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室町時代後期に塩見頼勝が築城した横山城を、戦国時代に織田信長の命でこの地に来た明智光秀がその城を大修築し福智山城(後の福知山城)とした。こうして形成された城下町より発達した都市で、丹波地方を代表する都市の一つ。中心部は旧丹波国天田郡に当たるが、現在の市域は、何鹿郡(佐賀村の一部)と丹後国与謝郡(雲原村)と加佐郡(大江町)に広がっており、福知山都市圏の中心を担っている。
かつては但馬(丹波)牛の集散地、また養蚕業と併せ繊維関係での中核地として栄えた。高度成長期後、内陸型工業団地としては比較的大規模な長田野工業団地を整備し、さらに商工業の街としての発展を遂げている。
鉄道が比較的早くから整備され、交通の要衝と言われて来たが、京阪神から日本海側へつながる高速道路もようやく整備された。北近畿の各市や舞鶴港と京阪神双方へのアクセスが良く、経営の三要素の「人、物、金」のうち「人」と「物」の移動が容易である。このため、この福知山を拠点と捉えて支店や営業所を置く企業も多い。
周辺自治体では人口の減少が進む中、少なくとも平成の合併までは人口増加を続けてきた。
明智光秀が地子銭を免除したことなどもあって、早くから商工業が栄えた地域である。後の有馬豊氏によって城下町としての町割りが整備されたが、現在でも呉服町、鋳物師町、鍛冶町、紺屋町などは、そのままの地名として残されており、旧市街地は江戸時代の町割りが殆どそのまま残っている。
15世紀ごろから、藍の栽培と藍染めが由良川沿いを中心に盛んに行われており、1496年、藍染めの布を荘園に納めたとされる記録が残っている。また江戸時代には、藍染めをする一般家庭の件数は1500近くもあったともいわれ、町屋360軒のうち25軒が紺屋であった。これらのことから、藍染め品は当時の福知山の特産品であったことがうかがえる。また、度々氾濫する由良川河畔では桑の栽培が行なわれ、養蚕業発展のもととなった。 しかしやがて、輸入品や化学染料に押され全国の藍の産地が消え行く中、京都の最後の藍の産地となっていた福知山も大正の時代とともに姿を消した。現在再び、藍染めのよさが見直され、藍の栽培と藍染めを復活させる活動がなされている。市内の一部の小学校などでは総合的な学習の一環として、藍染め体験をさせる学校も存在する。
太平洋戦争中、旧日本軍の海軍の石原飛行場と呼ばれる航空基地がかつて存在していた。戦後、地元の農民が自力でその滑走路のコンクリートを剥がし農地に復興させたため、今ではその面影は全くないが、滑走路の長さはおよそ1700メートルにもおよび、現在の中丹広域農道沿いに市内前田から石原をまたぎ戸田にまで伸びていた。 周辺には物資格納倉庫に加え、敵機を撃墜させるための高射砲も存在し、太平洋戦争末期には米軍の機銃掃射の攻撃の対象にもなった。もう少し戦争が長引いていれば福知山市も空襲の対象になっていたのではないかともいわれるほど、当時の軍事拠点でもあった。
飛行場付近には、兵士の避難所や待機所を兼ねた掩体壕と呼ばれる鉄筋コンクリート製の半地下式防空壕が作られた。幅が約1.5メートル、長さが約10メートルにも及ぶかまぼこ型の大きな壕で、戦後は農機具庫として利用されていた。「福知山市と大戦」を伝える重要な資料の一つだったが、市が農地整地のため付近住民の反対の声もあったものの2007年1月に取り壊しが行われた。その欠片の一部は市内の公民館に展示されることになっているが、戦争当時の様子を伝えるものがまた一つ失われたともいえる。
一方、現在の陸上自衛隊第7普通科連隊等が駐屯する福知山駐屯地には、かつては旧陸軍歩兵第20連隊の駐屯地があった。大阪などの都心部と国内有数の軍港ともいえる舞鶴港との中継地点として、古くから整備されてきた。
現在も、福知山に駐屯する自衛隊は、市内の年中行事の開催の協力、災害時の救助などにおいてその役割は重要である。例えば2004年の台風災害の救助活動や、「姫髪山の送り火」も、大文字山として整地できたのは自衛隊の協力があったからこそである。
綾部市から続く福知山盆地を中心とした平地、それをとり囲む市域面積の大部分を占める山地で構成される。市街地は旧城下町を中心とし、由良川沿いに長田野工業団地周辺の住宅地まで伸びる。
市域面積の76%は林野が占め、耕地面積は7%程度である。
盆地地形により秋、冬には霧が発生するが、通年比較的穏やかである。基本的に日本海側気候であり、冬には降雪が見られるが、旧丹後地域(雲原・大江)を除く盆地においては“やまかげ”となり、丹後地方に比較して量は少なめである(平地でも年間4~5日は30cm程度の積雪はある)。しかしながら、晴天時の午前中の霧、冬季の雪雲によって日照時間が少なくなることから、文字通り「山陰」の暗いイメージを拭い切れない。
平地(福知山地域気象観測所)の平均気温は15度程度、降水量は1500ミリ程度から1800ミリ程度。降水量の季節分布としては旧丹後地域では降雪を中心に冬季雨量が多いが、以南では梅雨・台風により夏季雨量のほうが多くなる傾向がある。
福知山盆地内を中心に、少量で限られた地域ではあるが、市内からは淡水に住む貝の貝殻の化石が出土している。このことから、かつて福知山市は水の底にあったと考察できる。貝殻の種類に加えその分布などから、かつては福知山盆地内全てが湖だったといわれているが、巨大な川幅を持つ流れが非常に緩やかな川の底だったのではないかとこれに異を唱える人もおり、詳しいことについては定かではない。
かつての由良川は土師川(竹田川)を介して加古川につながり、南下していたとされる。その後、地震や噴火などのなんらかの要素によって地形が沈降し、盆地一帯は湖沼を形成。さらなる変化により、現在の日本海側への流路となった、というもの。それとともに徐々に水が引いて行き現在の市内を流れる由良川、土師川、牧川などに変化していったと考えられている。溢水時に停滞し度々洪水を引き起こすのはこういう形成履歴を持つためであろう。
これらの名残としては、由良川上流域に当たる船井郡京丹波町安栖里(あせり)周辺の4段にもなる大規模な河岸段丘の存在、市内の長田野(おさだの)の高位段丘面を持つ洪積台地の存在などがある。
市内を流れる由良川は、明智光秀の城に連なる居住地(後に城下町となる)造営のため、明智藪などの築堤によってそれまでの川筋が大幅に変更されている。それは同時に治水を図っての一大事業であり、その後の為政者も治水に尽力を惜しまなかった。由良川は大雨が降るたびに氾濫し、周辺の人々や建物に加え農作物などに深刻な被害をもたらす暴れ川だったのである。
例えば、1953年(昭和28年)9月25日の台風13号を要因とする由良川の氾濫では、最高水位が7.8mにもなる大量の水が福知山市街地全域を水浸しにし、市内で死者は約40名、負傷者は約900名、家屋全壊、半壊ともに1100戸以上、床上浸水においては5300戸以上もの被害をもたらした。
その恐ろしさ、先人の築いた堤防のありがたさを後世に伝えるため、御霊神社境内には全国唯一の堤防そのものを御神体とする堤防神社が建立されており、1931年(昭和6年)以降の毎年8月15日には、神輿が市内を巡回する「堤防祭り」が行われている。現在の「ドッコイセ花火大会」は、もともとはその祭りの行事の一つとして始まったものである。また、神社のある御霊公園にはその時の水位を示す看板も設置されている。
旧市街地の町屋には、浸水時に家財を2階や小屋裏に引き上げる滑車を備えた吹抜け(タカと呼ばれる)が残っており、洪水と共に生きてきた市民の歴史を物語っている。
しかし、市内に供給される浄水場の原水や農業用水としては勿論のこと、今では市民の手による鮎や鮭の稚魚の放流といったイベントが開かれるなど、市民の生活には欠くことのできない川である。
歴代市長
| 氏名 | 就任年 |
|---|---|
| 高木半兵衛 | 1937年 |
| 岸本熊太郎 | 1940年 |
| 田中庄太郎 | 1942年 |
| 竹内正夫 | 1946年 |
| 牧野源太郎 | 1951年 |
| 天野博 | 1954年 |
| 塩見精太郎 | 1962年 |
| 中村稔 | 1990年 |
| 高日音彦 | 2004年 |
市内に所在する工業団地には東証ならびに大証に株式上場している企業が多数の拠点を置いており、それが与える地元の雇用の影響は大きい。
・本社
・支社
・工場 {未執筆}
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百人一首の中の小式部内侍が歌った「おほえ山 いくの(生野)の道の遠ければ まだふみも見ず 天橋立」の歌枕として登場する生野は、福知山市内の地名である。この点から、福知山は昔から交通の要所であった事が窺える。現在でも、福知山市には鉄道などの交通の重要な始点・終点が存在し、北近畿の交通の中心となっている。 その反面自家用車保有率が高いため各バスやタクシー、鉄道会社などの会社では赤字経営に悩まされている。そのため一日あたりの運行本数も少なく、特にバスにおいては廃線になったものも存在すほどの経営状況である。近年では西日本JRバスがオンデマンドバスを取り入れるなどの工夫を凝らし、これ打開しようという努力も見られる。
なお、JR福知山線脱線事故は、この市で発生した事故ではない(兵庫県尼崎市塚口~尼崎間で発生した。尼崎脱線事故)。2005年4月25日の脱線事故発生以降6月19日の再開まで大阪と福知山を往来するには主である福知山線が分断(特急北近畿が運休)されたため、山陰本線京都口を経由しなければならなかった。
※ 隣接市町村への連絡:西日本旅客鉄道山陰本線、西日本旅客鉄道福知山線、北近畿タンゴ鉄道宮福線
福知山市は子午線が通る市である。また酒呑童子の鬼伝説で知られる大江山や、光秀の福知山城などの観光スポット、「鉄道のまち」としてSL資料展示館や関連イベントがある。しかし、他の隠れた観光資源も含めて、それらの整備・PRはこれからの課題といえる。
(以上詳細は、福知山市公式ページ参照のこと)
丹波国が形成される以前より多くの人々が住んでいた当地では、様々な古墳、石室、土器等が多数発見されている。
当時の福知山藩主朽木綱貞が、その湧き出る水を養老水と名づけた温泉。その名の通り、疲労回復や冷え性、火傷などの効用があるとされる。しかし、飲用は不可能である。
このページはウィキプロジェクト 日本の市町村のテンプレートを使用しています。