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弘世現

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(最終更新 2007年11月13日 (火) 22:19。)

弘世現(ひろせげん 1904年5月21日-1996年1月10日)は実業家日本生命5代目社長。「日本生命中興の祖」と呼ばれた弘世助太郎娘婿

目次

来歴・人物

1904年5月、東京成瀬隆蔵の6男として生まれる。このうち長男の成瀬達が日本生命四代目社長、三男の成瀬雄吾は元第一火災海上社長。成瀬家は、二条関白藤原良基の末裔で、尾張・犬山城の城主だった成瀬隼人正を先祖とする門閥である。初等科から高等科まで学習院に学び1928年東京帝国大学経済学部卒業。卒業と同時に弘世家の婿養子となる。弘世家は嵯峨源氏の流れを汲むとされており旧彦根藩の御用商人であった。

最初に三井物産に入社した。そこで16年間過ごし、1944年日本生命の取締役として転身した。1948年6月、株式会社であった日本生命が相互会社として再出発した直後に44歳で、5代目社長となった。1982年まで35年間にわたり社長を務めた。「生保界の至宝」とも呼ばれ、1976年に、オハイオ州立大学内にある「保険の殿堂」入りを果たした。また劇団四季の若きリーダー浅利慶太や作家石原慎太郎のスポンサーとなり日生劇場を実現させた生みの親でもある。その他には朝日放送近畿日本鉄道高島屋などの取締役をそれぞれ務め、経団連理事としても活躍。

社長時代の1974年11月3日勲一等瑞宝章授章。1996年1月10日、死去。享年91。

閨閥

弘世現は、一男・三女を得た。嫡男の源太郎だが、慶應義塾大学を卒業すると、父と同様、三井物産に入社した。そして、現の後を継ぐべく、1970年(39歳の時)日本生命の取締役として迎え入れられるが、帝王学を修行中の1976年、45歳の若さで急逝してしまう。源太郎の妻の信子は、その曾祖父に旧公爵で元首相の松方正義がおり、現の兄・成瀬雄吾の妻の父は、元三越取締役の益田英作。その兄弟には初代三井物産社長で旧男爵・益田孝がいる。

長女・宣子は、関西の山林王といわれた材木問屋「岡橋」社長の岡橋泰一郎に嫁いだ。この泰一郎は、創業者助三郎と縁の深かった岡橋治助の曾孫である。そして泰一郎と宣子の娘が、松下幸之助の孫にあたる正幸に嫁ぎ松下家と係累を結ぶことになる。

二女の準子は、サントリーの鳥井一族の末弟・鳥井道夫(サントリー名誉会長)の嫁となった。鳥井家の閨閥を広げたのは、長兄吉太郎の妻・春子で、彼女は阪急王国の創設者で関西財界の元老だった小林一三の娘である。したがって、この係累から弘世家は小林家とも縁戚となっている。

さらに、弘世家の閨閥をいっそう豪華にしたのは三女・正子で、旧皇族久邇宮朝融王の長男久邇邦昭に嫁いだ。この久邇宮は、昭和天皇の香淳皇后の生家であり、邦昭はその甥にあたる。この久邇宮を通じて、旧伯爵家の梨本家、近江の名門西川一族、旧男爵家で古河財閥の古河家にも繋がる。

日本生命歴代社長

  • 鴻池家第11代当主・鴻池善右衛門(日本生命初代社長)
  • 片岡直温(日本生命2代目社長)
  • 弘世助太郎(日本生命3代目社長)
  • 成瀬達(日本生命4代目社長、弘世現の実兄)
  • 弘世現(日本生命5代目社長)

著書

ウィキペディアでの『弘世現』の改訂履歴
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