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西区(にしく)は、大阪市を構成する24区のうちの1つ。市の都心中西部に位置する。中部を木津川が南流する。
現在、西区は大阪市内でも職住近接に適した有数の良質な住宅地として再開発が進んでおり、特に新町~北堀江~南堀江にかけてのエリアでは小学校の教室が不足するなど人口の急増ぶりが際立っている。ちなみに、老年人口の比率が市内24区中最も低い。
目次 |
1889年に誕生。1925年に西区の一部が分離して港区が新設された。
木津川より東の西船場・堀江は、江戸時代以来多くの堀川が整備され、蔵屋敷や魚市場、問屋街として栄え、船場商人が多数在住した。又、新町遊郭や堀江新地など遊興の場でもあった。木津川より西の九条は淀川河口の中洲だったが、江戸時代初期に農地として開発され「衢壌(くじょう)島」と名づけられ、後に九条と改められた。その川沿いは大坂に入港する大型船の船着場となった。
明治時代は九条の北の川口が、外国人居留地の設置(1868年 - 1899年)により大阪の文明開化の象徴となった。その木津川対岸の江之子島には大阪府庁・大阪市役所が建設されるなど、大正時代まで大阪の行政の中心地であった。川口居留地は川底が浅く大型商船が入らないため、外国商人は間もなく神戸に移っていったが、代わって中国商人が入り、日中戦争の激化までは中華街が存在した。一方、川口の南の松島には明治以降新町遊郭から遊郭が移転し、堀江新地も引き続き遊興地として繁栄した。松島に近い九条新道(九条商店街)は「西の心斎橋」と呼ばれた事もあった。
しかし、西船場の市場の機能はより大きな市場に集約されてゆく。靱の雑喉場(魚市場)は1931年の大阪市中央卸売市場開場で移転したあと戦災で焼け、米軍飛行場となった(現在は靱公園)。松島新地や堀江新地は戦後廃止された。又、御堂筋の開通により、かつての南北のメインストリートだった四ツ橋筋は戦後相対的に地位が低下した。材木商、陶器商、機械金属商なども高度成長期以降、都心の渋滞を避けて郊外に移転し、流通の簡素化で問屋業が衰退するなど、かつて程の活気はなくなった。
しかし、近年の都心回帰により、堂島や中之島などの都心ビジネス街に隣接した住宅エリアとしての利便性が見直され、高層マンションの相次ぐ建設などで人口が急増すると共に、堀江・新町・靱公園周辺などがカフェ・レストラン・服飾店・インテリアショップ・雑貨店などファッショナブルな店舗の新しい集積地となった。又、江戸堀・京町堀・新町に数多く残る、大正~昭和初期築の近代建築がギャラリーなど文化情報発信の拠点として活用され続けているなど、街への魅力から近年訪れたり店を開く若者が増加している。
2005年に実施された国勢調査において、人口増加率が隣接する中央区に次いで高い14.5%増を記録した。これは政令指定都市の行政区の中では大阪市中央区、横浜市都筑区に次いで3番目に高い数値である。1889年の市制施行時の東西南北4区のうち、東区と南区は合区して中央区になり、北区は北隣の大淀区と合区して新たな北区となったため、市制施行時から単体で存在する区としては西区が最古という事になるが、現在の西区は都心回帰による再開発によって関西の文化・流行の最先端を進む区に変貌しつつあり、進取の気風を重んじる大阪らしさを象徴する地域となっている。
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画像:大阪ドーム050906.jpg
大阪ドーム(京セラドーム大阪)
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