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埼玉西武ライオンズ(さいたませいぶライオンズ、Saitama Seibu Lions)は、日本のプロ野球球団でパシフィック・リーグの球団のひとつ。埼玉県を保護地域とし、同県所沢市にあるグッドウィルドームを専用球場(本拠地)としている。
同球団の二軍(イースタン・リーグ所属)の球団名はグッドウィル。隣接する西武第二球場を本拠地としている。
一軍の本拠地名称と二軍の球団名については、2005年からそれぞれ命名権(ネーミングライツ)を採用している。
また、球団創設(旧クラウンライターライオンズ買収)30周年を迎える2008年1月1日より一軍の球団名を「埼玉西武ライオンズ」と変更する方向で各種機関に申請し、2007年11月14日のプロ野球オーナー会議で承認され、球団名が正式に変更された。 なお、社会奉仕団体である『ライオンズクラブ』や大京の建設するマンション『ライオンズマンション』との関連は無い。
| チーム名 | 埼玉西武ライオンズ |
|---|---|
| 会社名 | 株式会社西武ライオンズ |
| 加盟団体 | パシフィック・リーグ |
| 創設年度 | 1950年 |
| チーム名の遍歴 | 西鉄クリッパース(1950年) →西鉄ライオンズ(1951年-1972年) →太平洋クラブライオンズ(1973年-1976年) →クラウンライターライオンズ(1977年-1978年) →西武ライオンズ(1979年-2007年) →埼玉西武ライオンズ (2008年-) |
| フランチャイズの遍歴 | 福岡県(1952年-1978年)→埼玉県(1979年-) |
| 本拠地 | グッドウィルドーム(埼玉県所沢市) |
| 収容人員 | 35879人 |
| オーナー | 後藤高志 |
| 親会社 | 西武ホールディングス (プリンスホテル配下) |
| 監督 | 渡辺久信 |
| タイトル | リーグ戦:20回、日本シリーズ12回 |
| 優勝年度 | (リーグ戦)1954、1956、1957、1958、1963、 1982、1983、1985、1986、1987、 1988、1990、1991、1992、1993、 1994、1997、1998、2002、2004 (日本シリーズ)1956、1957、1958、1982、1983、 1986、1987、1988、1990、1991、 1992、2004 |
| プレーオフ | 4回 - 2勝2敗(太字は勝利した年) 1982、2004、2005、2006 |
目次 |
※1982年度は日本ハムとのプレーオフを制して優勝。2004年度はレギュラーシーズン2位ながらプレーオフで日本ハム、ダイエーと連破して優勝。
ユニフォームの変遷は次の通り。
なし。
西武球場の完全ドーム化は1999年。名称は第1期工事(スタンドに屋根を架設する工事)が完成した1998年に西武ドームに変更されている。
ライオンズの本拠地は現在埼玉県所沢市であり、都道府県庁所在地(埼玉県の県庁所在地はさいたま市)でも政令指定都市でもない市におかれている。これはパ・リーグ6球団の中でライオンズだけであり、セ・リーグでも東京都の都心23特別区に本拠地を置く巨人(文京区)とヤクルト(新宿区)を除くと阪神(兵庫県西宮市)だけである。
2005年の東北楽天ゴールデンイーグルスのパ・リーグ加盟により、同年および2006年のパ・リーグ東西対抗では関東の球団ながら西軍とされた。これは、同じ関東の球団の千葉ロッテマリーンズの本拠地である千葉県千葉市よりも西に位置しているためである。
また、西武ドームの敷地内には二軍の本拠地である西武第二球場、屋内練習場、合宿所「若獅子寮」などの球団施設がまとまって立地している他、球団事務所もドームに隣接して設けられている。このため一・二軍間の選手入れ替えが行いやすく、また合宿所住まいの選手は試合終了後すぐ練習に取り掛かれるなど利便性が高い。本拠地球場の敷地内に球団施設がまとまって立地しているケースは他球団では例がなく、当然ながら一軍とファームの本拠地間の距離は12球団の中で最も短い。
※1 病気のため指揮をとることなく退団
詳細はライオンズとオリオンズの遺恨を参照
西武ライオンズと千葉ロッテマリーンズとは、前身の西鉄・毎日時代から1952年の平和台事件を発端に何かと遺恨を残している。
1961年5月21日、東映フライヤーズとの試合は戦後初の海外遠征試合としてアメリカの占領下の沖縄(1972年に日本本土復帰)で初めて開かれた。
1963年の西鉄は前半戦、南海ホークスに14.5ゲームの大差を付けられ3位に甘んじていたが、このシーズンのペナントレースは150試合という大リーグ並みの試合日程で行われたため、逆転の可能性が充分にあった。
後半戦に入って、西鉄の猛追がスタート。一旦4位に転落するもゲーム差はみるみるうちに縮まって10月8日の時点で80勝57敗3分け(勝率.584)で首位に並んだ。その後も2チームのデッドヒートが続き、南海は10月17日、85勝61敗4分け(勝率.582)で全スケジュールを消化。後は西鉄の残り4試合に優勝が委ねられることと成った。
西鉄の残り4試合は全てホーム・平和台での近鉄戦。10月19日と20日にそれぞれダブルヘッダーによる4連戦をこなさなければいけない。しかも逆転優勝をするには4連勝以外になく、3勝1敗なら南海との同点決勝3試合に持ち越し、2勝以下だと南海の優勝となる。
西鉄はこの4連戦、地元で何としてでも優勝するという意識を持って戦い、19日の第1戦を17-5で大勝。続く第2戦も接戦の末3-2で制し、優勝まであと2勝と迫った。あくる勝負の20日の第1戦、負けると自力優勝が消滅する重要な試合も一進一退の好ゲームが展開され、5x-4のサヨナラゲームで辛うじてものにした。西鉄3連勝をしたことで南海のレギュラーステージでの優勝が消滅。後は西鉄の逆転優勝か、それとも同点決勝かの2つに絞られた。そして決戦の大一番となった第2戦。西鉄は若生忠男、安部和春の両投手の完封リレーで2-0の勝利。ついに西鉄はプロ野球史上に残る奇跡の大逆転で1958年以来5年ぶり5回目のリーグ戦優勝を決めた。これが福岡時代のライオンズとしての最後の優勝だった。
1973年10月13日に開催された日拓ホームフライヤーズ対太平洋クラブライオンズ戦(後楽園球場)でのダブルヘッダー試合は、日程の関係で第1試合が本来の日拓主催、第2試合は太平洋主催で行われた。対戦チームは同じで主催のみが入れ替わるという珍しいダブルヘッダーだった。
西鉄時代の1966年にパ・リーグの球団としては初めて、背番号の上にローマ字・アルファベットのネームを書き込んだユニフォームを採用した。その後、1968年にやめているが、1973年から復活。ただし1975年までは「FUKUOKA」「TAIHEIYO CLUB」の2種類だった。
それが太平洋時代には奇抜なユニフォームを採用していた。1973年~1975年は英語表記にすると「TAIHEIYO CLUB LIONS」となるため、ビジターの試合で使用したユニフォームの前面部では「TAIHEIYO」を大きく目立つようにして「CLUB」は少し小さめに書かれていた。またホーム用は白色だが、ビジター用は赤(メイン)、青(サブ)の2色が使用されていた。
傑物は1976年のユニフォーム。これではチーム名が長くなるので見辛いという事由から、ホームが史上初となるパンツが白でない(ピンク色)ユニフォームで、ビジター(上着もピンク色ベース)との共通では史上唯一となる前面部の企業ロゴを一切なくし、背番号だけを大きく出した「胸番号」のみの、いわゆるアメフトスタイルのユニフォームだった。ただしこのユニフォームで臨んだこの年の前期は最下位に沈み、しかもファンからは「企業名をなくしたのは身売りへの布石ではないか」と勘繰られたため、後期は同じデザインで胸のロゴが「Lions」(ホーム)「TAIHEIYO CLUB」(ビジター)のユニフォームに変更された(この時にもファンからは「企業名を復活させたのは太平洋クラブに対する引き止め工作ではないか」と勘繰られている)。実際、身売りではないが1977年に球団の冠スポンサーが太平洋クラブからクラウンガスライターに変更された。
外部関連記事:特捜プロ野球・太平洋クラブのバカユニフォーム
札幌ドームの建設に当時の西武ライオンズ球団の親会社であるコクドが携わっていたことから、西武は2003年から札幌ドームを準本拠地として使用し、年間20試合程度開催することを企画していたが、2002年のシーズン開幕前に、当時東京ドームを本拠地にしていた日本ハムファイターズが2004年から札幌ドームを本拠地として使用する計画が明らかになった。一旦は日本ハムと西武で対立ムードが高まっていたが、2002年6月に他チームの公式戦も開催できることを条件に日本ハムの札幌ドーム本拠地化が認められた。しかし、2004年以降、西武を含めて、日本ハム以外のパ・リーグ各球団が主催の札幌ドームでの試合は行われていない。
日本ハムは札幌移転後も年間数試合を東京ドームで開催しているが、西武との対戦に限っては西武側が拒否しているため2003年9月28日を最後に行われていない。日本ハム以外の球団とは、2007年5月19日・20日にオリックス・バファローズ対西武戦が東京ドームで開催され、西武は東京ドームでパ・リーグの球団と4年振りに対戦した。
当時屋外だったライオンズ球場は雨天中止が多く、後半の試合日程が厳しくなる事も多かった。そのため、ドーム球場を建設することになり、本拠地を所沢から都心である東京の台場に移転してドーム球場を建設しようという案が浮上した。しかし、移転に対する地元住民の猛反発や、多額の建設費用の捻出、更にグループ企業の西武鉄道内からも「電車の利用客が減るのは困る」との意見が出たため困難となり、西武ドームが誕生した。
2005年12月19日、地元・所沢市議会で球団名および球場名に「所沢」の地域名を冠するよう求める請願が全会一致で採択され、2006年1月20日に所沢市長が球団に要望書を提出した。これについて球団側は「球団名については地元密着、沿線密着の観点から今後、多方面に検討していきたい」とコメントしている。球場に訪れるファンは、所沢市を含む埼玉県に限らず、西武山口線や多摩都市モノレール線からの東京都多摩地域にも多く、実際に西東京応援団もいるため、変更の判断を慎重にならざるを得なかった。
2007年1月17日、太田秀和球団社長兼オーナー代行(当時)が埼玉県庁を訪問し、埼玉県知事に2008年より球団名に地域名を入れる方針であることが報告された。この段階では「埼玉ライオンズ」もしくは「所沢ライオンズ」が最有力候補だが、"武蔵国の西部"として地域名を表現する現行の「西武ライオンズ」も候補になっていた。また、2008年以降、さいたま市の埼玉県営大宮公園野球場で一軍の公式戦を開催する方針であることも伝えられた。
同年11月6日、2008年より「埼玉西武ライオンズ」と球団名を変更することをプロ野球実行委員会に申請した。これにより、埼玉県と武蔵国の西部の球団であることをより明確にし、より地域密着を図るという。
2007年3月9日、太田秀和球団社長兼オーナー代行(当時)が会見を行ない、倫理行動宣言で行わないことを決めていたアマチュア2選手(社会人選手1人と大学生1人)に対するスカウト行動で、現金1300万円近くを2人に対して渡していたことがわかった。2004年春ごろから2005年秋ごろにかけて、スカウトが2人の選手に対し一定額の現金を提供していたことがわかった。社内調査委員会によるその後の調査で、別の5人のアマチュア選手に“契約金の前渡し”名目で計6000万円余り(つまり裏金を受け取っていたのは全部で7人)、更にはアマチュアチーム(高校・大学・社会人)の監督延べ170人にも選手入団の謝礼として現金が渡されていた事、しかも現金供与はオーナー企業が西武グループとなった1978年から既に行なわれていた事が判明した。
この裏金行為は太田社長が2006年8月に前社長から伝え聞いたものの、内部調査を経たため正式発表は2007年3月となった。
2007年3月24日、チームのシーズン開幕戦(楽天戦)に当たり、太田社長は試合前のセレモニーに先だって謝罪し、「ファンに親しまれるチーム作りを目指します」とコメントした。
日本プロ野球組織は5月29日、球団に対し制裁金3000万円または同額分の用品を機構の指定する育成団体に寄付させる事、及び秋の高校生ドラフトでの指名は3巡目からとする事を処分として決定した。また現在は楽天でスカウト部長を務めている当時のスカウト部長が、楽天から減給、解任・編成部付となる処分を受けた。
ライオンズのラジオによる実況中継放送は、関東広域圏・埼玉県を放送対象地域としている、文化放送・NACK5の2局を合計して、9月までのほぼ全試合が放送されている。
| 監督 |
|---|
| 99渡辺久信 |
| コーチ |
| 81黒江透修(ヘッド)|80小野和義(投手)|86潮崎哲也(投手)|96大久保博元(打撃)|78熊澤とおる(打撃補佐)|82岡村隆則( 守備走塁)|85清家政和(守備走塁)|88相馬勝也(バッテリー)|98大迫幸一(トレーニング) |
| グッドウィル |
| 72片平晋作(監督)|77石井丈裕(投手兼トレーニング)|97石井貴(投手)|89森博幸(打撃)|76田辺徳雄(守備走塁)|70河田雄祐(守備走塁)|91大井久士(バッテリー)|92坂元忍( トレーニング) |
| 投手 |
| 11岸孝之|13西口文也|14小野寺力|15大沼幸二|16涌井秀章|17山崎敏|19長田秀一郎|20山本淳|23許銘傑|24松永浩典|25正津英志|26星野智樹|28岡本篤志|29三井浩二|35岩崎哲也|36山岸穣|38西川純司|41木村文和|47帆足和幸|50田沢由哉|54グラマン|57田中靖洋|59山本歩|62朱大衛|63藤原虹気|69東和政 |
| 捕手 |
| 22野田浩輔|27細川亨|31吉見太一|37銀仁朗|49上本達之|68田原晃司 |
| 内野手 |
| 3中島裕之|4高木浩之|6後藤武敏|7片岡易之|8平尾博嗣|32石井義人|33江藤智|40リーファー|42カブレラ|43原拓也|45水田圭介|56黒瀬春樹|60中村剛也|61星秀和 |
| 外野手 |
| 0大崎雄太朗|5和田一浩|9赤田将吾|10佐藤友亮|39貝塚政秀|44高山久|46G.G.佐藤|51大島裕行|52栗山巧|53福地寿樹|58松坂健太 |
| セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ |
|---|---|
|
読売ジャイアンツ | 東京ヤクルトスワローズ | 横浜ベイスターズ | 中日ドラゴンズ | 阪神タイガース | 広島東洋カープ |
北海道日本ハムファイターズ | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 埼玉西武ライオンズ | 千葉ロッテマリーンズ | オリックス・バファローズ | 福岡ソフトバンクホークス |
| イースタン・リーグ | ウエスタン・リーグ |
|
北海道日本ハムファイターズ | 東北楽天ゴールデンイーグルス | グッドウィル | 千葉ロッテマリーンズ | 読売ジャイアンツ | 東京ヤクルトスワローズ | 湘南シーレックス |
中日ドラゴンズ | 阪神タイガース | サーパス | 広島東洋カープ | 福岡ソフトバンクホークス |
|
日本シリーズ | オールスターゲーム | 日本野球機構・日本プロフェッショナル野球組織 | 日本プロ野球選手会 | 名球会 | 独立リーグ |
|
| 埼玉西武ライオンズ及びその前身球団ドラフト指名選手 |
|---|
|
1965| 1966| 1967| 1968| 1969| 1970| |