の教育基本法の改正について“一条から改正条項を入れて十一条までの今までの法案はわりと簡素なものだ。読むと、個人の権利等々から、いきなり人類普遍の価値という原理まで飛んでおり、一見、大変立派なことが書いてあるが、そこには家族や、郷土、歴史、伝統、文化そして国など、(私たちが)大切にしなければいけないものがすっぽりと抜け落ちている。  「日本人として生まれたことに誇りを持つ」ためには、そうしたことをしっかりと子どもたちに教えていくことが大切ではないか。 また、「世界から尊敬されている」ということも、誇りが持てるということにとって、とても大切だ。世界に貢献していく際に「日本はこういう理想を持っており、こういう世界を実現していきたい」と、しっかりと述べていく必要がある。”と述べている[45]

労働政策

再チャレンジ政策
小泉政権下によって生じた都市と地方の歪や不安定雇用の増加やいわゆる格差社会の是正を掲げ、再チャレンジ政策の一環としてフリーター正社員として採用するよう企業に要請しているが、2006年8月の 経団連が会員企業に行なったアンケートによると、フリーターの正規社員採用に約9割が消極的であるとの結果が出ており、現状での成果は出ていない。「ワーキングプアと言われる人たちを前提に言わばコストあるいは生産の現状が確立されているのであれば、それはもう大変な問題であろう」と述べ、「企業も非正規雇用者が正規社員へ常にチャレンジができるように積極的に取り組むことが、中、長期的には企業への信頼感、活力も高まる」という旨の考えを示しており、偽装請負等に関しても、「法令労働基準法に反していれば厳格に対応していく」旨を述べている[46]
ホワイトカラーエグゼンプション(事務職残業手当適用除外制度)
日米投資イニシアチブ報告書」に基づき、この制度を導入する予定であったが、 メディアで「残業代ゼロ法案」と批判的に報じられ、国民の多くが反対したことから、2007年1月17日、「現段階では国民の理解を得られない」として、国会提出を断念する意向を示した。
最低賃金
2007年1月26日の初の施政方針演説では見直しを行うとしていたが、4日後の衆議院での日本共産党の質問に対する答弁では最低賃金の抜本的引き上げは、「中小企業を中心に労働コスト増で、かえって雇用が失われ非現実的だ。」としている[47]。2007年3月の参議院の予算委員会では、「最低賃金制度を生活保護以上にしていくという改正を行ない、成長力底上げ戦略を進めていく中で、中小企業と労働者の生産性を上げることによって、最低賃金も上げるという二段構えの仕組みを検討している」考えを示した[48]
格差問題
格差はいつの時代もあるわけであって、格差を全くなくすことはこれは不可能であろう」、「努力した人が報われる社会をつくっていく、汗を流した人、頑張った人が、知恵を出した人が報われる社会をつくっていかなければいけない」、「結果平等の社会をつくろうとは全く思っていない」、「格差においては、これは不公平、不公正な競争の結果であってはならないし、また、社会的にこれはやはり容認できないという格差であってはならない」、「格差が固定化されてはならない」と述べている[49]
行政
道州制の導入を検討。
治安政策
組織犯罪処罰法(いわゆる「共謀罪法案」)について、「国際社会で組織犯罪に対応していく役割を果たす上で早期に「国際組織犯罪防止法条約」を」批准をする必要がある」として2007年1月25日召集の通常国会で成立を図るよう指示したが、反対する世論や自民党内からの反発も強いため、継続審議となった。
党運営
郵政民営化時の造反議員を復党させた(郵政造反組復党問題)。これに対しては国民から強い反発が出たため、支持率はその後低下した。
社会保障
中国残留孤児問題における訴訟では請求を取り下げられた原告団に面会し、新たな支援を検討していくことを確認した。2007年2月23日に、熊本市慈恵病院赤ちゃんポストの設置を計画していることについて、「ポスト」という名前や匿名で子供を置いていけるものだということに大変抵抗を感じると反対の意向を示した[50][51]年金記録問題では民主党の小沢一郎との党首討論で「消えた年金はどうするのか」という野党からの追及に対し「年金は消えたわけではない」として具体的な救済案を提示し、1年で紛失記録の照合作業を終えると約束して自民党の公式HPでも宣伝したが、メディアや専門家からはその実現性に対して懐疑的な意見が出されている。

外交

下記の歴史認識も参照

日中・日韓関係を改善し、東アジア共同体の構想に強い意欲を示す。新自由主義政策・グローバル資本主義を推進した。

2006年のAPECにて、韓国の盧武鉉大統領とブッシュ大統領と、安倍晋三。
2006年APECにて、韓国盧武鉉大統領とブッシュ大統領と、安倍晋三。
大韓民国
韓国の親米保守勢力(現在はハンナラ党)とは韓国が朴正煕軍事独裁政権だった頃から国際勝共連合などを通じ代々親しく、安倍も首相になってから「韓国はまさに日本と同じ価値観を持っております。」と親韓的な発言をしている[52]
中華人民共和国
2006年の自民党総裁選では、ありのままの日本を知ってもらう為に多くの中国人留学生を受け入れるべきと主張し、小泉政権時に悪化した日中関係の改善に意欲を見せた。首相就任後、真っ先に訪中して胡錦濤国家主席と会談する。この訪中は中国側から「氷を砕く旅(破氷之旅)」と呼ばれて評価された。
朝鮮民主主義人民共和国
2007年2月12日に来日したチェイニー米副大統領に、拉致問題が解決するまで北朝鮮に対するテロ支援国家指定の解除をしないように要請した[53]。3月1日、6者協議日朝国交正常化に関する作業部会への対応について「拉致問題の完全解決、前進を目指して全力を尽くすように」と指示し、エネルギー支援の参加についても「我々が判断をして決めていきたい。北朝鮮が決めることではない。我々が(拉致問題で)納得できなければ前進とは認めない」と強調し、拉致問題を安倍政権の最重要課題とする従来の姿勢を確認した。
ジョージ・W・ブッシュ大統領と会談する安倍首相
ジョージ・W・ブッシュ大統領と会談する安倍首相
アメリカ合衆国
小泉政権により強化された日米安全保障条約をさらに充実させるため在日米軍自衛隊の一体化を目指しており、集団的自衛権行使のための憲法改正も視野に入れている。
オーストラリア

詳細は日豪関係安全保障協力に関する日豪共同宣言をそれぞれ参照

オーストラリアとは「基本的価値観を共有する[54]国家として連帯強化を目指している。日豪FTAの交渉を開始し、2006年12月に合意した。2007年3月13日には安全保障協力に関する日豪共同宣言ジョン・ハワード首相と共に署名した。この宣言にはPKOなどの海外活動や対テロ対策、北朝鮮問題などで日豪が協力する、安全保障協議委員会の設置などが明記されていた[55]。この背景には中国の軍事拡大[56]、対米追随との国内批判があるとされる[57]。一方でハワード首相は、安倍の慰安婦強制動員が無いとの主張を認めず、安倍の歴史認識を批判している[58]

歴史認識

戦争責任・村山談話

総裁選を目前に控えた2006年9月7日、戦前・戦中の「植民地支配と侵略」に対しての国家としての反省と謝罪を示した1995年の「村山首相談話」について、「基本的にその精神を引き継いでいく」と踏襲する意向を明らかにした。その一方で、2006年10月6日、衆議院予算委員会で、A級戦犯について、「戦争犯罪人である」と明言した小泉前総理の答弁を修正し、「国内法的には犯罪者ではない」との見解を示し、戦争責任については「当時の指導者であった人たちについてはより重たい責任があるが、その責任の主体がどこにあるかということについては、政府としてそれを判断する立場にはない」旨を述べた[59]。2006年10月5日、衆院予算委員会で、東条内閣商工大臣だった岸信介が太平洋戦争開戦の詔書に署名したことへの認識を問われ「指導者には祖父を含め大きな責任があった。政治は結果責任だから当然、判断は間違っていた」とも述べている[60]

慰安婦問題・河野談話

日本のこれまでの歴史教育に異議を唱え、「新しい歴史教科書をつくる会」を支援して来た自民党内部の議員連盟日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(1997年2月27日結成)の元事務局長。現在中川昭一と共に顧問を務める。同会は特に侵略戦争や「慰安婦」問題の教科書記述に批判的であり、証拠もないまま旧日本軍による慰安婦の強制連行を認めた「河野談話」を発表した河野洋平を会に呼んで、談話の撤回を要求したこともある。1997年の国会でも、慰安婦の強制連行の根拠とされて来た吉田清治の証言のウソが明らかになっているのに、「河野談話」が生きていることや教科書に慰安婦の記述を載せることは問題であると指摘している[61]。自民党幹事長代理時代の2005年3月27日の講演会でも、「従軍慰安婦は作られた話」と語っている[62]。総理就任後の2006年10月5日には、これまでの主張を封印し、「河野談話」を「私の内閣で変更するものではない」とし、政府としては引き継いでいくことを明言した。しかし、2007年3月1日、河野談話に関する記者の質問に「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と語ったことが国内外から波紋を呼んだ。米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案について、同年3月5日の参院予算委員会において「決議案は客観的事実に基づいていない。」「決議があっても謝罪することはない」との見解を述べた。

社民党の辻元清美の慰安婦問題に関する質問主意書[63]に対して、政府は2007年3月16日の閣議で、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書[64]を出した。その後、日本軍・憲兵等による元従軍慰安婦に対する強制性を示す数々の証言証拠を内外の研究者から示され[要出典]、 2007年4月27日、海外メディアのインタビューに答えて、「極めて痛ましい状況に慰安婦の方々が強制的に置かれたことについて大変申し訳なく思う」(I feel deeply sorry that they were forced to be placed in such extremely painful situations.)  「私たちは、戦時下の環境において、従軍慰安婦として苦難や苦痛を受けることを強制された方々に責任を感じている」(We feel responsible for having forced these women to go through that hardship and pain as comfort women under the circumstances at the time.)とお詫びを表明した[65]

靖国神社参拝

歴史認識を巡って反日騒動が起こった中国韓国の態度を批判し、外国が靖国神社参拝について抗議するのは内政干渉だという見解を持っている[66]。官房長官時代の2006年8月4日の記者会見で、同年4月15日朝に、密かに靖国神社を参拝していた(「内閣官房長官 安倍晋三」と記帳し、ポケットマネーで玉ぐし料を収めた)ことについて質問された際には「参拝したかしないかについては申し上げるつもりはない」と述べた[67]

首相就任後も参拝を続ける意向を示しており、2007年1月17日の自民党大会で決定された運動方針でも「靖国参拝を受け継ぐ」ことが明記されたが、外交問題や政治問題になるのを避けるため自身の参拝については明言しない考えを改めて示した(靖国神社問題を参照)。2007年終戦記念日は、7月の参院選の結果などで首相への批判が集まったことなどから[要出典]、参拝しなかった。

問題の指摘

団体や人物との関係

統一協会国際勝共連合
母方の祖父岸信介、父安倍晋太郎が統一教会及びその関連団体である国際勝共連合と関わりが深いと言われていた(詳細は岸信介の当該記事安倍晋太郎の当該記事を参照)こともあり、晋三が次期総理候補として取り沙汰されるようになって以降、統一教会との関係を指摘をする雑誌等の記事が散見される。
官房長官当時の2006年、統一教会系列の団体である天宙平和連合 (UPF) の集会(合同結婚式も行われたとも言われたが統一教会は否定[68]のイベントに祝電を寄せた(保岡興治やその他の自民党議員も)ことが新聞、雑誌等で伝えられ[69]、社会的に問題の多い団体と関係することへの批判を呼んだ。映像はインターネット上の動画サイトyoutubeにアップロードされ、ネット上で広く話題になった。このイベントで司会者が晋三を「岸信介元総理大臣のお孫さんでらっしゃり」と、岸信介時代からの親密振りをアピールして紹介していた。この件に関して安倍の事務所は「秘書に確認している」との理由でしばしコメントしなかったが、「私人としての立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送付したと報告を受けた。誤解を招きかねない対応で、担当者に注意した」とのコメントを出した。統一教会に批判的なジャーナリスト有田芳生によれば、安倍は統一教会は拉致問題などを行った北朝鮮を経済的に支援しており、霊感商法などの問題で日本の公安当局の監視対象である団体であることから、面会を求められても会わないようにしているという方針を取っていると語ったという[70]
霊感商法被害対策に取り組んで来た「全国霊感商法被害者対策弁護士連絡会」が安倍と保岡に対し、真意や今後の姿勢を問う「公開質問状」を送ったが、二人とも回答をしていない[71]
公明党創価学会
父、晋太郎と祖父の岸信介は創価学会・公明党と関係が深かったと言われ、晋太郎は1985年、大石寺正本堂完成記念の祝典に岸信介の代理で出席して以来、池田大作と何度も面会したという[72]
晋三は、創価学会から支援をもらっていたが、1994年に創価学会と公明党に批判的な宗教団体や有識者で結成された「四月会」(代表幹事:俵孝太郎[73]の集会などに参加したこともあった。創価学会に関する自民党の勉強会『憲法20条を考える会』に参加した次の日、自身の選挙区の公明党の大幹部から電話で釘を刺されたことで、政治的野望を持った創価学会が政界での影響力を拡大して行くことを危険視していたという。1989年に死去した池田大作の次男は成蹊高校時代の同期生である[9]
首相就任直前の2006年9月22日に安倍晋三は、極秘裏に東京都内の創価学会の施設で、池田大作創価学会名誉会長と会談を持ったと主要新聞[74]「『産経新聞』を除く」を初め各種メディアが伝えた。面会は安倍自身の要望だとも伝えられている。祖父、岸信介と創価学会第2代会長の戸田城聖が、父、安倍晋太郎と池田が親しかったことが話題となり、安倍は池田に父がお世話になったお礼を述べ、参院選での公明党、創価学会の協力を要請し、池田は協力を約束したという。また、日中関係の早期改善ということで意見の一致を見たという。同月30日には公明党大会に来賓として出席し、祖父も父も公明党とは交友関係が深かったとして「何か特別な運命を感じる」と語った[75]
その後、国会で池田と面会した事実があったかという野党の質問に対して安倍は「そういうことはございません。」という答弁を繰り返した[76]。2007年2月13日の衆議院予算委員会でも同様に否定した[77][78]
安晋会

安晋会も参照

国会で、 小嶋進 ヒューザー社長(当時)が自分は「安晋会」の会員で、「安晋会」会長の紹介で安倍の政策秘書を紹介してもらい、「耐震偽装問題」に関して国土交通省への対応を働きかけてもらったことを証人喚問で認めた[79]ことでその存在が知られることになった。この私設後援会の代表はかつてはバブル景気の際に自己破産したデベロッパー会社会長であり、建設・不動産業者を中心とした「UDI経営者連合会」という政治団体の理事長の杉山敏隆ヒューザーウェブサイトを運営していた[80]ゴールネット株式会社会長)で、副会長は APAホテル会長の元谷外志雄イーホームズ藤田東吾社長がAPAホテルの耐震偽装の告発した直訴状を安倍晋三に直接手渡そうとしたが追い返された後にその偽装が発覚した)である。また、 耐震偽装事件とも関連があるとの説もあり、ライブドア事件の最中に不審死を遂げたエイチ・エス証券副社長であった野口英昭が理事(経理)になっていた[81]ことが判明したことなどから、「安晋会」は安倍の秘密後援会であり、安倍は耐震偽装問題に関して、業者の利益のために国土交通省に働きかけたのではないかなどの疑惑が出た。安倍は記者会見や国会で小嶋社長またヒューザー社とは一切関係がなく、国交省に対する働きかけは一切していないと明言し、国会では小嶋社長の証言の多くに嘘があると述べた。そして「『安晋会』は後援会とか政治団体ではなく、自分や自分の事務所が管理をしている団体ではない」、「慶応大学の同窓生たちの親睦会で、自分が招待された際に自分の名前をとって『安晋会』と命名した」と説明した[82][83]
慧光塾
光永仁義1947年11月3日-2005年7月13日)が1993年に設立した経営コンサルタント会社。社長の光永は安倍の祖父の岸信介、父の晋太郎とも関係していたと言われ、安倍は父、晋太郎の秘書官時代に光永の設立した「光カメラ販売」(1991年倒産)では取締役に、「光国際通信」では「安晋会」代表の杉山敏隆と共に役員に就任していた[84]
アサリ輸入業者
現在輸入が禁止されている北朝鮮産のアサリを不正に輸出していた業者が、安倍との関係で摘発を逃れていたとする怪文書が2007年にマスコミで騒がれていた。実際、過去に父の安倍晋太郎と件のアサリ業者との癒着はあったが、安倍晋三との関係は無かったとされる[85]

NHKへの圧力の疑惑

朝日新聞』(2005年1月12日付)は、『安倍と中川が、旧日本軍の「従軍慰安婦」問題や昭和天皇の戦争責任などを裁く「VAWW-NETジャパン」主催の模擬法廷「女性国際戦犯法廷」を取り上げたNHKの番組の放映前に、NHK幹部を議員会館に呼びつけ圧力を掛けて番組内容を改変させた』と報じた。安倍は「関係者から偏った内容であることを知らされ、NHKがとりわけ求められている公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘した」「自分が呼びつけたのではなく、NHKが予算の説明に来た中で、番組の説明があった際に、公平・公正な報道を要望しただけで、改変や中止を求めたことはない。」などの反論を行なった。結果的に番組内容は大幅に改変されたが、NHKは「編集は安倍氏との面会以前から行なっており、自主的な判断に基づいての編集である」と説明。安倍は17日付で通知書を朝日新聞本社に送り、事実と相違する記事に関して、謝罪と釈明、訂正記事の掲載を求めた。2005年1月19日のテレビ朝日系『サンデープロジェクト』では「NHKから『非常にバランスのとれた番組になっている』という説明を聞き、『じゃあ公平公正にお願いします』と(言った)」と語った。当時のNHK放送総局長は「政治介入があったとは、まったく感じていない」と会見で述べたが、ジャーナリストの魚住昭は流出した『朝日新聞』の記者の取材メモを基に『月刊現代』9月号で圧力はあったと結論づけ、安倍を批判。これに対し安倍は「重要な発言がカットされ、都合のいい部分だけを抜き出している」と反論しつつ、「資料の信憑性も含めて決定的証拠とはいえない。ただ、私の承諾を得ずに取材が録音された可能性は高まった」と一部記事の具体性は認めた。この件で『朝日新聞』は内部取材情報の流出を謝罪した。なお、この問題は取材を受けた市民団体が主催者側の意図に反する内容に改変されたとして、NHK側に慰謝料を求める訴訟を起こしている(訴えは番組内容の改変そのものに対するものであり、提訴は朝日新聞の報道より遙かに前の2001年である)。この裁判に於いて東京高裁は2007年1月29日に「(安倍氏ら)相手方の発言を必要以上に重く受け止め、当たり障りのない番組にすることを考え、改変が行われた」との判断を示し、NHK側が敗訴した。政治家の圧力という点に関しては「政治家が一般論として述べた以上に本件番組に関して具体的な話や示唆をしたことまでは、認めるに足りる証拠はない」と判断された。この判決に関し、安倍は「政治家が介入していないことが、極めて明確になった」とコメント。一方NHKは『番組編集の自由を極度に制約するもの』とコメント、判決を不服として上告している[86]。詳細については、女性国際戦犯法廷の当該項を参照のこと。

脱税疑惑

週刊現代は2007年9月29日号(9月15日発売)において、安倍が相続税脱税していたとの記事を掲載した。

週刊現代は安倍の辞意表明当日に、以前から脱税疑惑についての取材を安倍に申し入れていたことを明らかにした[87]。一方で安倍の事務所は「事実無根である」と反論し、週刊現代を発行する講談社に対して、該当記事を掲載しないよう「警告文書」を送った。事務所の関係者によると、父である晋太郎が個人資産を政治団体に寄付し、相続税の支払いを免れたのではないか、との質問が週刊現代からあったという。同事務所は、「収支報告書には、あくまでも第三者からの寄付を晋太郎氏名義で記載しているにすぎない」として、全面的に否定している。 また、本件は脱税であろうがなかろうが刑事事件としては既に時効が成立しているが、週刊現代は財務省相続税担当官の話として「これが事実なら明らかに脱税」、「自主的に納めていただきたい」などを掲載した。

問題を指摘された発言

  • 2002年2月早稲田大学での講演会(非公開)における田原総一朗との質疑応答で、「小型であれば原子爆弾の保有や使用も問題ない」、と発言したと『サンデー毎日』 (2002年6月2日号)が報じて物議を醸したが、安倍は同年6月の国会で「使用という言葉は使っていない」と報道の間違いを指摘し、政府の“政策”としては非核三原則により核保有はあり得ないが、憲法第九条第二項は、国が自衛のため戦力として核兵器を保持すること自体は禁じていないとの憲法解釈を示した岸内閣の歴史的答弁(1959年、1960年)を学生たちに紹介したのであると説明した[88]
  • 2002年10月19日広島市岡山市の講演において「1985年に韓国入国を図り逮捕された辛光洙(シン グァンス)容疑者を含む政治犯の釈放運動を起こし、盧泰愚政権に要望書を出した人たちがいる。それが土井たか子、あるいは菅直人だ」「この2人は、スパイで原さんを拉致した犯人を無罪放免にしろといって要望書を出したという、極めてマヌケな議員なんです」と発言した。この発言は両議員から抗議を受け、同月25日の衆院議院運営委員会の理事会で取り上げられたが、安倍は土井、菅らの対応に「抜かりがあったと思い発言をした。」、「言葉が不適切という批判かもしれないが、事実を受け止めていただきたい」とし、辛容疑者に拉致されたとされる被害者とその家族の気持ちを代弁したと説明した[89]
  • 東武東上線ときわ台駅自殺しようとした女性を救おうとして殉職した、警視庁板橋署の巡査部長2007年2月12日夜に弔問した際、故人の勇気ある行為を讃えるコメントで、名前を2度にわたって間違えた[93]。首相公邸連絡調整官(妻・昭恵の補佐員)と混同したのでは、と言う声が上がっている。これについて、作家の吉川潮は産経新聞のコラムで「『名前ぐらい、ちゃんと覚えて行け!』と叱りたくもなる」「総理の人間性にも問題があるのではないかと思ってしまう」と批判をしている[94]
  • 松岡利勝農水相自殺に関して、「慚愧に堪えない」(恥ずかしくて仕方がない)とコメントした。メディアなどで不適切なコメントだと批判され、「慚愧」の意味を取り違えていたのではないかと推測されている。また、同時に「捜査当局から『松岡大臣や関係者の取り調べを行っていたという事実もないし、これから取り調べを行うという予定もない』と発言があったと聞いている」などとコメントし、捜査当局から首相官邸に連絡があったかのようなコメントであるとして話題になった。
  • 2007年参院選期間中の講演等で「(今回の選挙で)私と小沢さん、どちらが首相にふさわしいかを国民に問いたい」といった発言を繰り返した。選挙の結果、自民党は惨敗したが首相続投を表明し、自民党内からも批判の声が相次いだ。

人物像

身体
血液型B型身長175cm、体重70kg[95]
座右の銘
吉田松陰の「至誠にして動かざるもの、これいまだあらざるなり」[96]。「初心忘るべからず」[97]
愛読書
古川薫の『留魂録の世界』(留魂録は吉田松陰の著作である)[96]
尊敬する人物やファンである人物
幕末期の思想家吉田松陰を尊敬する。彼の地元・山口県には松陰の松下村塾があり、そこの門下生だった高杉晋作から「晋三」の名が付けられた[98]
現在では非常に親しい間柄である(後述)アグネス・チャンは、2、30代のころファンだった[99]
好物
安倍の好物は焼き肉ラーメンアイスクリームスイカ[7][96]子供の頃から変わらない好みらしい[100]。甘党として知られ、フジテレビ系の深夜番組「百識〜百で知るひとつの知識〜」によれば、ナポリアイスクリームのPUPUと、東京の両国の洋菓子店MARRY'Sのマンゴープリンが好物だという(MARRY'Sのパティシエは安倍の同級生)[101]
2007年4月下旬の昼に総理官邸の大会議室に番記者を招き昼食を食べながら懇談したが、食事は政治家の昼食会合の定番のカレーライスだったが、安倍だけはハヤシライスであった。政界では安倍のハヤシライス好きは有名であり、また、カレーのような辛いものは下痢になりやすい体質なので苦手であることを記者団に語った[102]
アーチェリー
大学時代アーチェリーをしていた安倍は、2005年に全日本アーチェリー連盟の第6代会長に就任している(前任は同じく首相経験者の海部俊樹、父の安倍晋太郎も第4代会長である)[103]。2007年3月25日に連盟は総会で再び会長に推薦することを決定し[104]、これを受託したため、14日の理事会で2期目を務めることなった[105]。首相であるため、職務は副会長が代行することになっている[106]
2006年4月28日フジテレビのバラエティ番組では、明石家さんまとアーチェリーで対決、その腕前をテレビで始めて披露した[107]
ファッション
寒がりである[108]ため、小池百合子環境大臣の音頭でスタートしたクール・ビズの一環である「国会内はワイシャツ・ノーネクタイ」が導入された当初は背広で通していた。[109]。しかし、東京新聞の政治ネットモニター調査では、クールビズが似合う政治家第二位となった[110]。2002年、清潔感を大切にしたファッションを心がけていることが評価され、政治経済部門でベストドレッサー賞を受賞。「いつも私の服をチェックしてくれる妻が受賞したようなもの」とコメントした[111]。一族では大叔父の佐藤栄作が1973年、兄嫁の父である牛尾治朗が1981年に受賞している。
アグネス・チャン
アグネス・チャンとは20年も親交がある友人で[112][113][114]、よく食事を共にする[115]。2、30代の頃、彼女の熱心なファンであったが[99]、外交官秘書時代にテレビ番組で知り合った[116]。アグネスは安倍の結婚式に出席して祝辞を述べ[115]、「草原の輝き」を歌った[116]。安倍も彼女の結婚式に出席したが、彼女の結婚にがっかりしたという[99]。アグネスの政界入りの噂にも、背後に安倍との関係があったとされる[99]。また、2007年にはアグネスのデビュー35周年を記念するアルバムのために、安倍は「平和」をテーマにした歌詞作詞した[112][113]
その他
宗教団体幸福の科学は、安倍晋三の人気の秘密は過去世大伴家持であるからという説を雑誌に掲載した[117]

家族 親族

家庭
昭恵夫人は韓流スターや韓国ドラマが大好きで韓国語までも習得したほどである。ファーストレディの親韓的な姿勢が、小泉政権によって悪化した日韓関係の改善につながるのではと期待されて来た。安倍の首相就任後の訪韓の際にも同行し、その流暢な韓国語で好意的に迎えられた。
昭恵夫人との間に子供はいないが、ミニチュアダックスフントの愛・ロイがいる。ロイは安倍晋三が首相官邸に引っ越す際に、安倍夫妻の環境の変化への不安を理由に、私邸で留守番をすることを余儀なくされた(現在も留守番中)[118]。ロイはこのことが非常に辛いようである[119]
系譜
安倍家は、山口県大津郡日置村(後に油谷町に分割→現長門市)の大地主であり醤油醸造を営んでいた。祖父の安倍寛が日置村村長、山口県議会議員などを経て、1937年、衆議院議員に当選し政治一家となった[120]
共同通信社」出身のジャーナリスト古沢襄によると、安倍晋太郎は自分たち安倍家のルーツは岩手県(安倍氏 (奥州))であり、安倍宗任の末裔だと言っていたという。安倍宗任は1051年前九年の役にて源頼義源義家率いる源氏に破れ、大宰府に配流された奥州(陸奥国)の豪族の一人である[121]
         (元首相) 
                    吉田茂━━桜子     
                 ┃
          吉田祥朔   ┃
            ┃    ┃
            ┣━━━吉田寛
            ┃
           ┏さわ
           ┃
           ┣佐藤寛 
佐藤信寛━━佐藤信彦━┫
           ┣佐藤松介
           ┃
           ┗茂世 ┏━佐藤市郎
            ┃  ┃     
            ┣━━╋━岸信介━━━┳岸信和
            ┃  ┃(元首相)   ┃  
           ┏岸秀助┗━佐藤 作  ┗洋子
           ┃    (元首相)   ┃
       岸要蔵━┫            ┃  ┏安倍寛信
           ┃            ┃  ┃
           ┗岸信政━良子      ┃  ┃
                        ┣━━╋安倍晋三
      大島義昌━秀子           ┃  ┃(元首相)
            ┃           ┃  ┃
          本 恒次郎━静子      ┃  ┃
                ┃       ┃  ┗岸信夫
                ┣━━━━安倍晋太郎 
                ┃           
   安倍慎太郎……安倍彪助━安倍寛                      

著書

参考文献

脚注

  1. ^ a b c d e 梶川浩伸. “夕刊フジ特捜班「追跡」-3回生の衝撃- ~「安倍晋三」大研究(2)~夕刊フジ. 2007年9月26日閲覧.
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  20. ^ 安倍首相、慶応病院に検査入院、読売新聞。2007年9月13日
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関連項目

外部リンク

歴代内閣総理大臣
89
小泉純一郎
90
2006年 - 2007年
第91代
福田康夫

伊藤博文
黑田清隆
山縣有朋
松方正義
大隈重信
桂太郎
西園寺公望
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次代:
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先代:
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第72代: 2005 - 2006
次代:
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先代:
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第37代: 2003 - 2004
次代:
武部勤
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