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熊本県(くまもとけん)は、九州地方の中央に位置する都道府県のひとつ。人口約184万人、面積約7,400km² 有明海、不知火海、東シナ海に面している。全国有数の農業県であり、また車エビなどの養殖業が盛ん。世界最大級のカルデラを持つ阿蘇山が知られる。
目次 |
九州本島の中央部に位置し、福岡、大分、宮崎、鹿児島の各県と境を接する。海上で有明海を隔てて長崎県とも接する。東部に世界最大級のカルデラを持つ阿蘇山や九州山地の山々がそびえ、西部は熊本平野が有明海に、八代平野及び葦北地方のリアス式海岸が不知火海に面する。その間に宇土半島がつきだし天草諸島に続いている。
気候は太平洋側気候で温暖だが、冬と夏で寒暑の差が激しい。冬は阿蘇地方の九州山地や阿蘇山では毎年多量の積雪となり、最低気温も氷点下まで下がることが多く、真冬日にもなりやすい。寒気が流れ込むと山頂では稀に-20℃近くまで下がり、厳しい寒さとなる。 夏では熊本市周辺が35℃以上の猛暑でも、30℃以下の気温が続き冷涼な気候である。阿蘇山では最高気温が30℃を超えることがまったく無い。降水量も多く年間を通して2000mm以上である。
一方、熊本市周辺で夏場では気温が35℃を越す猛暑になることも少なくない。冬では最低気温が氷点下まで下がることもあるが、降雪・積雪は山地や内陸とは少ない。
豊臣秀吉により肥後に封ぜられた加藤清正が「熊本」という文字を使ったと謂われ、それ以前は「隈本(隅本とも)」と書いた。
4世紀後半期に宇土半島の基部に摺鉢山(すりばちやま)古墳(宇土市、96m)、迫ノ上(さこのうえ)古墳(宇土市、56m)などの前方後円墳が営まれていた。 玉名郡和水町(旧菊水町)に5世紀末~6世紀初頭に造られた前方後円の江田船山古墳がある。同古墳から75文字を銀象嵌した大刀が出土している。
熊本県の領域はかつての肥後国のそれとほぼ重なるが、肥後国は古代においては、「火の国」または「肥の国」と呼ばれていた。これは八代郡ひ郷(肥伊郷)=現在の八代郡氷川流域に古代の多氏の流れを汲む「火君(ひのきみ)」と呼ばれる有力豪族がおり、地域の中心であったことに由来するとされている。肥の国はやがて、現在の佐賀県・長崎県の地域をも含むようになるが、7世紀終わりごろに肥前国と肥後国に分けられた。
肥後国は生産力が高い豊かな土地で、地理的にも重要と判断されたため、律令体制下では大国のひとつとされた。
中世には、阿蘇神社の神威を利用して勢力を拡大した多氏後裔の阿蘇氏、遠江国から地頭として下り球磨郡に土着した相良氏、大宰府の府官であった菊池氏といった豪族が勢力を伸ばした。南北朝時代は、後醍醐天皇の皇子懐良親王を擁する菊池氏が九州の南朝の中心として活躍した。さらに、南朝方の名和長年の子孫である名和氏も領地がある八代に移った。戦国時代に至って、相良氏は名和氏を追い肥後国南部を支配するが、北部では菊池氏や阿蘇氏の家中はしばしば乱れ、豊後守護の大友氏の介入を招くなどしたため、有力な戦国大名が現れず、国人が割拠する状態が続いた。
豊臣秀吉の九州征伐により佐々成政が肥後の国主を命じられるが、太閤検地に反対する国人たちによる一揆が起こった。秀吉は成政にその責任を負わせて切腹を命じる一方、一揆に参加した国人たちを徹底的に弾圧し、その勢力は一掃された。その後、秀吉は北半分を加藤清正、南半分を小西行長に分け与え、球磨郡においては相良氏の支配を認めた。
小西行長が関ヶ原の戦いで敗れ滅亡すると、加藤清正がその領地を併せ52万石の領主となった。清正は名城熊本城を築き、また河川・水路を改修して耕地を広げ生産力の向上に努めたため治水の名人として崇められた。しかし清正の死後、息子忠広の代に改易され、代わって細川氏が54万石の領主となった。(熊本藩)支藩として宇土藩、熊本新田藩がある。また、家老の松井家は八代城の城代として、3万石を与えられており、事実上の八代支藩の藩主であった。他に肥後国内には、相良氏が治める人吉藩があった。
天草は長崎に近く、また、キリシタン大名であった小西行長の領地になったこともあり、キリシタンの数が多かった。関が原の合戦後、唐津藩12万石の領主である寺沢広高の領地となるが、寺沢はキリシタンを弾圧し、また過酷な徴税をおこなったことから、1637年(寛永14)島原の乱が起こると、住民の半分がこれに参加し、全滅した。乱後、天草は天領となり、初代代官の鈴木重成の尽力によって天草は次第に復興していった。
1871年(明治4)、肥後国には熊本県と八代県が設置された、熊本県はその後白川県と改められ、1873年、白川県と八代県が合併して白川県となった。1877年(明治10)、再び熊本県に改名され、現在の熊本県が誕生した。
主に戦前までは熊本が九州の中心とみなされ、熊本鎮台・第五高等学校などが設置されたが、戦後の経済発展に伴い、その役割は次第に福岡県へと移っていった。
第五高等学校教師として夏目漱石・小泉八雲が熊本市に住んでいたことがあり、森鴎外も第12師団軍医部長として熊本市に赴任したこともある。熊本での体験が彼らの文学に大きな影響を与えている。
年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
総計 [単位 千人]
年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
男女別 [単位 千人]
| 画像:Demography43000.svg | |
| 熊本県と全国の年齢別人口分布図(比較) | 熊本県の年齢・男女別人口分布図 |
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■紫色は熊本県
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |
(1991年2月1日以降)
名所旧跡
観光スポット・祭事・催事
そのほか
旅客輸送を行っている鉄道。
熊本県に事業拠点を置く路線バス事業者。
過去にはエフエムたまな(コミュニティ放送局)も存在したが、2006年4月をもって閉局。
| 北海道地方: | 北海道 |
|---|---|
| 東北地方: | 青森県 | 岩手県 | 宮城県 | 秋田県 | 山形県 | 福島県 |
| 関東地方: | 茨城県 | 栃木県 | 群馬県 | 埼玉県 | 千葉県 | 東京都 | 神奈川県 |
| 中部地方: | 新潟県 | 富山県 | 石川県 | 福井県 | 山梨県 | 長野県 | 岐阜県 | 静岡県 | 愛知県 |
| 近畿地方: | 三重県 | 滋賀県 | 京都府 | 大阪府 | 兵庫県 | 奈良県 | 和歌山県 |
| 中国地方: | 鳥取県 | 島根県 | 岡山県 | 広島県 | 山口県 |
| 四国地方: | 徳島県 | 香川県 | 愛媛県 | 高知県 |
| 九州地方: | 福岡県 | 佐賀県 | 長崎県 | 熊本県 | 大分県 | 宮崎県 | 鹿児島県 |
| 沖縄地方: | 沖縄県 |
| 市部: | 熊本市 | 八代市 | 人吉市 | 荒尾市 | 水俣市 | 玉名市 | 山鹿市 | 菊池市 | 宇土市 | 上天草市 | 宇城市 | 阿蘇市 | 合志市 | 天草市 |
|---|---|
| 下益城郡: | 城南町 | 富合町 | 美里町 |
| 玉名郡: | 玉東町 | 南関町 | 長洲町 | 和水町 |
| 鹿本郡: | 植木町 |
| 菊池郡: | 大津町 | 菊陽町 |
| 阿蘇郡: | 南小国町 | 小国町 | 産山村 | 高森町 | 西原村 | 南阿蘇村 |
| 上益城郡: | 御船町 | 嘉島町 | 益城町 | 甲佐町 | 山都町 |
| 八代郡: | 氷川町 |
| 葦北郡: | 芦北町 | 津奈木町 |
| 球磨郡: | 錦町 | 多良木町 | 湯前町 | 水上村 | 相良村 | 五木村 | 山江村 | 球磨村 | あさぎり町 |
| 天草郡: | 苓北町 |