| 種類 | 株式会社 |
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| 市場情報 | |
| 略称 | 日産 |
| 本社所在地 | 104-8023 東京都中央区銀座六丁目17番1号※ |
| 設立 | 1933年12月26日 |
| 業種 | 輸送用機器 |
| 事業内容 | 自動車 (現行車種を参照) |
| 代表者 | 取締役共同会長兼社長兼最高経営責任者 カルロス・ゴーン |
| 資本金 | 6,058億1,400万円 (2007年3月31日現在) |
| 売上高 | 単体:3兆6,089億3,400万円 連結:10兆4,685億8,300万円 (2007年3月期) |
| 総資産 | 12兆4,022億800万円 (2007年3月期) |
| 従業員数 | 単体:3万2,117人 連結:16万9,644人 |
| 決算期 | 毎年3月31日 |
| 主要株主 | ルノー:44.3% |
| 主要子会社 | 日産車体株式会社 ジヤトコ株式会社 |
| 外部リンク | http://www.nissan.co.jp/ |
日産自動車株式会社(にっさんじどうしゃ) (英語名: Nissan Motor Co., Ltd.) は、東京都中央区に本社を置くフランス系の自動車メーカーである。
通称とブランド名は「日産(NISSAN)」。日本国外の一部では、高級車ブランドである「インフィニティ(INFINITI)」も展開する。
トヨタ自動車、本田技研工業とともに日本の3大自動車メーカーに数えられるが、1999年以降はフランス・ルノー社の連結子会社となった。
芙蓉グループ(旧富士銀行系列)に属する東証一部上場の日本企業であり、現在はフランスの自動車製造大手のルノーの傘下である。関連会社にトラック専門の日産ディーゼル工業(ボルボに売却)や、モータースポーツ専門のニスモなどがある。歴史的経緯(日産コンツェルン)によって日立製作所と関係が深い。
現在、親会社のルノーから派遣されたレバノン系ブラジル人(フランスとの2重国籍)のカルロス・ゴーンが取締役共同会長兼社長兼最高経営責任者(CEO)を務める。なお、カルロス・ゴーンは2005年4月より親会社のルノーのCEOも兼務しており、現在はゴーンCEOの指揮の元、日産出身の志賀俊之がCOO(最高執行責任者)を勤める。
一時期企業スローガンで「技術の日産」と称していたように、創業期より先進技術の吸収に積極的で、第二次世界大戦前の段階ではゼネラルモーターズの技術や資本導入を目論み、あるいは戦後はオースチンとの提携下で乗用車のノックダウン生産を展開するなど、ルノーの傘下に入った現在にいたるまで外国企業との連携には余り抵抗感を持たない。
1966年に高い技術力を誇ったプリンス自動車工業株式会社と合併し、同社の技術がフィードバックされたことで技術の日産と巷間呼ばれるようになるが、その反面、技術偏重の社風より販売政策は余り上手いとは言えず、しかも組合闘争とそれにあわせた内部権力闘争が経営の足を引っ張り、オイルショックの頃から長くライバル視してきたトヨタ自動車に営業成績において差を広げられてしまった。
1980年代には「90年代までに技術世界一を目指す」という名の下、全車種を対象にシャシー、エンジン、サスペンション、ハンドリング等の技術開発に力を注いだ「901運動」がおこなわれており、日本車の技術向上に大きく貢献したとの評価がある。
詳細は901運動を参照
1980年代後半のバブル景気時代には高級車シーマをヒットさせるなど、存在感を示していたが、バブル崩壊後は財務体質が悪化。もともと販売戦略が不得手な上に、商品戦略やデザインなどの面でも失敗したことからヒット車種が出ずに販売不振に陥ってしまい、軽自動車市場の拡大を背景に、軽自動車を含めた国内シェアでは一時ホンダに抜かれ第3位に転落。1998年には約2兆円もの有利子負債を抱えるほどにまで財務内容が悪化し、経営危機に陥ってしまった。
しかしその中でも、2代目セフィーロや初代エルグランド、2代目マーチなどはコンスタントに販売台数を記録し、経営危機に陥っていた日産をなんとか支えていた。
継続的な販売不振により2兆円あまりの有利子債務を抱え倒産寸前の経営状態となった1999年3月、フランスの自動車メーカー・ルノーとの資本提携(後述「ルノー=日産アライアンス」)を結び、同社の子会社として更正を図ることとなった。当初は両社の文化的土壌の違いやラインナップの重複、日産自動車の負債の大きさなどを理由に、同業他社やアナリストをはじめとする多くの専門家がその行き先を危惧した。
同年中に日本人社長の塙義一は解任され、ルノー会長兼最高経営責任者(CEO)であったルイ・シュヴァイツァーにより同社副社長のカルロス・ゴーン(レバノン系ブラジル人)が新たな最高経営責任者に就任した。ゴーンらのチームは、同年10月に発表した「日産リバイバルプラン(NRP)」のもとリストラを進めた。東京都武蔵村山市にある村山工場や京都府宇治市の日産車体京都工場などの生産拠点の閉鎖、資産の売却、人員の削減などとともに、子会社の統廃合や取引先の統合、原材料の仕入の見直しなどによるコスト削減が行われた。更に、車種ラインナップの整理と同時にデザインなどを刷新し、積極的な新車投入を行った結果、販売台数は増加。国内シェアでは第2位の座を奪回し、2003年6月には負債を完済した。しかし2005年度後半から2006年度にかけて新型車の投入が少なかった為、再び販売不振に陥っている。とくに国内での販売不振が顕著である。
ゴーンは日産自動車の建て直しの手腕が高く評価され、2005年4月からは親会社のルノーのCEOも兼務しており、現在はゴーンCEOの指揮の元、日産自動車生え抜きの志賀俊之がCOO(最高執行責任者)を勤める。しかしながら、日産自動車の3カ年経営計画「日産180」(全世界での売上台数を100万台増加させ、8%の営業利益率を達成し、自動車関連の実質有利子負債をなくす)における販売台数目標達成のために、計画終了(2005年9月30日)前に集中して新型車投入を行ったことによる、計画終了以降の国内やアメリカ市場における販売台数の低迷や、ゴーンなき後を見越した権力闘争など、深刻な問題を残したままの親会社への復帰に疑問の声も上がっている。
なお、ゴーン体制のもと系列解体の急先鋒となり、非日産系部品メーカーや海外メーカーからの部品仕入れを積極的に行ったが、近年は日立製作所と組んで部品メーカーの囲い込みに力を入れている。
実態は「アライアンス(同盟、協力)」と示されるような対等な関係ではないことに留意すべきである[1]。
2006年5月現在、ルノーは日産株の44パーセントを所有し日産を実効支配しているが、日産の所有するルノー株は全体の15パーセントである。さらに、フランスの法律により日産の保有するルノー株には一切の議決権が付随していない。従って、資本関係上は日産がルノーの連結子会社とされる一方で、日産がルノーに対して有する権限は一株主未満のものである。当然ながらルノーからは多くが日産の役員として送り込まれており、ルノーに日産出身の役員は皆無である。
他方、株式資本の総額は日産本体のほうが多く、「日産に投資するより、親会社のルノー本体に投資するほうが利にかなう」という逆転現象が起きている。ルノーは、買収後に日産の業績を急回復させたことにより、これまでに莫大な配当益を得ている。
ビジネス上では、車台やエンジン、トランスミッションなどの部品の共通化、購買の共同化などを通じてコストダウンを図っているほか、ルノーの車を日産ブランドで販売、日産車をルノーのブランドで販売するなどの相互のOEM供給が行われている。2005年1月には、当時のルノー会長のルイ・シュヴァイツァーが、「2010年までに日産自動車とともに世界市場の10%のシェアを確保し、年間400万台の生産を達成する」という目標を掲げた。ルノーでは傘下の日産を含めて、自社がフォルクスワーゲン・グループを上回る欧州最大の自動車メーカーであるとしている。
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現在は車名が廃止された、セドリック(Y31型セダン営業車を除く)/グロリア、ローレル、セフィーロ、サニーなどは、特に日本国内では長年積み重ねてきた実績やブランド力など、長い歴史を持つ沢山の車名を消滅させた事に対する批判や車名の復活を望む声も数多く、車種を減らすという日産の方針転換が、国内販売の不振にますます拍車をかけているとの声も少なからずある。
日産自動車が21世紀の生産・販売戦略として導入した生産方式。顧客の注文に基づく詳細な生産指示書を関係工程に指示し生産する方法で、これにより受注から納車までの時間が最短で3日という迅速な生産を実現した。現在、インフィニティブランドを取り扱う栃木工場などに導入されている。
日産自動車のロゴマークはもともと「ダットサン」で使われていたもので、吉崎良造(よしざき りょうぞう)と田中常三郎(たなか じょうざぶろう)がシボレーのマークにヒントを得て、赤の日の丸と太陽をベースに天空をモチーフとしたコバルトブルーをいれ、真ん中に白で横一文字で「DATSUN」と書かれていたのが前身である。(なお、1937年に制定された社章=記章、株券等に使用していた=は、日の丸の真中に一本の横棒を挿入し、周囲を“日”を抽象化したもので囲ったもので、日立や日本興業銀行の社(行)章と類似していることから、発足時からの「日産・日立・興銀」の関係も表していた、とされている。現在は「至誠天日を貫く」と位置づけられている。)
その後、文字を筆記体のカタカナで「ニッサン」と書き直し日産コンツェルン全体の社紋として統括企業に普及するが、戦後の財閥解体とともに日産自動車のみの社紋としてローマ字表記の「NISSAN」に変更となった。
創業50周年を迎えた1983年にはアメリカのペンタグラム社が制作したロゴマーク及び指定フォント(書体)に一新され、さらに1999年以降のルノー傘下になってからのゴーン体制下でデザインが社内コンペで募集され、より立体的なものへと小変更され現在に至る。ちなみに、このとき採用されたロゴのサンプルは現在でもゴーンのオフィスに飾られているという。
赤・白・青は、日産自動車のコーポレートカラーにもなっていて、トリコロールの愛称で日産らしさの象徴としても親しまれている。
| この記事では色について扱っています。閲覧環境によっては正しい色が表示されない可能性があります。 |
日産では、1960年代以降、以下のような規則でエンジン型式を定めている。
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| エンジン系列名 | 排気量(100cc未満は四捨五入) | バルブ機構 | 燃料供給方式 | 過給器 |
1 エンジンのシリーズ名をアルファベット1~2文字で記す。80年代の前半までは1文字のものが多かったが、現在はすべて2文字である。
など、分かりやすいネーミングが多い。また、慣例的にV型エンジンには「V」、ディーゼルエンジンには「D」が使われている。
2 1960年代以前は開発順に番号が付けられていたが、それ以降は排気量の100cc未満を四捨五入し、100で割った値。呼び排気量が1000ccに満たない場合は、頭に0をつける(例 MA09)。ただし、CG13の後継でCGA3DEとなった例外もある。
車検証の原動機型式欄に記載されるのはここまで。
3 無印の場合はSOHCまたはOHV、「D」とついている場合はDOHC、「V」がついている場合はNEO VVL(可変バルブリフトタイミング)である。ただし、FJ系は全機種DOHCであるため空欄となっている。
4 無印か「S」の場合はキャブレター(ガソリン車)、または機械式燃料噴射ポンプ(ディーゼル車)、「i」はシングルポイント インジェクション、「E」は電子制御式燃料噴射装置(ガソリン車:EGI マルチポイント インジェクション、ディーゼル車:EDI 電子制御機械式燃料噴射ポンプ)、「P」はLPGエンジンを表す。
「D」はガソリン、ディーゼルともに「NEO Di」と呼ばれる直噴エンジンエンジンであるが、ディーゼルの場合、通常のインジェクターと、ユニットインジェクター(UI)、コモンレール式のソレノイドインジェクターの区別は無い。
5 無印の場合はNA(自然吸気)、「T」が1つの場合はシングルターボ、「TT」の場合はツインターボ。「R」はスーパーチャージャー(Roots blower:ルーツブロアー)付き、さらに、スーパーチャージャーとターボチャージャを組み合わせると「RT」となる。
ディーゼルエンジンでインタークーラー付きの場合は、後に「i」がつく。
実例
「E15ET」
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| Eシリーズ | 1500cc | SOHCまたはOHV | EGI | シングルターボ |
「SR20VE」
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| SRシリーズ | 2000cc | NEO VVL | EGI | 自然吸気 |
「VQ25DD」
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| VQシリーズ | 2500cc | DOHC | NEO Di | 自然吸気 |
「YD25DDTi」
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| YDシリーズ | 2500cc | DOHC | NEO Di | インタークーラー付ターボ |
「RB26DETT」
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| RBシリーズ | 2600cc | DOHC | Electronic | ツインターボ |
軽やかさ、さわやかさを旨としているトヨタとは正反対とも言える、力強い、ある意味、大仰なネーミングが多いのが特徴。
日産の新世紀エンジン・シリーズの愛称。トヨタのLASREエンジンに対抗するために付けられた。
日産自動車における新開発エンジンの総称で小型・軽量・高性能・低燃費・静粛性と耐久性など全ての要素を高次元で調和させた新世紀エンジンの意向での(当時の)高性能エンジンシリーズであった。 PLASMAは(当時の)先進のテクノロジーと最新のエレクトロニクスを駆使した日産のエンジンにあたえられた称号であった。
(Electronic-Conetrated-Engine-Control-System)の頭文字を取った造語。
昔は3桁の数字またはアルファベット1文字に2桁または3桁の数字が割り当てられ、モデルチェンジの度に十の位を増やしていったため、ベースグレードに比べてエンジンやボディの形状が違う場合は一の位を変えていた。しかし、C31ローレル以降はアルファベット1文字に2桁の数字を合わせ、モデルチェンジの度に一の位を変えることになっている。そのため、ベースに比べてエンジンなどが異なる場合は形式名の前にアルファベットと組み合わせている。これは車両によってバラバラだが、下記の仕様については共通のアルファベットが割り当てられる。
日産自動車は、日本におけるモータースポーツのパイオニアの1社であり、国内だけでなく海外でも様々なレースに参加して、数々の実績を積み上げ、高い技術力を示している。
スポーツプロトタイプカーレースに初めて参入したのは1966年の第3回日本グランプリのフェアレディSにて。ただしこのマシンはその名のとおりフェアレディSR311に、2リットル直列6気筒の純レース用エンジンを搭載した暫定版。この後ミッドシップの純粋プロトタイプが開発される予定だったが、プリンス自動車との合併でお蔵入りになった。プリンスから引き継いだR38シリーズでトヨタ・ポルシェを破り1968年と1969年の日本グランプリを制覇した。
その後排気ガス対策を名目にスポーツカーレースは休止するが、1980年代にグループC規定が導入されると徐々にモータースポーツ活動を再開し、1984年にニッサン・モータースポーツ・インターナショナル(ニスモ)を設立すると本格的にワークス活動を再開しスポーツカー耐久レースに取り組むこととなる。そして1986年からル・マン24時間レースにも参戦するようになるが、現在まで10回の挑戦で最高位は1998年の3位(マシンはR391GT1)。2007現在は参戦休止中である。
グループCカー時代には世界スポーツプロトタイプカー選手権に1989年と1990年の2年間フル参戦した。また、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権3連覇(1990 - 1992年、マシンはそれぞれR90CP、R91CP,R92CP)、そしてデイトナ24時間レース総合優勝(1992年、マシンはR91CP)を成し遂げている。
また、かつては「ラリーの日産」と言われており、日本のメーカーの中でも最も古くからラリーに参加している。1980年代にはサファリラリー4年連続優勝を成し遂げている(車両はいずれもA10系バイオレット、クラスはグループ5)。
しかし、WRCタイトルを取ったことは未だ無く、また1990年代後半からはラリーのトップカテゴリー(WRカー/Gr.Aクラス)から離れてしまったこともあり(下位カテゴリーであるF2クラスやGr.Nクラスには参戦していた)、日本でラリーに参戦している自動車メーカーというイメージは三菱自動車やスバルに持って行かれてしまった。
余談だが、WRCに関しては撤退後に(2001年頃になってもトミ・マキネンが愚痴を言うほどの唐突な撤退劇だったことに注意)、コルシカ島でSS走行中のプジョーをプリメーラワゴンがパッシングするというCMを放映し専門誌の読者ページがこの話題一色となった。さらにその直後に日本製4WDターボ勢(クラスはWRカー/Gr.A)を敵に回してFFでNAのシトロエン(クラスはF2)がツール・ド・コルスとカタルニアの両ラリーで優勝したため、結果的にインプレッサやランエボより吊るしのプリメーラワゴンが速いという、マニアには信じられない意味合いを持つものとなってしまった。その後も日産のCMは他社の自動車を追い越すCMが多く見られたため、一時批判の的になった。
| 年代 | 内容 |
|---|---|
| 1936年 | 多摩川レースにダットサンNL75、NL76(共に750cc)で参戦。 |
| 1958年 | オーストラリア モービルガス トライアルにダットサン210型で参戦。クラス優勝。 |
| 1963年 | 第1回日本グランプリにおいてダットサンスポーツ優勝。 |
| 1964年 | (プリンス自動車時代)第2回日本グランプリで、生沢徹がドライブするS54B型スカイラインが、式場壮吉のポルシェ904を1周だけリードした。 |
| 1966年 | 第3回日本グランプリにフェアレディSで参戦。プリンス自動車から参戦のプリンス・R380が総合優勝。 |
| 1967年 | サファリラリーに130型セドリックで参戦。
第4回日本グランプリに日産・R380で参戦。 |
| 1968年 | 5月 R381、R380-IIIで68日本グランプリ GPクラスに参戦し、R381が総合優勝。 |
| 1969年 | 5月JAF-GPでPGC10型スカイラインGT-R(DOHC4バルブのS20型エンジン搭載)デビュー、優勝。
7月 '69富士1000kmレース RIIIクラスにR380が参戦、2位入賞。 10月 R382で69日本グランプリに参戦し総合優勝。 |
| 1970年 | レース・ド・ニッポンに参戦。S30型フェアレディZ 432が優勝。
510型ブルーバードがサファリラリー総合優勝。 |
| 1971年 | レース・ド・ニッポンに参戦。S30型240Zが1位、2位、KPGC10型スカイラインGT-Rが3位、4位、510型ブルーバードSSSが5位と上位を独占。
S30型240Zがサファリラリー総合優勝。 |
| 1972年 | 富士GC第1戦スーパーツーリングで、KPGC10型スカイラインGT-Rが国内レース50勝達成。 |
| 1973年 | S30型240Zがサファリラリー総合優勝。また610型ブルーバードUが2位、4位入賞。
5月 日本グランプリ FJ1300にてハヤシ708ニッサンが優勝。 8月 鈴鹿グレート20ドライバーズレース FJ1300にてマーチ733ニッサンが優勝。 |
| 1974年 | マレーシア セランゴールグランプリに710型バイオレットターボで参戦、優勝。 |
| 1977年 | FP(フォーミュラーパシフィック)に1.6リットル直列4気筒DOHC16バルブLZ14エンジン供給開始。 |
| 1978年 | PA10型バイオレットでサファリラリー参戦。 |
| 1979年 | PA10型バイオレットでサファリラリー優勝。
710型バイオレットターボで富士SS、富士LD参戦。 |
| 1980年 | PA10型バイオレットでサファリラリー連覇。
PA10型バイオレットターボで富士SS、富士LD参戦。 |
| 1981年 | PA10型バイオレットでサファリラリー3連覇。WRCメイクスランキング2位。 |
| 1982年 | PA10型バイオレットでサファリラリー4連覇。
S110型シルビアターボ、910型ブルーバードターボ、R30型スカイラインターボで富士SS参戦。 LZ16型エンジン、FPを6年連続制覇。 |
| 1983年 | 2リットル直列4気筒LZ20ターボエンジン搭載のグループCカーで全日本耐久選手権(87年より全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権=JSPC)に参戦。 |
| 1984年 | 第6回パリ・アルジェ・ダカールラリーにてパトロール(プライベーター)がディーゼルクラス優勝。
ニッサン・モータスポーツ・インターナショナル(ニスモ)設立。翌年よりワークス活動再開。 |
| 1985年 | セドリック/グロリア用V型6気筒3リットルエンジンVG30を全日本耐久選手権に投入。同エンジン搭載のマーチ85G/日産でWEC in JAPAN総合優勝を飾る。
R30型スカイラインRSターボで全日本ツーリングカー選手権参戦開始。 240RSでWRCに参戦し、サファリラリーチーム優勝、アクロポリスラリー2年連続チーム優勝、ニュージーランドラリー総合6位。 Z31型フェアレディZ 300ZXで全日本ラリー選手権参戦。Cクラスシリーズチャンピオン獲得。 第7回パリ・アルジェ・ダカールラリーにてパトロール(プライベーター)がディーゼルクラス2位。 |
| 1986年 | R86V、R85Vでル・マン24時間レースに参戦。R85Vで総合16位完走を果たす。R86V、R85V(マーチ製)、R810V(ローラ製)でJSPCに参戦。
R30スカイラインRSターボで、全日本ツーリングカー選手権チャンピオン獲得。 |
| 1987年 | 18年ぶりの純レース用エンジン、VEJ30(3リットルV型8気筒)エンジン、R87Eに搭載されデビュー。R87E(ニスモ)、R86V(チームルマン)でル・マン24時間レースに参戦。全車リタイアに終わる。R87E、R86VでJSPCに参戦。
VG30Eを搭載したS12型200SXでWRC アイボリーコーストラリーに参戦。総合2位。さらに香港~北京ラリーで総合2位。 R31型スカイラインGTS-R、全日本ツーリングカー選手権に参戦開始。 WD21型テラノで仏プライベーターが第9回パリ・アルジェ・ダカールラリーに参戦。 |
| 1988年 | R88C(ニスモ)、R87V、R88V(チームルマン)でル・マン24時間レースに参戦。R88Cで総合14位完走を果たす。R88C、R88V、R87VでJSPCに参戦。
英国にニスモの前線基地、ニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ(NME)設立。同チームからR31型スカイラインGTS-Rでヨーロッパツーリングカー選手権(ETC)に参戦。R31型スカイラインで全日本ツーリングカー選手権(JTC)に参戦。 IMSA-GTPシリーズにてニッサンGTP-ZXTがドライバーズタイトル獲得。IMSA記録の8連勝を含む、参戦12戦中9勝。 S12型200SX、K10型マーチターボでWRC サファリラリーに参戦し、200SXは総合2位A4クラス優勝、マーチもA3クラス優勝を獲得。200SXはアクロポリスで総合7位、アイボリーコーストで総合優勝。 第10回パリ・アルジェ・ダカールラリーにてVG30E搭載WD21型テラノが市販車無改造(マラソンクラス)クラス2位完走。ファラオラリー2位、3位。IMSA-GTPシリーズにニッサンGTP-ZXTが参戦し、タイトル獲得。 |
| 1989年 | 新開発VRH35エンジンを搭載したローラ製カーボンモノコックシャシーR89Cを投入してル・マン24時間レースに参戦。全車リタイアに終わる。世界スポーツプロトタイプカー選手権=WSPCにR89Cで初めてフル参戦。最高位3位(ドニントンパーク、スパ・フランコルシャン)。R88C、R89C(ニスモ)、R89V(チームルマン)でJSPCに参戦。R31型スカイラインGTS-RでJTCに参戦し、最終戦を待たずにドライバーズタイトルを獲得。
IMSA-GTPシリーズにてニッサンGTP-ZXTがドライバーズ・メイクスのダブルタイトル獲得。Z32型300ZXがIMSA-GTOに出場。 第11回パリ・チュニス・ダカールラリーにてVG30E搭載WD21型テラノが総合11位T1クラス優勝。バハスペイン T2クラス2位。ファラオラリー T2クラス優勝。アトラスラリー T1クラス優勝、T2クラス2位、4位。ポルトガルラリー T2クラス優勝。MA09ERT搭載EK10FR型マーチRが全日本ラリー選手権シリーズ優勝(Bクラス1001cc以上1600cc未満クラス)。EK10GFR型マーチスーパーターボが世界ラリー選手権、第6選、アクロポリスラリーで クラス優勝総合10位(クラス分け、過給排気量930cc x1.4倍) ザウルスカップ発足。 |
| 1990年 | R90CP(ニスモ)、R90CK(NME、NPTI)、R89C(チームルマン、クラージュ)でル・マン24時間レースに参戦。R90CKでポールポジションを獲得。R90CPで総合5位完走。R90CKでWSPCフル参戦。最高位2位(カナダ、メキシコ)。R90CP(ニスモ)、R90V(チームルマン)でJSPCに参戦、ドライバーズタイトル、メイクスタイトルの2冠を達成。
BNR32型スカイラインGT-R、JTCに参戦。全6戦で6勝しシリーズチャンピオン獲得。その後、1993年 JTC閉幕までに29連勝を達成する。 ベルギー スパ・フランコルシャン 24時間レースにBNR32型スカイラインGT-Rで参戦(グループN)し、表彰台独占。 その他、GT-Rはマカオグランプリ ギア・レースに参戦し総合優勝。N1耐久シリーズ、全日本ダートトライアル選手権にも参戦。チュニジアラリー T1クラス2位。アトラスラリー T1クラス優勝、2位、T2クラス3位。オーストラリアサファリラリー T2クラス優勝。 IMSA-GTPシリーズに参戦している米エレクトラモーティブ社に資本参加、ニッサン・パーフォマンス・テクノロジー(NPTI)設立、米国日産のワークスチームとなる。同チームのニッサンGTP-ZXTおよびその発展型NPT90が3年連続ドライバーズタイトル、2年連続メイクスタイトル獲得。 綾部美津雄選手が全日本ラリー選手権でHNU12型ブルーバードSSS-Rに乗り当時の記録となる4連勝を達成。乗り換えたRNN14型パルサーGTI-RでCクラスチャンピオンになる。 |
| 1991年 | スパ・フランコルシャン 24時間レースにBNR32型GT-RでグループA、グループN両方に参戦し、グループAで総合優勝。グループNでクラス優勝。
R91CP(ニスモ)、R91CK(フロムA)、R91V、R91VP(チームルマン)でJSPCに参戦し、2年連続ドライバーズタイトル、メイクスタイトルの2冠を達成。 スカイラインGT-Rは引き続きJTC、N1耐久に参戦し共に年間チャンピオンを獲得。 IMSA-GTPシリーズにNPT91が参戦。4年連続ドライバーズタイトル、3年連続メイクスタイトル獲得。開幕戦デイトナ24時間レースにはR90CKで参戦、2位入賞。 RNN14型パルサーGTI-RでWRC参戦。 ワンメイクレース、ザウルスジュニアカップ開催。 第13回パリ・トリポリ・ダカールラリーにてWD21型テラノがT2クラス優勝。ファラオラリー T1クラス優勝、T2クラス優勝、ディーゼルクラス優勝。 |
| 1992年 | R91CP、R91CK、R90C(IMSA GTP仕様)、Z32型300ZX(IMSA GTS仕様)、S13型240SX(IMSA GTU仕様)でデイトナ24時間レースに参戦。R91CPが日本人ドライバー・日本車の組み合わせにおいて史上初の総合優勝。
スパ・フランコルシャン 24時間レースにBNR32型GT-RでグループA、グループN両方に参戦し、グループAはリタイアするが、グループNでは3年連続クラス優勝。 R92CP(ニスモ)、R91CP(テイクワン)、R90CK(フロムA)でJSPCに参戦。3年連続ダブルタイトル獲得。最終戦のみ、3.5リットル自然吸気V型12気筒VRT35型エンジン搭載NP35参戦。 GT-Rは引き続きJTC、N1耐久共に年間チャンピオンを獲得。Z32型300ZXがIMSA-GTSシリーズでタイトル獲得。RNN14型パルサーGTI-RでWRC参戦。スウェディッシュラリーで総合3位獲得。グループNでは年間タイトル獲得。 第14回パリ・ケープタウンラリー T2クラス優勝、マラソンクラス2位(テラノ)。パリ・モスクワ・北京ラリー T1クラス優勝、2位、T2クラス2位。ファラオラリー T2クラス優勝。アトラスラリー T1クラス優勝、T2クラス1位~4位。オーストラリアサファリラリー T1クラス優勝、T3クラス2位~4位。 |
| 1993年 | BNR32型GT-RおよびS12型シルビアで全日本GT選手権 (JGTC) 参戦。GT-Rが年間チャンピオンを獲得する。GT-Rは引続きJTC、N1耐久共に年間チャンピオンを獲得。この年JTCは閉幕する。ソーラーカー 「サンフィーバー」でインターナショナルソーラーカーレースに参戦。総合2位。
ニコラ1000ポルトガルラリー T1クラス優勝、2位、T2クラス2位~4位。バハ・アラゴンスペインラリー T1クラス優勝、T2クラス2位。チュニジアラリー T1クラス優勝、3位、T2クラス2位、4位。ファラオラリー ディーゼルクラス優勝、T2クラス3位。アトラスラリー T1クラス優勝、2位、T2クラス2位~4位。オーストラリアサファリラリー T3クラス優勝。 WD21型テラノがFIAクロスカントリーラリーワールドカップマラソントロフィー(T1クラスのチャンピオン)獲得。 |
| 1994年 | P10型プリメーラGTE、B14サニーでこの年に開幕した全日本ツーリングカー選手権(JTCC)に参戦。BNR32型GT-Rは引続きJGTC、N1耐久共に年間チャンピオンを獲得。また、この年JGTCにはプライベーターでZ32型フェアレディZがGT1クラスに、S13型シルビア、R31型スカイラインGTS-R、R30型スカイラインRSがGT2クラスに参戦し、スカイラインGTS-RがGT2クラスシリーズチャンピオンを獲得している。Z32型300ZXがIMSA-GTSシリーズでタイトル獲得。
チュニジアラリー T1クラス優勝、2位、T2クラス優勝、ディーゼルクラス優勝。アトラスラリー T2クラス優勝。バハスペインラリー T2クラス優勝。バハイタリアラリー T2クラス優勝。オーストラリアサファリラリー T2クラス優勝。 WD21型テラノがFIAクロスカントリーラリーワールドカップマラソントロフィー獲得。 |
| 1995年 | ニスモGT-R LMでル・マン24時間レースに参戦。総合10位(クラス5位)完走を果たす。BCNR33型GT-RでJGTCおよびN1耐久に参戦し、共にシリーズチャンピオン獲得。また、前年同様JGTC GT2クラスではプライベーターのR31型スカイラインがシリーズチャンピオンを獲得。BNR32型GT-R、Z32型フェアレディZ(最終戦はIMSA GTS仕様)、S13型シルビア、R30型スカイラインもプライベーターの手でJGTCに参戦している。JTCCにはP10型プリメーラおよびB14型サニーで引続き参戦。
第17回グラナダ・ダカールラリーにてWD21型テラノがT1クラス優勝、T2クラス2位~4位。 WD21型テラノがFIAクロスカントリーラリーワールドカップマラソントロフィー3年連続で獲得。 |
| 1996年 | ニスモGT-R LMでル・マン24時間レースに参戦。総合15位(クラス10位)完走。
BCNR33型GT-RでJGTCおよびスーパーN1耐久シリーズに参戦。JGTCではタイトルを逃すものの、スーパーN1ではシリーズチャンピオンを獲得。JGTCにはBNR32型GT-R、R31型スカイライン、S14型シルビア、Z32型フェアレディZ IMSA GTS仕様がプライベーターの手により参戦。P11型プリメーラはJTCCに、B14型サニーはJTCCと東南アジア・ツーリングカー・ゾーン・チャレンジ(SEATCZC)に地元チームの手で参戦。 第2回ラリーレイド・モンゴル参戦。 |
| 1997年 | R390 GT1でル・マン24時間レースに参戦。総合12位完走を果たす。またこの年のル・マンではBCNR33型GT-Rがペースカーを務めた。JGTCにはBCNR33型GT-Rで参戦。惜しくも年間チャンピオンを逃す。プライベーターではBNR32型GT-R、R31型スカイライン、S13型&S14型シルビア、Z32型フェアレディZ IMSA GTS仕様が参戦。この年で閉幕するJTCCにはP11型プリメーラで参戦。
スーパーN1ではBCNR33型GT-Rが年間チャンピオン獲得。十勝24時間レースではGTクラス、N1クラス2冠達成。 第19回ダカール・アガデス・ダカールラリーにてテラノが総合6位完走。 第3回ラリーレイド・モンゴルにR50型テラノで参戦し、総合優勝。 北米インディ・レーシング・リーグ(IRL)にエンジン供給開始。 |
| 1998年 | R390 GT1でル・マン24時間レースに参戦。日本人ドライバー・日本車の組み合わせにおいて、最高位である総合3位を獲得、日本人ドライバー・日本車の組み合わせの表彰台は、史上初の大快挙を達成する。他、総合5位、6位、10位とエントリーした4台すべてが総合10位圏内に入った。なお、日本車が全車完走したのは、後も先にも日産チームのみ。
また、この年はクラージュにエンジンを供給したCourage C51-NISSANも参戦した。JGTCにはBCNR33型GT-R、S14型シルビアで参戦し、GT-RがJGTCドライバーズタイトル、チームタイトルの2冠達成。 スーパー耐久(S耐)にはBCNR33型GT-R、N14型パルサーで参戦。GT-Rがシリーズチャンピオン、パルサーがシリーズランキング2位、3位を飾る。 P11型プリメーラでイギリスツーリングカー選手権(BTCC)、SEATCZCに参戦。BTCCではマニュファクチャラーズタイトル、SEATCZCでは年間ドライバーズランキング2位獲得。また、マカオギアレースとの混走となった最終戦では総合4位完走。 欧州にてフォーミュラ・ニッサン発足。 |
| 1999年 | R391、C52(クラージュ)でル・マン24時間レースに参戦。C52のみ総合8位完走。その後R391はル・マン富士1000kmに参戦し、総合優勝。
ニュルブルクリンク24時間レース(ADAC 24h-Rennen)にBCNR33型GT-Rで参戦し、総合6位完走。 第28回インターナショナルポッカ1000km GT300クラスおよびS耐クラスにそれぞれS15型シルビア、BNR34型GT-Rで参戦。各クラス優勝。JGTCにはBNR34型GT-R、S15型シルビアで参戦。GT-Rがドライバーズタイトルを獲得。S耐においてもBNR34型GT-Rがシリーズチャンピオンを獲得。P11型プリメーラでBTCCに参戦しドライバーズタイトル、マニュファクチャラーズタイトルの2冠達成。 第21回パリ・ダカールラリー T2クラス7位、8位。第5回ラリーレイド・モンゴルにR50型テラノで参戦し、総合優勝。 |
| 2000年 | BNR34型GT-R、S15型シルビアでJGTCに参戦。年間タイトル獲得ならず。一方、S耐ではBNR34型GT-Rが全勝し、年間タイトルを獲得、N15型パルサーは年間ポイント2位を獲得している。
第29回インターナショナルポッカ1000km GT500クラスおよびS耐クラスにそれぞれBNR34型GT-Rで参戦。GT500クラスは途中リタイヤ、S耐クラスはクラス優勝。インターテックinコリアにS耐仕様BNR34型GT-Rで参戦し表彰台を独占。 スウェーデンツーリングカー選手権(STCC)にP11型プリメーラで参戦しドライバーズタイトル獲得。 南アフリカツーリングカー選手権にP11型プリメーラで参戦し、ドライバーズタイトル、マニュファクチャラーズタイトルの2冠達成。プリメーラはBTCCにも参戦。 第22回パリ・ダカールカイロラリー T2クラスにVQ35DE搭載R50型テラノで参戦し総合8位完走。 第6回ラリーレイド・モンゴルにVG33E搭載R50型テラノで参戦し、総合優勝を飾る。K11型マーチ、N15型パルサーが全日本ラリー選手権2輪駆動部門に参戦し、それぞれAクラス、Bクラスのドライバーズタイトルを獲得。IRL参戦4年目にして初優勝。全日本F3選手権にSR20VE供給開始。 アメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)、スポーツレーシング・ワールドカップ、アメリカ・グランダム・ロードレーシング、ル・マン24時間レースにVQエンジン供給。スポーツレーシング・ワールドカップ SPORTS RACING LIGHTSクラスではドライバーズタイトル、アメリカ・グランダム・ロードレーシングIIクラスではドライバー、マニュファクチャラー両タイトル獲得。 |
| 2001年 | BNR34型GT-R、S15型シルビアでJGTCに参戦。GT500クラスチームタイトル獲得。シルビアはドライバーズタイトル獲得。GT-R、シルビアが参戦するS耐では、GT-Rが全勝し年間タイトルを獲得。ニュルブルクリンク24時間レースにBNR34型&BCNR33型GT-Rで参戦。第30回インターナショナルポッカ1000km GT300クラスおよびS耐クラスにそれぞれS15型シルビア、BNR34型GT-Rで参戦。シルビアが総合7位クラス優勝。
P11型プリメーラでSTCCおよびFIAヨーロッパ・ツーリングカー選手権参戦。VQ35DEを搭載するR50型テラノで第23回パリ・ダカールラリーに参戦し、総合12位T1クラス優勝。 南アフリカ・オフロード選手権(SAOC)クラスT(スーパートラック)にVQ35DE搭載D22型ハードボディで参戦。シリーズ優勝。K11型マーチ、N15型パルサー、S15型シルビアが全日本ラリー選手権2輪駆動部門に参戦し、マーチがAクラスのドライバーズタイトルを獲得。 第28回ロレックス・モントレー・ヒストリック・オートモービル・レースに1971年製BREダットサン510で参戦し、2.5チャレンジ・クラス優勝。インターナショナルF3マカオグランプリ、コリアスーパープリにSR20VE搭載車が参戦し、コリアにて12位完走。 FIAスポーツカーチャンピオンシップ(FIA-SCC)SR2クラスにVQエンジン供給。ドライバー、チーム両タイトル獲得。グランダムスポーツカーシリーズSRP IIクラスにVQエンジン供給。ドライバー、エンジン・マニュファクチャラー両タイトル獲得。ALMS LMP675クラスにVQエンジン供給。エンジン・マニュファクチャラータイトル獲得。 フォーミュラ・ニッサン閉幕。 |
| 2002年 | BNR34型GT-R、S15型シルビアでJGTCに参戦。GT-Rは第5戦よりそれまでのRB26DETTからVQ30DETTに搭載エンジンが変更されたがシルビアと共に年間タイトル獲得ならず。S耐ではGT-Rが全勝し年間タイトルを獲得。ニュルブルクリンク24時間レースにBNR34型GT-Rで参戦し、総合5位完走。第31回インターナショナルポッカ1000km GT500クラスおよびS耐クラスにBNR34型GT-Rで参戦。全車リタイヤとなる。
第24回トタール・アラス・マドリード・ダカール・ラリーにVQ35DE搭載D22型ピックアップ、VQ35DE搭載エクストレイル、VQ35DE搭載R50型テラノで参戦。テラノが総合11位プロダクション部門2位を獲得。FIAクロスカントリーラリー選手権参戦。SAOCにハードボディで参戦。クラスDおよびクラスTでシリーズ優勝。FIAトロフィー・バハ参戦シリーズ2位。K11型マーチ、S15型シルビアが全日本ラリー選手権2輪駆動部門に参戦し、マーチがAクラスのシリーズ3位、シルビアがシリーズ2位、4位を獲得。 第86回インディ500にて日産エンジン搭載車が総合5位獲得。IRLメーカー・オブザイヤーを獲得するが、IRLへのエンジン供給は2002年をもって終了。FIA-SCC SR2クラスにVQエンジン供給。グランダムスポーツカーシリーズSRP IIクラスにVQエンジン供給。ドライバー、エンジン・マニュファクチャラー両タイトル獲得。ALMS LMP675クラスにVQエンジン供給。 |
| 2003年 | 前年同様VQエンジン搭載のGT-R、シルビアに加えVQ35DEを搭載したZ33型フェアレディZがJGTCのGT300クラスに参戦。GT-R、フェアレディZ共にドライバーズタイトルを獲得。GT500クラスはチームタイトルも獲得し、2冠達成。S耐にはGT-Rに加えフェアレディZも参戦。GT-Rはシリーズ発足以来13年連続でシリーズチャンピオン獲得。ニュルブルクリンク24時間レースにBNR34型GT-Rで参戦し、総合54位A8クラス2位完走。SCCAスピードツーリングカー・シリーズにセントラSE-Rが参戦。シリーズ4位。
第25回テレフォニカ・ダカール2003にVQ35DE搭載D22型ピックアップで参戦し、総合5位完走。FIAクロスカントリーラリー・ワールドカップ、FIAトロフィー・バハに参戦。SAOCにD22型ハードボディで参戦。クラスDおよびクラスTでシリーズ優勝、マニュファクチャラーズタイトルを獲得。K11型マーチ、Z33型フェアレディZが全日本ラリー選手権2輪駆動部門に参戦(ドライバーは`マッドドッグ`三好)。マーチはシリーズ2位、3位、フェアレディZはシリーズ4位で参戦初年度を終了。 第81回パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムにVQ35DE、RB26DETTそれぞれを搭載したZ33型フェアレディZが参戦。オープンクラス3位、4位完走。FIA-SCC SR2クラスにVQエンジン供給。ドライバーズタイトル獲得。全日本F3選手権第7戦にてSR20VE搭載車がポール・トゥ・ウィン。F3での優勝は1989年以来でありシリーズ2位を獲得。マニュファクチャラーズランキングもホンダを抜き2位を獲得。グランダムスポーツカーシリーズSRP IIクラスにVQエンジン供給。開幕戦のデイトナ24時間レースでは、総合7位、8位完走。 グランダムカップシリーズGS-IIクラスにZ33型350Zが参戦。ALMS LMP675クラスにVQエンジン供給。ドライバーズ4位、マニュファクチャラーズ2位獲得。米国オフロード・レーシング選手権(CORR)Pro-LiteクラスにD22型ピックアップが参戦。シリーズ4位。 |
| 2004年 | VQ30DETTを搭載したZ33型フェアレディZでJGTCのGT500クラスに参戦しドライバーズタイトル、チームタイトルの2冠達成。S耐でもフェアレディZがクラス3シリーズチャンピオン獲得。ニュルブルクリンク24時間レースにBNR34型GT-Rで参戦し、総合5位A8クラス優勝。
第26回テレフォニカ・ダカール2004にVQ35DE搭載D22型ピックアップ、パトロール、R50型パスファインダーで参戦。ピックアップが総合7位入賞、パトロールが総合22位T1クラス優勝を果たす。ハードボディで参戦しているSAOCにて総合プロダクションマシン、マニュファクチャラーズ、クラスT、クラスDの各タイトルを獲得。マニュファクチャラーズは4年連続、クラスTドライバーズタイトルは2年連続。全日本ラリー選手権2輪駆動部門にZ33型フェアレディZおよびK11型マーチが参戦。 ワールドシリーズ by ニッサン閉幕。 |