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新幹線0系電車

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(最終更新 2007年11月20日 (火) 11:49。)

新幹線0系電車(しんかんせん0けいでんしゃ)は、1964年東海道新幹線開業時に開発された初代の新幹線電車である。

新幹線0系電車
1990年頃撮影 小田原駅にて
起動加速度 1.0km/h/s
営業最高速度 220km/h
減速度 2.84km/h/s(常用最大)
編成定員 1,285人(16両編成時)

1,349人(YK編成)

全長 25,150(25,000)mm
全幅 3,380mm
全高 3,975mm
編成重量 967t(16両編成時)
軌間 1,435mm
電気方式 交流25000V 60Hz
編成出力 185kW×64=11,840kW(16両編成時)
歯車比 2.17
駆動装置 WN平行カルダン駆動方式
制御装置 低圧タップ制御
ブレーキ方式 発電電磁直通ブレーキ
保安装置 ATC-1型
備考

Template(ノート 解説)鉄道PJ

目次

概要

1964年から1986年までの38次にわたり、東海道山陽新幹線用車両として改良を重ねつつ、合計3,216両(16両編成に単純換算して201本分)が製造された。ただし、3,216両が同時に揃ったことはなく、在籍両数の最大値は1976年の2,336両である。

航空機に範をとった丸みのある先頭形状と、青・白塗り分けのスマートかつ愛嬌のある外観を備える。初期の新幹線のイメージを確立した世界的にも有名な車両であり、戦後日本の高度成長時代を象徴する存在として、人々から長く親しまれた。1980年(昭和55年)頃までの書籍などでは「旅客機を思わせる先頭部・・・」という書き出しで紹介されることが多かった。

第8回(1965年)鉄道友の会ブルーリボン賞受賞車でもあり、日本の鉄道における史上最高の名車と評する鉄道ファンも少なくない。

2007年8月にはYS-11などとともに機械遺産として認定された。

21世紀に入った時点で既に大半が廃車されており、2007年時点では山陽新幹線区間のみの運転であるが、歴史的価値が高く、映画ドラマ撮影等で多く使われる人気車両でもある。

2001年にはイギリスヨーク国立鉄道博物館に先頭車1両 (22-141) が西日本旅客鉄道(JR西日本)によって寄贈されている。これ以外には、建築限界測定車として改造を受けた車両(21-5035)が台湾中華民国)へ渡った。

なお、「0系」と呼ばれるようになったのは東北上越新幹線用の200系が登場してからのことで、それ以前は単に「新幹線電車」(しんかんせんでんしゃ)と呼ばれていた。文献によっては「000系」と呼称していたこともある。

車両構造

画像:Sinkansen 0 01.jpg
新幹線0系の座席

未経験の新技術は使わず、それまでに日本の鉄道が蓄積した、実証済みの技術(プローブン・テクニック)の集積によって開発された。きわめて堅実な設計である。

大方の基本設計は変わらなかったものの、製造期間が長期(約23年・38次)にわたったことから、マイナーチェンジは何度も行われている。

車体外観

全長25m、全幅3.4m(在来線車両より5m長く、50cm以上広い)と大型の流線型車体である。材質は普通鋼を使用し、1両あたりの総重量は64tに達した。

そのデザインは、空力特性を考慮して形状を決定された。設計に携わった国鉄技術者で、かつて旧・日本海軍の技術将校でもあった三木忠直は、日本海軍の双発爆撃機銀河」をデザインモチーフにしたと証言している。

先頭車前面には「ひかり前頭装置」と呼ばれる丸いプラスチックカバーを装着している。この中には非常用の連結器が納められている。開発当初、このカバーは半透明のアクリル樹脂製で、ヘッドライトを光源に光る構造となっていた。後に走行中の鳥との接触で破損することから、不透明の丈夫なFRPに変更され、光前頭としての機能は失われた。ヘッドライトとテールライトは同一のライトであり、テールライトとして使用する場合は赤いスクリーン(前期車はバタフライ式スクリーン、後期車は半円形スクリーン)を通して点灯させる仕組みである。

先頭車床下には、障害物を跳ね除けることのできる排障器を設けている。鋼板を多重にしたこの「スカート」部分は、少々の岩なら軽く跳ね除ける。高速運転時の脱線を警戒したものである。

最初期の車両はサボが取り付けられていたが、盗難が相次いだこともあり、後に現行の電動幕式へ変更された。

オリジナルの塗装は、車体がアイボリーホワイト、窓周りがブルーの塗り分けであった(この青色塗装は、新幹線ブルーともいわれる)。

設備

グリーン車1969年まで一等車)のうち15形は博多寄り車端の1か所に、食堂(ビュフェ)合造車のうち35形は車体中央部と東京寄り車端の2か所に、これ以外の形式(36形を除く)は各車両端の2か所に客用扉・デッキを設けた。なお全室食堂車として製造された36形には東京寄り車端にデッキがあり、海側には客用扉と同様な扉を持つが、業務用扉であり、乗客の乗降には供されない。

全車両にヒートポンプ式の空調装置を備えている。車内の気圧変動防止のため、固定式の窓はもとより、ドアまでが気密構造となっており、トンネル内では車外との換気を遮断して気圧変動に備えている。しかし山陽新幹線ではトンネルが多く、換気を遮断する回数が多くなることから、岡山駅以西では連続換気方式が採用されることとなった。1973年以降に製造された車両はこの新換気方式に対応しているが、それ以前の車両は当時の「ひかり」編成にのみこの対策がなされることとなった。後に編成組み換えでS編成やY編成が組成された際に、非対応車が入っている編成(岡山以西乗り入れ不可)は原編成番号+50で識別していた。

開通当初より製造された基本番台車両は側窓が座席2列で1個の広窓だったが、1976年以降増備された1000番台車より石跳ね等による窓ガラスの損傷を警戒し、300系以降の車両と同様に座席1列に1窓という狭窓となった。そして1981年より増備が開始された2000番台は、座席間隔(シートピッチ)の拡大(普通車:940mm→980mm)に伴い、僅かながら窓の横幅も広げられた。なお、2000番台車では製作の簡略化のため、車内の窓周辺部がFRPユニットとなり、窓下のかまちと呼ばれるスペースが廃止された。このかまちは小物(飲み物の容器等)を置いたり、窓の外を見るときにひじをつく場所等として利用されていたため、利用者には不評であった。

初期に落成した車両には車体の側面に非常口が設けられていたが、車体の腐食を防ぐ意味と、新幹線のシステム全体における高い安全性もあって、のちに埋められている。

座席構造

普通車(1969年まで二等車)の座席は、海側を3列とした合計横5列配置の輸送力重視型である。開業以前に二等車(現・普通車)はシルバークラス、一等車(現・グリーン車)はゴールドクラスとする案があったため、モケットはそれに合わせた配色となった。

当初普通車はその銀色のモケットと青色のモケットを張った転換式座席(W-12、W-70)だったが、1981年以降のタイプは東北新幹線200系とほぼ同様のオレンジ基調の簡易リクライニングシート(D-23、D-32)に変更、交換された。3列側は回転させるスペースがないため、一方向固定(集団見合型との比較アンケートの結果、集団離反型を採用)とされた。残存する在来車も順次同仕様に交換されたが、JR化後も廃車されるまで転換式のままだった車両もある。この転換式座席と同じ色のモケットが在来線車両の優先座席に使われたことが「シルバーシート」の名称の由来である。また、交換後の転換式座席は在来線車両で再利用される例も多かった。

東海旅客鉄道(JR東海)の「こだま」用Y編成とYK編成の指定席車(9~12号車)、西日本旅客鉄道(JR西日本)のSK編成「ウエストひかり」(現在は6両編成のR編成60番台)の普通車は左右2列ずつの4列となっていた。

グリーン車(1969年までは一等車)はゴールデンオリーブ色のモケットを張った4列配置のリクライニングシート(R-25)で、車両の大きさを最大限に活かしたゆとりを持っていた。しかし1981年以降の車両は200系と同等のシートの色がワインレッド(R-32)のものに変わっている。

ビュフェ車・食堂車

ビュフェは開業時から存在し、岡山開業時までに製造された車両(35形)にはいすが設けられていたが、第22次車以降の増備車両(37形)では立食式に変更された。開業時は全編成とも2両組み込まれていたが、日本万国博覧会(大阪万博)輸送を控えた1969年夏頃より輸送力増強を目的として、「こだま」用編成の5号車を売店車(25形400番台)に差し換え、以降「こだま」用編成はビュフェ1両が正規となった。ただしこだま用全編成の組み換えまでには至らず、1973年8月から1980年9月までのこだま用K編成47本体制下において、17本がビュフェ2両組み込み(ただし1両は売店扱い)のまま残った。

博多開業以降、「ひかり」用として使われたH編成とNH編成には食堂車(36形)が設けられていた。食堂車については山側に独立した通路を設け、通り抜ける乗客と食堂車利用者の分離を図っている。当初は通り抜ける客に食事をする風景を見られないように、食堂と通路を隔てる壁に窓を設けていなかったが、利用客から「食事しながら富士山を見られないではないか」というクレームが多かったことを受け、1979年以降、通路側壁面に窓(通称:マウント富士)を設置する改造が施工された。

1995年1月17日阪神・淡路大震災が発生し、この時に博多~姫路間の運用(姫路~新大阪間は高架橋の落橋や橋脚の損傷のため運休)に充当されていてた本系列の食堂車は営業休止となり、そのまま再開されることなく営業を終了した。

民営化以降、JR西日本はサービス改善のため「ウエストひかり」編成にビュフェを改装した車両を連結した。ビュフェカウンター横のスペースを拡大してテーブルと椅子を設け、座席に持ち帰ることなくそのまま座って食べられるようにした。ここではカレーライスなどの軽食が提供された。2007年現在でもWR編成の一部に3号車でフリースペースとして連結されている場合がある。

走行機器

最高速度200km/h以上で走行するため、在来技術を最大限に活用しながら強化したものとなっている。本系列の全電動車方式(全車を動力車とする方式)は、走行中に1ユニット(2両)が故障しても25‰の連続勾配で160km/hの走行を可能にするために採用され、以後新幹線の基本的なポリシーとして踏襲されている。

駆動方式・モーター

WN平行カルダン駆動方式。主電動機はMT200と称する直流直巻電動機で連続定格出力185kW/2,200rpmである。1964年当時日本において電車用モーター、かつカルダン駆動方式のモーターとしては最強であった。これを1両あたり4基搭載し、1両で740kW(≒1000HP)の出力を確保している。全車電動車編成を組み、動力性能上の均衡速度は平坦で235km/h、10‰上り勾配で196km/hに達する。

台車

画像:新幹線0系台車.jpg
0系の台車 2004年10月17日撮影

DT200形と称する。ホイールベース2,500mmの鋼板溶接組立構造。高速安定性を重視して設計されている。機械的なブレーキとして、高速域から安定して作動するディスクブレーキを採用した。また高速走行のため、軸受構造は日本鉄道車両史上初の潤滑油式ボールベアリングとした。動輪径は910mmである。

軸バネ機構
ドイツ国鉄のミンデン研究所が客車向けに第二次世界大戦前に開発し、ドイツ国鉄標準方式となっていたミンデンドイツ方式の台車は、日本では戦後住友金属工業1960年頃から製作していた。0系の台車はこれに改良を加えたもので、IS式と称した。
軸受けの両側にコイルバネを配し、車軸の位置決めを前後方向から長い板バネで行うのはミンデンドイツ方式と同じだが、ミンデンの原型では板バネをボルト止めしていたところ、ゴムブッシュを挟む構造でストレスが掛からないようにしている。
枕バネ機構
鉄道台車用として日本で1956年以来独自に開発され、改良普及されきた空気バネを装備しており、微細な振動の吸収や車高の自動調整機能などで、金属バネよりも優位であった。0系ではダイアフラム式空気バネを用いたダイレクトマウント構造を新たに採用し、従来の揺れ枕吊りを用いた台車より簡素でありながら、優れた減衰性・復元性を実現した。

電源・制御方式

架線からの交流25kVを変圧器で降圧した上で、シリコン整流器で整流して直流電源とした。車載用のシリコン整流器は、既に1960年代初頭に交流電気機関車交直流電車で用いられて実績があった。

モーターを制御するのは、2両毎に1基搭載された制御器である。架線からの交流25kVを降圧した変圧器の二次側のタップを切り替えて2両分8個のモーターに掛かる電圧を調整している。弱界磁制御を使わないのは、トランスから自由に電圧を得られることにより起動抵抗損失はなく、直流抵抗制御方式のようなフルステップ電圧を特に下げて抵抗損失低減を図る必要がないからである。これも交流電気機関車で用いられる技術を応用した制御である。ちなみに最終ステップにおける定格速度は167km/hである。

さらに、発電ブレーキ機能を付加している。時速200キロ以上の高速域から機械的なディスクブレーキのみに頼って制動をかけるのでは、発熱や磨耗など無理があるため、モーターを発電機として作動させることで走行(運動)エネルギーを吸収し、抵抗器で熱エネルギーとして発散させる方式である。特に高速域からのブレーキ時には効果的な手法で、在来線などで多くの実績がある。

パンタグラフには、コンパクトにして空気抵抗を小さくするため、下枠交差型が初めて採用された。

なお、新幹線用車両の中で本系列のみが特高圧引通線を持たず、各ユニットに1基(16両編成では8基)のパンタグラフを装備する。以下にその理由を記す。

  1. 開業当時は駅構内が上下線同相給電ではなく、この渡り線の絶縁セクションの電圧差25<math>\sqrt{2}</math>kVを引通線で短絡するため採用不可能なのと、送電方式にBT (Booster Transformer) き電方式が採用されていたため、特高圧引通線を装備した場合、力行切り替えセクション間にあるブースターセクションを短絡して帰線電流吸い上げ不能となり給電線のほとんどの電流がパンタグラフと引き通し線を通じて流れアークが発生して損傷の危険があるため装備できなかった。
  2. その後送電方式が現在のAT (Automatic Transformer) き電方式に変更する際に構内同相給電に改めて異相セクションをなくしたことで、設備側については特高圧引通線の装備が可能になったが、本系列については屋根上に空調装置が並べられており、絶縁と空調機のメンテナンスの問題から装備することができない(屋根のように見えるのは空調装置のカバーであり、本当の屋根はカバーの内部、空調装置の下側にある)。

ただし、JR西日本所属のNH82編成には例外的に特高圧引通し準備工事が施されており、0系では唯一屋根上にケーブルヘッドカバーを装着した車両が連結されるなど外観上の特徴があった。

推移

運用

東海道新幹線開業時は12両編成で、1970年日本万国博覧会(大阪万博)が開催された際、輸送力増強のため16両編成化された。1975年の山陽新幹線 博多開業時に食堂車が組み込まれた。

当初、最高速度は210km/hであったが、1986年に220km/hに引き上げられた(ただし、運転上の最高速度は当初200km/hで、210km/hはATCが作動してブレーキがかかる頭打ち速度。1986年に引き上げられた220km/hは、運転上の最高速度のため、210km/hと比較するなら新しい頭打ち速度の225km/hが正しい)。

1985年に山陽新幹線開業時に増備された0系を置き換えるため、後継車両として100系が開発されたが、0系の増備は日本国有鉄道(国鉄)が民営化する間際の1986年4月まで続けられた。

1999年9月18日の「こだま」473号(YK8編成)が東海道区間における最後の定期運用で、それ以後、0系は東海道新幹線から完全に撤退した(ただし、新大阪~京都間にある通称「鳥飼基地」への回送列車のみ走行している)。2007年時点では、短縮された編成が山陽新幹線で「こだま」の運用に就いている。

長期増備の原因

東海道新幹線の建設から開業までは時間的にかなりタイトであり、車両開発に十全な時間を割けなかったため、モデル車両「1000形」をベースにした車両(現在の0系)を開発し、そこから得られた改良箇所を後継車両に反映させる計画であった(この車両は全国新幹線網成立の時点で周波数50Hz/60Hz両用車両にする構想であった)。この一環として951形961形といった試験車両が製作された。また後継車両のために100系を欠番扱いとし、東北・上越新幹線用営業車両には200系の形式称号が与えられた。しかし、実際には計画通りにはならなかった。

新幹線車両は、長距離高速運転による酷使の結果、当初耐用年数20年と想定されていたよりも車体・機器の劣化が早かったため、初期製造車は12年目の法定検査切れの車両より廃車が始まった。以上のような理由から1976年9月より1次車・2次車が淘汰されていくわけであるが、当時、国鉄経営の悪化や労働紛争の影響で国鉄内部では車両を含めた技術革新が停滞しており、その一方で0系の基本性能は安定した水準に達していたことから、労働組合は新型車両導入に否定的であった。さらには0系の増備が進みすぎた結果、編成中で車両の経年がまちまちであったことも加え、既存の車両と混成・編成替えを行う都合などから互換性を配慮する必要も生じた。

このため0系を新しく製造して古い0系を置き換える状態が続き、約23年間・38次にわたって、細部の改良を重ねながら0系が発注・製造され続けることになった。

各車の概要

H編成、NH編成

最後のNH編成「ひかり」
最後のNH編成「ひかり」

「ひかり」用の16両編成で、最盛期には両者合わせて99本が存在し、JR発足当初はJR東海・西日本両社で所有していた。8号車に食堂車が、9号車(後に5号車に変更)にビュフェが連結されていた。グリーン車は2両で最初は11・12号車だったが、100系登場にあわせてか途中から9・10号車に変更された。

H編成とNH編成の違いは、H編成は長窓の0番台で構成されていたのに対し、NH編成は先頭車と一部の中間車が小窓の1000番台、2000番台で構成されていた。なお全車両小窓のN編成も3編成存在した。JR西日本で最後まで残った16両編成はNH32編成であり、最後の食堂車車両が連結されていたが、既に廃車された。

「ひかり」用の編成ではあるが、JR西日本所有車は東海道新幹線の「こだま」にも使われていた。

Y編成、YK編成

「こだま」用の16両編成で、JR東海が所有していた。東海道新幹線の「こだま」はJR発足当初は12両編成でS、SK編成だったが、1989年に「こだま」の利用者が増えたために中間車4両が組み込まれて16両編成化されてY、YK編成に改められた。前述の通り、トンネル内換気方式の違いにより岡山駅以西に入れない車両が入っている編成は原編成番号に+50されていたが、このような編成が1990年代前半まで残っていた。なお原則として「こだま」用であったが、多客時には山陽新幹線区間走行のものを含む臨時「ひかり」に充当されることも少なからずあった。

H、NH編成と違いグリーン車は8号車1両のみで5号車にビュフェが連結されていた。そのために食堂車はない。指定席車となる9~12号車の座席は横4列となっており、2つの「II」をデザインしたシンボルマークとオレンジ色の号車番号札が外観上のアクセントとなっていた。

Y編成とYK編成の違いはH編成とNH編成と同様に、Y編成は長窓の0番台で構成されていたのに対しYK編成は先頭車と一部の中間車が小窓の1000番台、2000番台で構成されていた。

JR東海で最後まで残った0系はこのYK編成である。また、SK編成はJR西日本でも所有しており、「ウエストひかり」もSK編成を名乗っていた。

R・WR編成、Q編成

画像:新幹線0系JR西日本.jpg
新幹線0系電車 (WR編成)ウエストひかり色
新幹線0系電車 リニューアル車(WR編成)姫路駅
新幹線0系電車 リニューアル車(WR編成)姫路駅

「こだま」用の編成で、R・WR編成は6両、Q編成は4両編成で、全てJR西日本にのみ存在する。21世紀に入ってからは100系に置き換えが進んでおり、Q編成は既に消滅した。かつては初期の大窓車も存在したが、これも廃車された。

最後まで残ったR編成は、1000・2000番台の3列席も回転できる5030・7030番台で構成されており、塗色は「ウエストひかり」色に3列席回転のピクトグラムが貼られていた。これにより原番号を保持している車両は消滅した。2005年3月の山陽新幹線開業30周年記念「ひかり」号での運転を最後に撤退した。

また、R2・24編成はデッドスペースとなっていたビュフェ部分をプレイルームに改造し、多客時に「ファミリーひかり」として運行していた。しかし2002年を最後に営業運転を終了し、他編成と同様に廃車された。なお、1998年1999年にはNINTENDO64ゲームソフトバンジョーとカズーイの大冒険』とのタイアップで、側面に同ゲームのキャラクターのラッピングを施した状態で運行された。

R編成は6両と短いため、先頭車に収められている非常用連結器が営業運転で使われた事例もあった。「ウエストひかり」のうち、R51編成の1本は6両のまま残され、1日1往復のみ運転されていた。超多客時には輸送力増強のため、東京寄り先頭車22-3901(16-133を先頭車化改造。R51編成の博多寄り先頭車21-7001も同様)に連結器強化改造を施したR23編成を博多寄りに連結していた。当時の大型時刻表の編成表には「こだま型6両編成を併結する日があります」という表記があった。

WR編成は、大半が旧「ウエストひかり」編成だが、一部に7030番台を2×2シートに再改造したものも含まれる。旧「ウエストひかり」編成には元1000番台の5000番台もあったが、現存の編成は全て元2000番台の7000番台である。塗色はウエスト色を引き継いでいたが、2002年からは濃淡グレーにフレッシュグリーンの新色に変更された。その際「ウエストひかり」時代のWマークは撤去された。WR編成の車内には0系で初めて車内案内表示器が設置された。これは100系2階建て車両の廃車発生品である。

2007年時点では、WR編成のみが6本在籍する。

なお、Q編成は新大阪駅の信号システムの関係上同駅への乗り入れができなかったため、岡山以西限定運用とされていた。これは100系P編成も同様である。

試作車両

新幹線開業にあたり、これまで研究してきた高速列車に関するノウハウが本当に実用に耐えうるものなのかどうかを確かめるために開業前の鴨宮モデル線でいくつかの試作編成が走行試験を行った。

新幹線1000形電車も参照。

  • A編成:2両編成で、塗装は0系と異なり、上下に青色のラインが入っただけであった。またライトも細長く、側面には列車番号表示器が設けられていた。客用ドアはプラグドアを採用した。
  • B編成:4両編成で塗装は0系とほぼ同じ。1963年3月30日に最高速度256km/hを達成する。

これらの試験結果を元にC編成と呼ばれる6両編成の先行量産車が製造された。後に開業時に6両を追加して営業編成となった。これらの一部は大阪市港区にある交通科学博物館静態保存されている。

試作車との違いとして

  • プラグドアを通常のものに変更(ただし気密性は従来のものより高い)
  • 運転席上のアンテナを棒状から流線型に変更
  • B編成1004で使われた窓柱間クロスメンバー構造(六角形窓)の不採用
  • 非常用脱出口を車両中央に配置
  • 先頭車両の排障器(スカート)の強化

などがあげられる。

特殊編成

1974年製造の18次車のうち、1本は両端のユニット4両を除く12両を全てグリーン車としたH70編成(別名:ひかりスペシャル)として落成している。

運用状況

2007年現在、6両編成でグリーン車なしの山陽新幹線「こだま」号として使われている。運用はダイヤ改正の度に減少しており、同年1月時点で9往復の列車に充当されている。2007年11月時点で在籍する0系は6両編成6本(36両・編成はR61,62,63,64,67,68)である。

運用列車

  • 下り
    • こだま755号 (小倉7時27分発博多行き)
    • こだま625号 (岡山6時35分発広島行き)
    • こだま765号 (小倉9時56分発博多行き)
    • こだま629号 (新大阪6時12分発博多行き)(博多南線へ直通)
    • こだま639号 (新大阪8時9分発広島行き)
    • こだま657号 (新大阪12時15分発広島行き)
    • こだま663号 (新大阪14時15分発広島行き)
    • こだま669号 (新大阪16時16分発博多行き)(博多南線へ直通)
    • こだま689号 (新大阪22時15分発岡山行き)
  • 上り
    • こだま620号 (福山6時6分発新大阪行き)
    • こだま750号 (博多6時58分発小倉行き)(博多南線から直通)
    • こだま636号 (広島9時23分発新大阪行き)
    • こだま758号 (博多9時14分発小倉行き)(博多南線から直通)
    • こだま642号 (広島11時34分発新大阪行き)
    • こだま722号 (博多11時24分発広島行き)(博多南線から直通)
    • こだま648号 (広島13時34分発新大阪行き)
    • こだま670号 (広島19時15分発新大阪行き)
    • こだま674号 (広島20時20分発新大阪行き)
    • こだま676号 (博多18時42分発新大阪行き)
    • こだま684号 (広島23時15分発福山行き)

今後

山陽新幹線に現存する0系の車齢は高く、当初、JR西日本では「0系はN700系の営業開始まで使用する」と発表していたが、これ以上の詳細な置き換え計画は明確化していなかった。その後、2007年9月に発表されたN700系の追加増備計画に伴い、500系を短編成化の上で山陽新幹線「こだま」用格下げなどにより、九州新幹線全線開業となる2011年を目処に全車が営業運転を離脱する予定である。

有害物質のポリ塩化ビフェニルが使用されているため、今後廃車する際にその処理費用が70億円以上かかる[1]

保存車両

鉄道博物館に保存されている21-25
鉄道博物館に保存されている21-25

備考

2007年1月現在、山陽新幹線新下関駅の側線にて原形色4両編成1本(元Q2編成・JRマーク貼付)がゆっくりと往復している状態を見ることができる。側線の配置の関係で、新幹線側よりも在来線(山陽本線)側の方が見やすい。車両の状態は決していいとは言えないものの、新下関駅側にあるJR西日本乗務員訓練センターで教習車として使用されている。

外部リンク

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