経済産業省(けいざいさんぎょうしょう、Ministry of Economy, Trade and Industry=METI)は、日本の中央省庁のひとつ。民間の経済活力の向上及び対外経済関係の円滑な発展を中心とする経済及び産業の発展、並びに鉱物資源及びエネルギーの安定的かつ効率的な供給の確保を図ることを任務とする。
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2001年(平成13年)1月6日の中央省庁再編において、通商産業省の廃止に伴いその後継存続機関として新設されたもの。産業政策、通商政策、産業技術、貿易などを所管する。
前身の通商産業省は、かつては日本経済ないし「日本株式会社」の総司令塔として高度経済成長の牽引役となり、海外でも「ノートリアス ミティ notorious MITI」もしくは「マイティ ミティ mighty MITI」などと呼ばれ、その名は日本官僚の優秀さの代名詞として広く轟いていた。その持てる許認可や行政指導をあまねく駆使し、他省庁の領域にまで踏み込む政策で「ケンカ官庁」の異名をとり、また通産省中堅官僚が世界各国のジェトロを経由した産業調査員(いわゆる「産調」)として調査活動に従事していることも知られている。
経済産業省は自由な気風も後押しし、実業方面や政治家、起業家などに優秀な人材を数多く輩出してきた。この理由から、経済産業省では、優秀な人ほど転出するということもよく指摘される。一方で他省庁同様、主流派に乗り切れなかった一群にすぎないと指摘されることもある。
通商産業省の沿革は、1949年(昭和24年)5月25日、商工省とその外局である貿易庁、石炭庁を統合して発足した。この組織を考えたのは白洲次郎といわれる。発足当初の通産省には、吉田茂 - 白洲 - 牛場信彦らの「外交派」・「通商派」ラインとして、時に「永山天皇」と呼ばれた永山時雄初代官房長らがおり、主流である「産業派」・「統制派」には岸信介 - 椎名悦三郎 - 美濃部洋次 - 山本高行ラインとして、玉置敬三や平井富三郎、佐橋滋、今井善衛などが名を連ね、その他「商務派」には豊田雅孝らがいた[1]。その後も、「資源派」と「国際派」との対立軸など、現在に至るまで省内における政策対立には事欠かないことでも知られている。
発足当時は資源庁、工業技術庁、特許庁、中小企業庁の4つの外局があったが、1952年に組織改革が行われ、外局は特許庁と中小企業庁の2つになった。1972年に田中角栄が通商産業大臣から内閣総理大臣に就任した時、通商産業省出身者が総理大臣秘書官を担当するようになった。これが前例となり、後の内閣も通商産業省から出向で総理大臣秘書官を担当するようになり、首相への通商産業省の影響度が大きくなった。1973年に新たな外局・資源エネルギー庁を設置。2001年1月の中央省庁再編に伴い、経済産業省に名称変更された。ただ「経済」の名称は、マクロ経済政策の所掌を含む意味を持つため、現状ではそぐわないとの指摘もなされる。
旧通産省時代から経済・産業の幅広い分野に対して審査権・許認可権を有しており規制緩和もしくは規制改革がいわれている。産業分野で「産・官・学」という場合に於いて官を代表する役所である。この為、国民ではなく経済界・産業界の団体・法人の意向を重視する傾向がある。公害・産廃・貿易摩擦といった問題を常に抱えており、環境問題などでは、環境省と対立する立場にあり経済優先の傾向が強く、対策が後手に回ることが多い。端的な例として、計量行政においては、都道府県・計量特定市及び各々の協議会、業界団体ならびに独立行政法人産業技術総合研究所との調整が不可欠であり、法改正後もその解釈について検討が延々と続けられるのが通例となっている。産業政策についても、経済産業省が後押しして成功した産業はないという意見もあり、「経済産業省不要論」が主張されるときもある。
政治家などを除く。
経済産業省の広報誌としては、経済産業調査会発行の、『経済産業ジャーナル』がある[1]。
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