戦車は装甲戦闘車輌の一種。履帯で走行し、火砲を搭載した旋回砲塔を持ち、なおかつ強固な装甲防御を持つ。現代の戦車はほぼ主力戦車(MBT)の事を指し、走攻守そろった花形兵器である。戦車は戦う車の総称ではないため、自走砲や装甲車とは区別される。
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塹壕戦の様相を呈した第一次世界大戦時に戦線突破を目指した兵器として発明される。戦間期から第二次世界大戦にかけて様々な形態の戦車が登場した。戦車の性能が向上した第二次大戦後は戦車に求められる機能を殆ど担える主力戦車に統合され現在に至る。
主力戦車の登場にいたるまでの戦車の多様性はさながら進化爆発だった。車体のサイズでは最低限の機能を持つ豆戦車、軽便な軽戦車、主力となる中戦車、火力装甲にすぐれる重戦車など。目的別では歩兵支援をする歩兵戦車、機動戦を行う巡航戦車、対戦車戦闘を行う駆逐戦車。構造では陸上戦艦のごとき多砲塔戦車や牽引砲を搭載した砲戦車、火炎放射器などを搭載した工兵戦車など。厳密には戦車ではなく自走砲である対空戦車や突撃砲など。
1915年3月、当時海軍大臣であったウィンストン・チャーチルの肝いりにより、海軍設営長官を長とする「陸上船委員会」が設立され、装軌式装甲車の開発が開始された。その委員会によって開発された最初の戦車は、当初「水運搬車 (Water Carrier)」という秘匿名称が付けられていた。ただ、英国では委員会を設置する際、その頭文字で呼ぶ風習があったが「W.C.(便所)委員会」では都合が悪い。そこで「T.S.(Tank Supply=水槽供給)委員会」と呼ぶことにした。これにより戦車は「タンク」と呼ばれるようになり、のちに正式名称になった。この語源については「戦車を前線に輸送する際に偽装として『ロシア向け水タンク』と呼称した」など諸説あるものの、以後戦車一般の名称として定着した。
日本においては「war cart」を直訳し「戦車」と呼ばれている。ただし、第二次世界大戦後の自衛隊は攻撃的名称を忌避して、「特車」と呼称していたが、昭和37年1月に「戦車」と改称する。ちなみに中国語では「戦車」は古代戦車(chariot)を意味し、近代戦車はtankを音写して「坦克」と呼んでいる。
ドイツでは Panzerkampfwagen(装甲・戦闘・車輌)の略称として Panzer (パンツァー)が一般的である。Panzer は英語の armour と同様に中世騎士の金属製の甲冑・鎧を意味するが、現在ではこの意味では Panzer よりも Rüstung という表現が多く使用されている。
英語では Panzer という語は第二次世界大戦のドイツ軍戦車を指す一般名詞化している。
戦車の名称は、兵器としての制式名称と、軍や兵士達によって付けられた愛称とに大別される。愛称については配備国により慣例が見られる。アメリカは軍人の名前から、ドイツは動物の名前、ソ連・ロシアの対空戦車は河川名に因んでいる。イギリスでは主に「C」で始まる単語が付けられており、日本は旧軍・自衛隊共に愛称はなく制式名で呼ばれているなど、各国の国民性も垣間見られる。
近代戦車の嚆矢は第一次世界大戦中、イギリス陸軍によって開発されたMk.I戦車である。
それまでも内燃機関の発達にあわせて装甲車、あるいは初期の自走砲に似た車輌は開発されていたものの、いずれも車輪走行式であったために路外行動能力が低かった。第一次世界大戦で主戦場となったヨーロッパでは大陸を南北に縦断する形で塹壕が数多く掘られたが、初期の装甲車では巧妙に構築された塹壕線、機関銃陣地、有刺鉄線などを突破することが出来なかった。また第一次世界大戦では敵対する両軍が互いに激しい砲撃の応酬を行った為、両軍陣地間にある無人地帯は土がすき返され、砲弾跡があちらこちらに残る不整地と化しており、これも装輪式車両の前進を阻んでいた。この状況を打破するため、歩兵支援用の新兵器としてMk.I戦車が初めて実戦に投入されたのが、1916年9月15日、ソンム会戦の中盤での事だった。
初の実戦参加であったソンム会戦でMK.I戦車は局地的には効果を発揮したものの歩兵の協力が得られず、またドイツ軍野戦砲の直接照準射撃を受け損害を出したため、結局膠着状態を打破することは出来ず連合国(協商国)の戦線が11km余り前進するにとどまった。その後、第一次世界大戦中にフランス、ドイツ等も戦車の実戦投入を行ったものの、戦場の趨勢を動かす存在にはなり得なかった。
初めて「近代戦車」としての基本形を整えたのはフランスのルノーFT-17軽戦車であった。
それまでの車台に箱型の戦闘室を載せる形ではなく、直角に組み合わせた装甲板で車体を構成した。横材となる間仕切りで戦闘室とエンジン室を分離し、エンジンの騒音と熱気から乗員を解放した。小型軽量な車体と幅広の履帯、前方に突き出た誘導輪などによって優れた機動性を備えており、良好な視界を得るために設けた全周旋回砲塔は単一の装砲での360度の射界を確保した。
ルノーFT-17は3,000輛以上生産された当時もっとも成功した戦車であり、第一次世界大戦後は各国に輸出され各々の国で最初の戦車部隊を構成して、初期の戦車設計の参考資料となった。
第一次世界大戦から第二次世界大戦の間、各国は来るべき戦争での陸戦を研究し、その想定していた戦場と予算にあった戦車を開発することとなった。敗戦国ドイツも、べルサイユ条約により戦車の開発は禁止されたものの、農業トラクターと称してスウェーデンでも戦車の開発、研究を行い、また当時の国際社会の外れ者であるソ連と秘密軍事協力協定を結び、赤軍と一緒にヴォルガ河畔のカザンに戦車開発研究センターを設けた。
第二次世界大戦中を含め、各国において開発されたものは巡航戦車、歩兵戦車、多砲塔戦車、豆戦車、軽戦車、中戦車、重戦車など多岐にわたった。これは戦車の運用に対する様々な戦術が新たに研究・提案された結果ではあったが、その多くは一長一短があり、最終的には武装・装甲・機動力でバランスの取れた主力戦闘戦車(MBT)としてほぼ統一されることとなるのは第二次世界大戦後である。第二次世界大戦では、戦術的に、戦車を中心に、それを支援する歩兵、砲兵など諸兵科を統合編成された機甲師団がその威力を証明した。
なお、用途に応じた戦車として、偵察戦車、指揮戦車、駆逐戦車、火炎放射戦車、対空戦車、架橋戦車、回収戦車、水陸両用戦車、地雷処理戦車、空挺戦車などが造られている。これらの殆どは、既存の戦車の車体や走行装置を流用して製作されている。
大戦後の戦車の開発には、東西の冷戦が大きく影響している。双方で主にヨーロッパにおける地上戦を想定した軍備拡張が行われ、その中心である戦車の能力は相手のそれを上回る事が必須条件であった。そのため、ソ連を中心とする東側諸国が新戦車を開発すると、その脅威に対抗すべく米欧の西側諸国も新戦車を開発するというサイクルが繰り返された。その結果、大きく下記の様に世代分類されている。米ソが直接交戦する事態こそ無かったものの、朝鮮、中東、ベトナムなどでの代理戦争において、双方の車輌が刃を交わす事となった。
イスラエルとアラブ諸国が争った中東戦争ではしばしば大規模な戦車戦が繰り広げられた。特に1973年10月に勃発した第四次中東戦争ではアラブ側・イスラエル側併せてのべ6,000輌の戦車が投入され、複数の西側製戦車とソ連製戦車が正規戦を行った。これは第二次世界大戦のクルスク大戦車戦以来の規模となり、以後の戦車開発に戦訓を与えた。
多くの現代兵器がそうである様に、戦車は最先端の技術を要求される工業製品である。強力なエンジンと走行装置、強靱な装甲板、高い加工精度を要する戦車砲と砲弾、それを正確に操る精密な火器管制用の光学電子機器、そして乗員を護る空調換気装置。こうした数多くの要素の一つでも欠けていれば優秀な戦車は産み出せない。そのため開発はもちろん大量生産には優れた工業力が不可欠であり、必然的に自国で第一級クラスの戦車の開発・生産を行い得るのは、世界有数の工業先進国に限られている。
そのために戦車配備を欲しながらも工業力に乏しい国はそれらの国から戦車を輸入せざるを得ず、同時に戦車生産国は輸出による外貨獲得と共に、生産数を増やす事で量産効果による調達価格の低減を図ろうとする。あるいは企業が輸出専用の車輌開発を行う場合もある。中には、国内の企業が開発した車輌と他国の車輌とを比較検討した結果、他国製の輸入に決まる場合もあれば、逆にイランへの輸出用に開発したものの革命でキャンセルされ、開発企業救済のために本国イギリス陸軍に採用されたチャレンジャーの例もある。一方で日本やイスラエルの様に、防衛上の方針(あるいは政治的制約)から価格面のリスクを覚悟で輸出入を行わずに国内での生産・使用に限るケースもある。
また西側標準となったL7ライフル砲やラインメタル120mm滑腔砲の様に、一部装備のみの輸出入やライセンス生産が行われる事も多い。
逆に戦車の性能は、開発国の工業力を推し量るバロメータであると言え、それが戦争の結果を左右する事もある。第二次世界大戦中、ドイツは同国ならではの優れた機械技術でティーガー、パンターなどの強力な戦車を開発したが、あまりに複雑な構造故に生産性・信頼性は非常に悪く、稼働率が上げられず能力相応の戦果を得る事がなかなか出来なかった。対するアメリカは、得意の大量生産技術を生かして、M4シャーマンの様にシンプルで個々の性能では劣るが生産性・信頼性の高い車輌を大量に生産し、物量でドイツ軍戦車を圧倒する事で連合国の勝利に大きく貢献したのである。
従来からの戦車の敵は戦車という考え方から、主火器はこれを撃破するための装備となる。これに加えて対人および対空火器として機関銃などの副火器を装備する。主火器には現在、対戦車砲が主に装備され、補助として対戦車ミサイルが使用される場合もある。車内から砲口を通して対戦車ミサイルが発射可能なガン・ランチャーも用いられたが、現在は通常の戦車砲から発射可能な対戦車ミサイルも開発されている。
主砲に使用される弾薬であるが、攻撃する対象により弾種が選択される。
硬目標に対しては、運動エネルギーによって装甲を貫徹するAP(徹甲弾)とその各種発展型、現代ではダーツのような細長い弾芯を持ち貫通力を高めたAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)炸裂時の衝撃によって目標の内部を破壊するHESH(粘着榴弾)、モンロー/ノイマン効果を狙ったHEAT(対戦車榴弾)が使用される。
軟目標に対しては伝統的な榴弾と共に、成形炸薬弾も使用される。対人用としては、副火器として装備される主砲同軸機銃や砲塔の上に搭載された機関銃も使用する。
砲戦距離は地形条件により変化するが、1967年のゴラン高原での戦車戦では900mから1,100mの射程で戦闘が行われており、ヨーロッパでは2,000m程度で生起する想定がされている。一般に、1,000〜3,000mの距離で敵戦車と対峙した場合、三発以内で命中させないと相手に撃破されると言われているが、そのためには主砲の発射速度は毎分15発程度が求められる。装填は今なお人の手で行われることが多いが、人力で円滑な装填動作を行うには砲弾重量は20kg程度が限界とされており、近年では自動装填装置により装填が自動化されている戦車もある。
一時期は火炎放射機能の付いた砲身を有する戦車も存在したが、被弾した際の引火のリスクが大変高い為に採用されなくなった。
戦車がその能力を発揮し続けるためには、外部からの攻撃に対して内部の乗員や火砲、機動力を守る必要がある。防護性という点では、秘匿性を維持するための低姿勢設計や隠密設計、被弾時の人員の脱出効率なども評価対象となるが、通常は対弾防御能力でもってその性能を評価される。
現在の主力戦車の正面装甲は、対抗する主力戦車が搭載する火砲に対し1,000mで攻撃を受けても耐えることが求められているとされるが、実際には常に競争を続ける盾と矛の関係であり、防護性に対して火力性能が上回ることが多い。
出現した当初の戦車は、対人用の銃器に耐えられる程度の装甲しか持たなかったが、対戦車用の火砲が出現し、戦車自身もそれらを搭載するようになると、戦車は重装甲化への道を走る事になる。無論、厚くて重い装甲は機動性の妨げとなるため、両者のバランスが戦車開発の永遠の命題となった。
第一次世界大戦や戦間期の戦車は圧延鋼板をリベットまたはボルト留めした構造であった。しかし敵弾が命中した時の衝撃でリベットが飛んで車内にいる搭乗員や随伴歩兵を殺傷する危険があった。溶接技術が進歩すると共に、圧延鋼や鋳造鋼を溶接組みする製法が採り入れられた。
第二次世界大戦中には、ソ連が避弾経始に優れた曲面形状の鋳造砲塔と傾斜装甲を装備したT-34戦車を投入、独ソ戦初期のドイツ側の攻撃を寄せ付けなかった。この後、いわゆる戦後第2世代戦車まで、各国で避弾経始を意識した戦車設計が行われた。
しかし1970年代になると、従来の圧延鋼板ではほとんど阻止不可能なAPFSDS弾が登場して、それまで効果的であるとされた傾斜装甲による避弾経始は無効化された。そのため、第3世代戦車では装甲板にセラミック板などの異素材を挟み込んだ複合装甲が主流となり、車体の形もそれに合わせて垂直面の多く見られる箱形となった。
戦車には防護力を高めるために増加装甲が取り付けられることもある。
はじめからその用途に開発されたものから現地の部隊が勝手に取り付けたものまであるが、素材も先進装甲から土嚢、セメントの類まで幅広い。工具箱や予備履帯の配置を工夫して増加装甲としての効果を期待する事よく見られる。ただ、これらの事をすると当然車体重量が増え、機動性能が落ち、足回りに負担をかける事になる。
第二次世界大戦で戦車は恐竜的進化を遂げたため、増加装甲の取り付けも積極的に行われた。シュルツェンのように装甲板を車体から離して空間装甲のような効果を期待したものももある。
現代では車種ごとに車体にフィットするような専用の装甲ブロックが供給される。最近では、装甲の一部を取り外し可能にして、破損時の交換や新型装甲素材への換装を容易にしたモジュール装甲(外装式と内装式がある)も一部で導入されている。
中でも人的資源が限られているイスラエル国防軍が運用するメルカバでは、戦車の防御力強化に力を注いでいる。爆発反応装甲や中空装甲をいち早く導入し、エンジンを車体前部に配置して乗員を護る空間装甲の一部としている。
第二次世界大戦後期には、成形炸薬によるモンロー効果を用いた成形炸薬弾(HEAT弾)が戦車の脅威となった。運動エネルギーに頼らずに砲弾自体が発生させる超高速噴流によって装甲を貫くため、発射装置を簡略化することが出来た。この原理を用いたバズーカやパンツァーファウストなどの歩兵が携帯可能な装備により歩兵の対戦車戦闘力が向上することとなる。第二次世界大戦後はソ連製のRPG-7が歩兵用の対戦車ロケット弾発射器として広く用いられた。
第二次世界大戦時にドイツ軍戦車が用いた「シュルツェン」は、車体から離して薄い鋼板を張った増加装甲である。これはもともとソ連軍の対戦車ライフル対策であったが、バズーカ等のHEAT弾に対し効果があることも判明した。HEAT弾への対応策として、それらを車体からできるだけ離れたところで起爆させ、ジェット噴流が車体に及ぼす効果を極力抑えようとしたもので、後にそれ専用として軽量化を意図した金網製の物も作られた。ソ連軍でもベルリン攻防戦時、ドイツ歩兵のパンツァーファウストへの対策として砲塔の外側に金網やベッドスプリングを貼った。
Strv 103では燃料タンクを足回りを覆うように並べ、対HEAT弾用の装甲を兼ねさせた。当然、HEAT弾によって着火してしまうが、燃料は着弾時に飛び散ったり空いた穴から地面に流れるため、そのまま走り抜けてしまえば車体が炎上することは無いようである。さらに同車は車体前面に柵型の対HEAT装甲を設けた。
イラク戦争後、イラクに展開するアメリカ軍の車両も対HEAT装甲である「鳥籠装甲」と呼ばれるかご状の構造物で車体を覆っているが、これはもともとイスラエル軍の経験を基にしたもので、RPGの弾頭を50%の確率で不発にすると言われる。
また対戦車ミサイルなどに対する対策として、爆発反応装甲(エクスプローシブリアクティブアーマー)を追加装備する事も多い。初期の頃は性質上HEAT弾にしか効果を持った無かったが、現代の爆発反応装甲はAPFSDS弾にも効果がある(コンタクト5やFY-5など)。ただ作動時に随行歩兵や、車輌自体の装甲に損傷を与える恐れもあるうえ、一度作動すると爆発して無くなってしまう為、その箇所の防御力は低下してしまう。形が直方体の為、一部からは“弁当箱”のあだ名で呼ばれている。東側の旧世代戦車には、防御力向上を狙って車体に爆発反応装甲をびっしりと貼り付けている事がある。
通常、戦車の装甲は敵と向き合う前面が最も厚く、上面が一番薄く造られている。これは許された重量の中で装甲厚を配分せざるを得ない為であるが、対地攻撃機や対戦車ヘリコプター、トップアタック能力を持つ対戦車兵器に対する脆弱性を生ずる事になっている。またハッチやキューポラやスイットあるいはエンジン部など構造上装甲を厚くできない箇所がある。履帯や回輪のような駆動系も攻撃弱く、容易に擱座してしまう。
また砲塔の形状によって、砲塔下部で跳弾した敵弾が車体上面を直撃してしまう「ショットトラップ」と呼ばれる現象を生じる事もある。
車体下面もウィークポイントであり、強力な対戦車地雷で損傷を受ける事がある。
一番の弱点とも言えるのは、狭い視界である。装甲による防御力を優先しなければならない為、必然的に視界が得られる様な開口部は減らされていく。その為、戦車には死角が極めて多く、“戦車だけの部隊”は戦車には強いが歩兵に弱くなる。第二次世界大戦中は歩兵の手榴弾や地雷による肉薄攻撃(末期になるとドイツ軍はパンツァーファウストを用いた)、第二次世界大戦後は個人携行対戦車兵器によって単独、あるいは戦車のみの部隊は容易に撃破されてきた(実際には、戦車攻撃を行う歩兵は恐怖とも戦わねばならない)。故に、たいてい戦車は死角を減らす随伴歩兵(あるいは、随伴歩兵の乗った歩兵戦闘車両)と共に行動するようにしている。
通常は車輌を指揮する車長、運転を行う操縦手、主砲の照準・射撃を行う砲手、装填・排莢を行う装填手の4名である。初期はこれに通信を担当する無線手が加わっていたが、無線機が進歩して車長が自分で扱える様になると廃された。また車体に前方機銃を備えた車輌では、操縦手の隣に副操縦手(または無線手)兼機銃手が配置されていた。また第一次世界大戦の大型戦車などでは、エンジンルームとの仕切りが無く走行中でも点検できた(過負荷をかけ続ける為、エンジンの耐久性が低かった)こともあり、機関手も乗っていた。
最近は自動装填装置の導入により装填手を廃する方向に進んでいるが、整備や履帯交換、塹壕構築などの非乗務作業を考慮すると3人では少なすぎるとの意見もある。
車外活動や脱出後のために全員が拳銃を持つことが多い。また、車内に短機関銃やカービン銃、手榴弾が装備されている。通常これらは標準装備として内壁に固定されている。第二次世界大戦において、車輌放棄時には(余裕があれば)車体据え付けの機関銃を外して出ることもあった。アメリカ軍などは戦車に三脚を装備していた。日本でも、車輌放棄後は機関銃を持ち出し、臨時機関銃隊として歩兵戦闘に加入することもあった。また、旧日本陸軍では士官などが個人的に軍刀を持ち込むこともあった。
戦車兵の軍服は狭い車内で活動するため、他の兵科より裾を短くするなど、引っかからないように工夫されている。第二次世界大戦後になるとつなぎタイプの軍服を採用する軍隊が多数を占めるようになる。また、戦闘帽は、頭部を保護するためにパットが装着されていることが多く、ヘルメットは引っかからないように縁が落とされていることが多い。また車内はエンジン音や履帯の走行音などで騒がしいため、耳の保護と通話のためのヘッドホンを装着している。
戦車と戦わなければいけないのは戦車だけではない。そのため戦場に登場して以来、様々な対戦車兵器が開発されてきた。戦車は厚い装甲に守られているが視界は狭いため死角からの攻撃に遭いやすく、視界の広い歩兵を随伴させる。大柄で大重量であることから通行には制限があり、防御側はこれを利用し、時には対戦車壕や対戦車阻塞(バリケード)、地雷原等の障害物を用いて迎撃する。対戦車兵器がない場合は爆薬や対戦車地雷を使用しての肉薄攻撃やIDEによる待ち伏せなどで対抗する事がある。また、防御側は多くの場合、戦車から随伴歩兵を引き離す様に激しい砲撃や機銃掃射を行い、対戦車班が戦車を攻撃しやすくしようとする。
第二次世界大戦中に成形炸薬によるモンロー効果を利用した物が登場すると吸着地雷から対戦車手榴弾・銃砲利用の対戦車擲弾と続き、やがて個人携行可能な対戦車ロケット弾や対戦車無反動砲(パンツァーファウスト)が登場した。またロケットランチャーと組み合わせたものはバズーカとして知られる。これらは比較的小型で調達・運用も容易である事から対戦車兵器の主流となった。また戦後になると誘導装置を備えた対戦車ミサイルが開発された。
1970年代にはこの対戦車ミサイルにより、歩兵の対戦車戦闘力が大きく強化された。第四次中東戦争中の1973年10月8日に発生したエジプト軍第二歩兵師団とイスラエル軍第190機甲旅団の戦闘では、エジプト軍が大量装備したRPG-7やAT-3「サガー」により、イスラエル軍戦車約120輌のうち約4分間で100輌近い戦車が撃破され、旅団長が捕虜とされるなど多大な損害を与えた。歩兵部隊と戦車部隊が正面から向き合った戦闘でも、歩兵側が勝利を収めることが出来たのである。
このような携帯対戦車火器の発達がゲリラやテロリストにも対戦車戦力を与える事となり、いわゆる低強度紛争(LIC = Low Intensity Conflict)を増長させる要因となった。例えばソ連製のRPG-7等は途上国でも簡単に生産でき、紛争地帯は多く使用されている。
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RPG-7対戦車擲弾 |
RPG-29対戦車擲弾 |
TOW対戦車ミサイル |
対戦車兵器一覧
対戦車ヘリコプターという天敵の出現により、一時は「戦車不要論」も唱えられていたが、湾岸戦争・イラク戦争は戦車が依然として陸上戦の主役であることを見せつけた。にも関わらず、本来なら20世紀の内にも登場する筈であった「戦後第4世代戦車」は未だに出現せず、今世紀に入ってもほとんど進んでいない。その理由はまず冷戦の終結によって軍縮が進んでいることと、特に西側諸国にとってはこれまで新戦車開発の原動力となっていた東側新型戦車の脅威が失われたことが大きい。そして何よりも、これまで主砲の大型化と装甲の強化により累積してきた重量増加が、もはやその限界を迎えているという技術上の問題がある。よって「第4世代戦車」は、重量を大幅に増すこと無く火力と防御力を強化するという難題をクリアする必要がある。
現在の西側各国の主力戦車の重量は55~70t程度あるが、これ以上の重量増加は戦車の行動力を著しく損なう上、輸送や架橋、車輌回収も困難になってしまう。陸上自衛隊の90式戦車は50tだが、それでも道路法の関係で輸送の面などに制約が多く、北海道以外での平時における運用が難しいとされている。防衛省・陸上自衛隊が74式戦車の後継として全国的な配備を考慮して開発中の新戦車(TK-X)は40t級になると言われており、全体の性能も90式戦車を超えると見られているが、新戦車(TK-X)が最初の「第4世代戦車」になるかどうかは未知数である。
また近年、加えて戦車に求められているのが、低強度紛争(LIC)への対応能力である。テロリストやゲリラの対戦車兵器に対する防御と、それを駆逐制圧する火器システムを備えた騎兵車輌としての能力も同時に求められており、この事がさらに開発を困難な物にしている。逆に、冷戦終結により戦車同士が撃ち合う従来の戦車戦の機会自体が失われつつあり、こうした時勢を反映して、今後の陸軍戦力の主力を戦車から歩兵戦闘車や装甲車に移行していくべきであるとする、従来と違うタイプの「戦車不要論」も存在する。
火力の強化については、ドイツのラインメタル社などが140mm砲を開発しており、「第4世代戦車」の主武装になると期待している。ただし140mm級の砲を純粋に搭載すると、反動を抑えるのに必要な重量は70~80tに達すると想像され、現在の技術で取り扱える重量限界を超えてしまう。その為、ラインメタル社では反動低減のための研究が進行中である。また、砲弾の大きさ及び重量も同時に増加することで、人力での砲弾の装填、人力での戦車への砲弾の搭載が乗員に対してかなりの負担になると考えられる。前者については自動装填装置の採用で解決できると思われるが、後者は新たに機械的な搭載装置が必要になる可能性がある。更に、砲弾の大型化で携行弾数が少なくなる可能性があり、これを解決するためには砲弾そのものを改良する必要があると考えられる。
防御力の強化については、被弾する可能性が最も多いのが砲塔である事から、乗員や弾薬類を全て車体内に配して防御を集中し、車体上に自動装填・遠隔操作の背負式戦車砲(Overhead Gun)を装備して砲塔バスケットを廃した無砲塔戦車や、砲塔を小型化する低姿勢砲塔(Low Profile Turret)が構想されている。これらはアメリカのM1戦車の改良型やロシアが開発中と言われるT-95など以前から度々噂に上がりながらなかなか実現しなかったが、ヨルダン陸軍の主力戦車アルフセインの最新型が、南アフリカの企業と共同開発した無人砲塔「ファルコン2」を搭載した事が発表され、今後の運用が注目されている。低姿勢砲塔はストライカー装甲車の機動砲システム(MGS)タイプで先んじて実用化されている。
一方で、各車両単体の戦闘能力は機動性を重視して抑えつつ、情報技術で緊密な指令系統と情報共有により連携させる事で、特にゲリラ戦術に対する柔軟な対応力を持たせようという考え方もある。アメリカではこの思想に基づくFuture Combat Systems (FCS)の研究開発が進められており 、これには戦車以外の各種車両や空・海軍兵力との連携、さらには車両のロボット化までも含まれている。ただし陸上兵器のロボット化は、航空兵器などに比べて技術的ハードルが大きく、本格的な実用化はまだ先の話である(軍事用ロボットも参照されたし。)。
さらなる新技術としては、リニアモーターの原理で弾体を電磁気で加速して打ち出す電磁砲(リニアガン)やレールガンと、装甲に大電流を流して着弾した敵弾を溶解破壊する電磁装甲であるが、どちらも未だ実験の域を出ていない。
各国において戦争に関する博物館が存在する中でも、戦車を中心にした博物館がいくつか存在する。連合軍の博物館は自国の戦車はもとより、捕獲した枢軸国の戦車の展示においても充実しており、戦車の変遷を理解する上においては重要な資料を提供している。
戦車一覧を参照
陸上戦の花形とも言える戦車だが、なぜかフィクション作品における扱いは芳しくない。特に漫画・アニメなどのビジュアル系では、無限軌道の描写や独特の重量感の表現などが大きな障害となっており、SF作品などでは安易に「有脚戦車」や「ホバー戦車」などの他の移動手段に置換されてしまうケースが大半である。また、ネットアニメとして戦車の定義にまるで当て嵌まらない『やわらか戦車』というキャラクターも存在する。
そんな中、戦車本来の魅力にこだわりを見せるクリエーターの一人が、スタジオジブリ作品で知られる宮崎駿監督である。模型雑誌に連載した『宮崎駿の雑想ノート(妄想ノート)』で現実や架空の戦車をつぶさに描写し、そのうち架空の多砲塔戦車「悪役一号」は後にプラモデル化され、ミリタリーモデラーにも高い評価を受けた。またアニメ作品でも『ルパン三世』や『風の谷のナウシカ』などでリアルな戦車描写に挑んでいる。また押井守監督も、『天使のたまご』『機動警察パトレイバー』『Avalon』などの作品で無限軌道を履いた戦車を登場させている。他に戦車が主役の漫画作品として士郎正宗の『ドミニオン』、小林源文の『ハッピータイガー』などがある。
なお架空の戦車で有名な物として、『機動戦士ガンダム』に登場したジオン公国軍の主力戦車マゼラアタックが挙げられるが、元々が巨大ロボット兵器(モビルスーツ)が跋扈する世界観だけに、重量が95トンと戦車の運用限界を遙かに超える代物であると共に、砲塔部が分離して航空機となるという破天荒な機構を持ち、戦車としての描写は(当時のアニメ作品としてはともかく今日では)厳しいところがある。