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福田康夫内閣(ふくだやすおないかく)は、2007年9月25日に首班指名された第91代内閣総理大臣福田康夫によって9月26日に組閣された内閣。安倍改造内閣に引き続き、自由民主党と公明党との連立内閣である。
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| 職名 | 氏名 | 特命事項等 | 所属等 |
|---|---|---|---|
| 内閣総理大臣 * 内閣総理大臣補佐官 * 内閣総理大臣補佐官 |
福田康夫 中山恭子 ※ 小川惠里子 ※ |
拉致問題担当 教育再生担当 |
衆、無派閥 参、 無派閥 参、 町村派 |
| 総務大臣 内閣府特命担当大臣 (地方分権改革担当) |
増田寛也 ※ | 郵政民営化、道州制、 地方再生担当 |
民間、 前岩手県知事 |
| 法務大臣 | 鳩山邦夫 ※ | 衆、 津島派 | |
| 外務大臣 | 高村正彦 ※ | 衆、 高村派 | |
| 財務大臣 | 額賀福志郎 ※ | 衆、 津島派 | |
| 文部科学大臣 国立国会図書館連絡調整委員会委員 |
渡海紀三朗 | 衆、 山崎派 | |
| 厚生労働大臣 | 舛添要一 ※ | 参、 無派閥 | |
| 農林水産大臣 | 若林正俊 ※ | 参、 町村派 | |
| 経済産業大臣 | 甘利明 ※ | 衆、 山崎派 | |
| 国土交通大臣 | 冬柴鐵三 ※ | 観光立国、海洋政策担当 | 衆、 公明党 |
| 環境大臣 | 鴨下一郎 ※ | 地球環境問題担当 | 衆、 津島派 |
| 防衛大臣 | 石破茂 | 衆、 津島派 | |
| 内閣官房長官 * 内閣官房副長官 (政務担当) * 内閣官房副長官 (政務担当) * 内閣官房副長官 (事務担当) * 内閣危機管理監 * 内閣法制局長官 |
町村信孝 ※ 大野松茂 ※ 岩城光英 ※ 二橋正弘 野田健 ※ 宮崎礼壹 ※ |
拉致問題担当 |
衆、 町村派 衆、 町村派 参、 町村派 |
| 国家公安委員会委員長 内閣府特命担当大臣 (防災、食品安全担当) |
泉信也 ※ | 参、 二階派 | |
| 内閣府特命担当大臣 (沖縄及び北方対策、 規制改革、国民生活、 科学技術政策担当) |
岸田文雄 ※ | 衆、 古賀派 | |
| 内閣府特命担当大臣 (金融担当) |
渡辺喜美 ※ | 行政改革、 公務員制度改革担当 |
衆、 無派閥 |
| 内閣府特命担当大臣 (経済財政政策担当) |
大田弘子 ※ | 民間、 大学院教授 |
|
| 内閣府特命担当大臣 (少子化対策、 男女共同参画担当) |
上川陽子 ※ | 衆、 古賀派 |
2007年9月27日任命。 総務副大臣に新たに谷口隆義が任命された以外は、全員、安倍改造内閣に引き続いての再任。
2007年9月27日任命。 全員、安倍改造内閣に引き続いての再任。
2007年9月10日に第168回臨時国会が召集され、安倍晋三首相(総裁、当時)は野党に理解と協力を求める極めて謙虚な所信表明演説をしたものの、そのわずか2日後に突然の辞任表明を行ない、同時に総裁選で早急に後継総裁を選ぶよう指示した。これを受け、9月23日に自民党総裁選が行われ、党内8派閥の領袖から雪崩現象的に支持された福田康夫候補が麻生太郎候補を133票差(福田330票、麻生197票)で破って総裁に選ばれた[1]。
9月25日の国会の本会議で行われた内閣総理大臣指名選挙では9年ぶりに衆議院と参議院で異なった指名が行われ(衆議院で福田康夫338票・小沢一郎117票、参議院の決選投票で小沢一郎133票・福田康夫106票)、両院協議会では成案を得ることができず、衆議院の優越により福田康夫自民党総裁が内閣総理大臣に指名された。
憲政史上、親(福田赳夫)子(長男、福田康夫)がともに内閣総理大臣になった初めての例である。さらに、対する野党第一党の民主党代表小沢一郎が、父福田赳夫の最大の政敵である田中角栄の「懐刀」「秘蔵っ子」であるという点でも注目されている。
このため、早速、野党の各党から「安倍お下がり内閣」(市田忠義 日本共産党書記局長)、「古い自民党内閣」「自民党の、自民党による、自民党のための内閣」(福島瑞穂 社民党党首)、「昔の名前で出ています内閣」(鳩山由紀夫 民主党幹事長)などと揶揄する論評が出された。
福田首相は、基本的に安倍改造内閣の方針を踏襲すること、かつ、国会会期中の組閣、即、国会審議という日程から、即戦力・実力を重視し、17名の閣僚のうち15名を安倍改造内閣からの留任・横滑りとした。新入閣は、渡海紀三朗(文部科学大臣)と石破茂(防衛大臣)の二人だけであり、うち初入閣は渡海紀三朗文相一人だけであった。
国務大臣への人事発令内容では、増田寛也の特命職務の「地方・都市格差是正担当」が「地方再生担当」と名称変更され、岸田文雄の内閣府特命担当大臣としての担当事項から「再チャレンジ担当」が外された。
さらに安倍政権時代の多過ぎる官邸諮問会議の削減が図られるなど、安倍政権時代の政策を一部継承しない姿勢も早々に打ち出した。
組閣を終えた福田康夫首相は、最初の記者会見で「一歩でも間違うと自民党は政権を失いかねない。緊張した日々を送らなければならない」と述べ、自らの内閣を「背水の陣内閣」と命名し[2][3]、「政治不信の解消に全力を挙げる」と宣言した[4]。
翌9月26日午前8時20分に宮中での内閣総理大臣の親任式、国務大臣の認証官任命式において、正式に内閣を発足させた福田首相は、初閣議で閣僚たち全員に政治資金の「厳格対応」を求め[5]、内閣の基本方針を示す内閣総理大臣談話[6]を発表した。
この談話で福田首相は、以下の基本方針を示した。
国務大臣だけではなく、比較的派閥の要望が通りやすい副大臣・大臣政務官人事も、ほぼ前内閣からの再任または横滑りという陣容であった。魚住裕一郎が総務副大臣を離任して谷口隆義が就任する以外は、すべて再任となった。
組閣早々マスコミをいやが上にも賑わせた特筆すべき点は、日本国の憲政史上、親(福田赳夫)子(長男、福田康夫)がともに内閣総理大臣になった初めての例であるということである。
さらに、対する野党第一党の民主党代表小沢一郎が、父福田赳夫の最大の政敵である田中角栄の「懐刀」「秘蔵っ子」であるという点である。
前者については「親子鷹(おやこだか)」、後者については福田康夫元「陰の外相」vs田中真紀子元外相の対決も併(あわ)せて「第2次角福戦争」[7]「平成の角福戦争」[8]「再来 角福戦争」[9]と波乱を予感させるような表現が囁(ささや)かれている。
メールマガジンについては、福田康夫政権も小泉純一郎政権・安倍晋三政権に引き続き内閣メールマガジンを発行することを、早々に内閣官房(内閣広報室)を通じ安倍内閣メールマガジン購読者へメールで知らせており、その情報は全国紙によって、いち早く報道された。
内閣発足直後に行なわれた世論調査では、福田内閣は、毎日新聞の調査で57パーセントの高い支持率を記録し(毎日新聞の1949年以降の統計では、1960年代からのテレビの普及、1970年代以降のノンポリ化、1980年代以降の世情の右傾化、1990年代後半以降のインターネット普及という環境的違いはあるものの、歴代5位[10])、御祝儀相場とはいえ国民の過半数から支持される好スタートとなった[11])、御祝儀相場という側面はあるものの、「貧乏くじ」の可能性も十分考えられる状況の中では好スタートを切った。福田首相は、この世論調査の結果について記者から尋ねられたところ「私どもは支持率のために政治をやっているんじゃないんですよ」「支持率が高いってことはいいことですけどね。フッフ」と早速(さっそく)福田節で記者たちを煙に巻いた(テレビ報道)。
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石破茂防衛相や渡海気三朗文相らの「政治とカネ」の問題に対し、福田首相は9月27日午前、「きちんと正直に説明しなさい」と述べ、説明責任を尽くすよう指示した[12]。ただし、町村信孝官房長官は、これらの問題について「説明ぶりに矛盾はないという印象だ」と述べ、問題視しない意向を表明している[13]。
石破茂防衛相が代表を務める資金管理団体「石破茂政経懇話会」(鳥取市)が、福田内閣の組閣当日の25日に、2004年分の政治資金収支報告書の訂正を鳥取県選挙管理委員会に届け出ていたことが判明した。石破個人から同懇話会への寄付が、政治資金規正法の定める上限(年間1000万円)を超える1050万円と記載されていたが、石破個人からの寄付は850万円で、残りの200万円は自民党鳥取県第1選挙区支部から石破を通じて同懇話会に寄付されたとする訂正をした。本人は、「事務ミスで、(訂正が入閣当日になったことは)たまたま。官邸にも報告しており、法的問題はないと承知している。なぜこういうことになったのか、分かり次第、明らかにしたい」と記者からの取材に対してコメントしている。[14][15]
渡海紀三朗文相が代表を務める「自由民主党兵庫県第10区選挙区支部」が、渡海が出馬した2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙の公示日の当日と、2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の公示日前日に、国の公共工事を受注・施工中の、高砂市の建設会社からそれぞれ100万円の寄付を受けていたことが判明した。これに対し本人は、「特定の選挙資金ではなく、公職選挙法違反の認識もないが、疑義を持たれるのは不本意なので、返金したい」とコメントしている。[16]
2007年10月23日、福田首相は石破防衛相に、防衛省(旧・防衛庁)によるインド洋上での給油量隠蔽問題について「速やかに事案調査を徹底し、厳正処分を行い、実効ある再発防止を講ずるように」と厳命した。[17]。
衆院テロ防止・イラク支援特別委員会は、この海自給油量隠蔽問題の真相解明のため、2003年当時、給油量隠ぺい問題の担当者だった海上幕僚監部の寺岡正善・元防衛課長を11月5日に参考人招致して聞く予定であったが、11月2日、招致に応じない意向を同委に伝えたため、民主党の山岡賢次国対委員長は「問題解明に不可欠」として同委理事会で寺岡氏の証人喚問を求めた[18]。
2007年10月29日、鳩山邦夫法相が日本外国特派員協会の講演で2002年のバリ島爆弾テロ事件に関連し「友人の友人がアルカイダ。バリ島の中心部は爆破するから近づかないようにとアドバイスを受けた」と発言した。出入国を所管する法相ひいては日本政府が大規模テロ事件の情報を事前に掴んでいたかのような発言は、特に外国特派員協会での講演ということもあり内外に大きな衝撃を与えた。そのため、鳩山法相は当日中に訂正の記者会見をするはめとなり、「実際に話を聞いたのはテロの3、4ヶ月後だった。話を聞いた友人は自分の趣味であるチョウの採集を通じて知り合った一般人で、アルカイダと断定はしていなかったが関わりのある過激派グループに協力している人物かもしれないとのことだった」と苦しい釈明をした[19]。
翌30日、内閣総理大臣福田康夫から「そういうこと(テロ)を防止する役目だからしっかりやるように」[20]と注意され、町村信孝官房長官からは「日本の法務大臣がテロリストを知っているという誤った印象を与える発言は遺憾」として注意を受けた[20]。鳩山法相は、「ご心配をかけて申し訳ない」と福田首相に対して謝罪したが、記者から「(鳩山法相の)『友人の友人がアルカーイダ』という見出しが一人歩きすると国際的な信用を落としかねないと思われるが」と質問が飛ぶと「事実を言ったらいけないのか。知り合いの知り合いということでは間違いない。それが国際的な信用にかかわるとは思えない」と主張した[21]。
国民新党代表代行亀井静香(元警察官僚)が「警察庁は法相から事情聴取をしていない。国家公安委員長は何をやっているのか。(法相を)放っておくのはふまじめすぎる」[22][23]と発言するなど、事実関係の解明を求める指摘もされており、町村信孝官房長官は文書による事実関係の報告を鳩山に指示している。また、当該人物がテロ組織と無関係だった場合どうするのか問われた鳩山は、「人の名誉を著しく傷つけることになれば、何らかの責任を取らないといけない」[24][25]と衆議院法務委員会にて答弁している。
2007年10月26日午前、高村正彦外相は、閣議後の記者会見で北朝鮮による拉致問題について「何人かでも帰国すれば進展であることは間違いない」「その進展の度合いに応じて、われわれも行動を取っていくのは当然だ」「(拉致実行犯の処罰や真相究明は)当然求めていくが、生存者全員の帰国が全体の大きなパーセンテージを占めている」と語り、生存している拉致被害者全員の帰国を最優先させる方針であることを表明した[26]。 2007年10月26日夜、福田康夫首相は、首相官邸で北朝鮮による拉致被害者家族連絡会メンバーと面会し、「向こうにおられる方に一日でも早く帰ってきていただきたい。単に拉致被害者が日本に帰ってくるのも人道上の大きな問題(の進展)だ」「できれば北朝鮮との関係も修復したい。今が一番いい交渉のチャンスだ」と語り、自分の内閣で拉致問題も国交正常化問題も解決したいという強い意欲を表明した[27]。
2007年10月30日、福田首相は国会内で初となる民主党の小沢一郎代表と党首会談(野党はこれを「談合密談」と批判した)を行った。45分間さしで話し合ったが、
2007年10月29日午後、前 防衛事務次官 守屋武昌 への証人喚問が行なわれた[28]直後に(テレビ報道、大谷昭宏談)、 福田康夫自民党総裁は、伊吹文明幹事長に「インド洋のオペレーションは、国内の政治状況で長期間中断するわけにはいかない」と説明し、新テロ特措法案の今国会成立に向け翌30日の党首会談を呼び掛けるよう指示し、自民・民主両党の国対委員長会談によって自民・民主の党首会談が合意された[29]。
2007年10月30日午前、 国会内で自民党と民主党との党首会談が行なわれた。自民党側は福田康夫総裁・伊吹文明幹事長・大島理森国会対策委員長、民主党側は小沢一郎代表・鳩山由紀夫幹事長・山岡賢次国会対策委員長が出向いた。最初の10分はこの6者で会談し、その後の45分間は福田総裁と小沢代表だけの党首会談、最後に伊吹幹事長、鳩山幹事長が会談に加わって党首会談は終了した[30]。この党首会談では、翌31日に予定されていた国会での党首討論の延期、再度の党首会談が約束され、福田首相と小沢代表が国会運営の鍵を握っていることを世間にハッキリさせはしたが、永田町では「45分間も密室にいて世間話はないだろう」などと、衆院解散・総選挙や大連立をめぐって憶測だけが飛び交い、疑心暗鬼の状態となる者も多く、各方面からその密室性を厳しく批判された。
山崎正昭自由民主党参議院幹事長からは「議論を戦わせるなら、国会審議を通じて知ってもらうことが望ましい」、漆原良夫公明党国対委員長からは「なぜオープンの党首討論を取りやめ、密室の党首会談を続けるのか」、経済同友会からは「予定を知らせてあるから密室ではないと(小沢代表が)言ったようだが、それでは一体何が語られたのか、国民には見えてこない」「政党は、国会でみんなが見える形で、正々堂々と議論していくことが非常に大事だ」と手厳しく論評された[31][32]。さらに野党からは民主党含めて総スカンを食らい、与野党双方から「大連立か?」「解散か?」と憶測が乱れ飛ぶ事態となった[33]。
2007年10月31日、しかしながら、国会内で自民・民主双方の国対委員長(大島理森・山岡賢次)が会談し、福田康夫総裁(首相)と小沢一郎民主党代表の更に2度目の党首会談を11月2日午後3時から行うことで合意した。[34]
2007年11月1日、小沢一郎民主党代表は宇都宮市内で記者会見し、党首会談の内容について「大部分は新テロ対策特別措置法案(成立へ)のお願いで、国会とか(衆院)解散とか連立とか、政局論的な政治問題は一切なかった」と報告し、11月2日予定の再会談についても「首相がどうしても話し合いをしたいと言うから同意しただけで、何もなければそれで終わりだ」と説明した[35][36][37]。このほか、小沢代表は「解散総選挙といった類の話はしていない。昔話も含めていろんな話をした」「中身はなかった」「自民党は手詰まり状態」「(福田首相は)ノープランだった」などと側近に説明していたとされる(テレビ報道)。
しかし、この日、福田首相・町村官房長官と小沢代表は、自衛隊の平和活動のための海外派遣を随時可能にする恒久法の制定について記者会見や衆院テロ防止特別委員会で積極的な意欲を語っていた[38]。
これらのことから福田首相は参院の与野党逆転で国会運営に窮している現状を踏まえ、自衛隊の国際平和活動のための恒久法協議をテコとして海上自衛隊のインド洋での給油を継続するテロ新法成立を図る方向で小沢氏の協力を求めたとされる。また、小沢代表は、自分の持論である自衛隊の海外派遣のための恒久法について福田首相が積極的な支持を示してくれているため、再会談に応じたとされる(テレビ報道[39][40])[41]。
2007年11月2日、福田康夫自民党総裁は午後2時7分から太田昭宏公明党代表と党首会談し、その後で、小沢一郎民主党代表と午後3時から1時間、休憩を挟んで午後6時29分から再び1時間、党首会談をもった。後半の党首会談において自衛隊海外派遣についての恒久法制定論議をきっかけに福田自民党総裁が「政策を実現するための体制を作る必要がある」「新しい体制を作らなければいけないということは参院選で与党が敗北、自民党が敗北したという時からスタートしている」との認識の下、小沢民主党代表に「政策協議」「大連立構想」を打診した[42][43]。
「政策協議」「大連立」を打診された小沢代表は態度を留保したものの「決めてきます」と福田首相に語って民主党に持ち帰ったため、福田首相や町村官房長官に大いに期待を抱かせた。福田首相は小沢氏との会談を終えた直後、記者団に「連立というか、まあ新体制ですね。政策実現のための新体制」と説明した(テレビ報道)[44]。
小沢代表は民主党緊急役員会を招集し、「首相から連立の申し入れがあった」「協議がまとまらないとしょうがない」「政策協議に入っていいんじゃないか」「協議に入れば農業政策など参院選の公約が実現できる」「みんなの意見が聞きたい」と「大連立」の是非を諮(はか)った。しかし、意見を述べた者全員が「政策ごとの協議ならまだしも、連立は受け入れられるはずがない」「国民に説明できない」と明確に反対を主張し、出席した15人の役員全員が大連立に反対であった。このため小沢代表は「みんなが言うなら分かった。断る」と決裁し、午後9時20分頃、民主党代表室から福田首相に「連立は私どもとしては飲めない」「せっかくの誠意ある対応をいただいたが、結果としてはできません」と首相に断りの電話を入れ、9時30分頃にはそのことを記者会見で報告した(テレビ報道)[45][46][44]。
この党首会談について、1カ月半前、自民党総裁の座を巡って戦った麻生太郎前幹事長は、11月3日、北海道帯広市で講演し、福田首相が民主党の小沢代表に打診した大連立について「小選挙区では難しい。中選挙区に戻すなら国民が支持するか聞いてみなければならない」と述べ、現在の選挙制度の下では実現困難との見方を示した。連立を打診した首相の判断に関しては「国会が全然動かない状況を避けるため、何とか動かさなければという気持ちからだと思う」と一定の理解を示した[47]。
一方、公明党は会談後に党本部で臨時役員会を開き、しばらく事態を冷静に見守ることを確認した。浜四津敏子代表代行は記者団に「静観する以外ない。首相は事前に太田昭宏代表に『自公関係は必ず維持する』と言っていた」と述べるに留まった。
世論は、極めて厳しいものからある程度以上の理解を示すものまで分かれた。政治評論家の浅川博忠氏は「2大政党のトップ同士が密室で大連立を話し合うこと自体、本来あってはならないこと。福田康夫首相は今月予定されるブッシュ米大統領との会談前に、ここまでやったとアリバイを作りたかったのだろう。小沢一郎代表は福田首相のメンツを考え打診を持ち帰ったのでは。連立をけったことで国民の理解を得られるし、福田首相と長時間話し合ったことで首相がどこまで困っているのか、腹の内も探れたはず。解散に向けて今後の政治スケジュールも読みやすくなる。小沢代表の優勢勝ちだろう」と解説した[46]。
また、岩井奉信・日大法学部教授(政治学)は「今の自民党では解散しても勝ち目がない。相手が小沢さんではだましもごまかしもきかず、政権運営に行き詰まった福田首相は「いっそのみ込んでしまえ」と一か八かの賭けに出たのだろう。夏の参院選に勝ち、次の総選挙で政権奪取を狙う小沢さんが福田首相の提案をけったのは当然であり、国民の選択肢を確保する上でも大連立は取るべき道ではない。ただ、自民党が解散を先延ばしすれば民主党も失速しかねない。福田、小沢両氏の我慢比べはしばらく続くのではないか」と論評した[46]。
| 安倍晋三改造内閣 | 福田康夫内閣 2007年9月26日 - 現在 |
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| ※ 名前は内閣総理大臣、名前の後の数字は任命回数(組閣次数)、「改」は改造内閣、「改」の後の数字は改造回数(改造次数)をそれぞれ示す。 | |||||||||||||||