都市対抗野球大会(としたいこうやきゅうたいかい)とは、毎年夏に行われる社会人野球のトーナメント。「都市対抗野球」、また単に「都市対抗」ともいう。英文記載はThe Intercity Baseball Tournament。1974年(昭和49年)に社会人野球日本選手権大会が単独で行われるまでは、都市対抗野球が日本選手権を兼ねて開催されていた。
最初の大会は1927年(昭和2年)におこなわれ、1941年(昭和16年)の中止、1943年-1945年(昭和18-20年)には戦争による大会中断もあった。開催球場も最初は明治神宮野球場だったが、1938年以降後楽園球場、1988年から東京ドームに移る。
各地の社会人・クラブチームが繰り広げる熱戦、独自の制度である「補強制度」、郷土色豊かな応援合戦などに根強いファンが多い。大会名には「都市対抗」とあるが、企業を母体としないクラブチームの本選進出がほとんどないことから、実態は「企業対抗野球」に近い。
また全国大会の開催時期も1980年(この年だけIBAFワールドカップの開催に伴い11月開催)を除けば、7月下旬-8月上旬の夏休みの初めに開催されプロ野球のオールスターゲームに対抗して「真夏の球宴」という異名が知られていたが、近年は夏季オリンピック(1992年バルセロナ大会から正式種目に)やプロ野球の試合日程などの都合から8月下旬-9月上旬に変更されて今日に至る。
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毎日新聞社が第1回大会(1927年)から主催を続けている(当時は東京日日新聞)。第20回大会(1949年)には日本社会人野球協会(現・日本野球連盟)が発足し、毎日新聞社との共催となった。
トーナメント方式で、予選で用いられることのある敗者復活戦は行われない。第17回大会(1946年)から第38回大会(1967年)までは準決勝敗退チーム同士による3位決定戦が行われていたが、現在では行われていない。
1日に3,4試合行うこともあることから、タイブレーク制度が定められている。導入要件は以下の2点をいずれも満たすこと。
この条件を満たしてなお同点の場合、新しいイニングに入るときには、1死満塁の状態から攻撃を開始する。そのイニングの先頭打者は、前の攻撃イニング最終打者の次打者。1塁走者は前の攻撃イニング最終打者、2塁走者は1塁走者の前の打順の打者、3塁走者は2塁走者の前の打順の打者が入る。この場合、あらかじめ置かれた打者が生還したとき、打点及び得点は記録されるが、投手に自責点は記録されない。また、タイブレークの1イニングは記録上3分の2回とされる。
2003年からタイブレークのルールが設けられたが、実際に適用された試合は第76回大会1回戦の七十七銀行対デュプロ戦(延長14回からタイブレークに入り、延長15回の末、七十七銀行 9x-8 デュプロ)の1試合のみである。
大会に出場するには各地区の予選を勝ち抜く必要がある。地区は適宜見直しが行われているが、基本的には次のとおりとなっている。(かっこ内は本戦出場チーム数)
※ 年によっては、北関東地区に2チームの出場枠を与え、その代わり次点チームに関東地区の予選の出場権を与えないことがある。この場合、関東地区の出場枠は1となる。2006年がそれに該当した。
また、日本野球連盟推薦枠として、毎年、過去の実績、連盟への貢献等を考慮し、大会ごとに1チーム増枠されるか、又は地区の再編を行い、単独で1チームの出場権を与えている。最近では以下のとおり。
ただし、この推薦枠方式は第76回大会限りで廃止され、第77回大会(2006年)からは、前年の優勝チームの所属地区の出場枠を1枠増やすこととなった。第78回大会では東芝(神奈川第1代表)が優勝したため、第79回大会では神奈川地区から3チーム出場することとなる。
予選の方法はリーグ戦か敗者復活戦ありのトーナメント戦で、地区によって異なる。また県ごとの一次予選をおこなう県もある。
本戦に出場するチームは基本的にそのチームのホームタウンとなる市町村代表として出場するためマスコミではチーム名の後に括弧くくりでその市町村名を併記している。但し主催新聞社の毎日新聞だけ逆で市町村名を優先してチーム名を括弧くくりとしている。また東京都都心23特別区については、ホームタウンの特別区名ではなく一律「東京都代表」として扱われる。また、JFE西日本チームが出場した場合、チーム所在地は福山市であるが、川崎製鉄水島チームの所在地だった倉敷市と距離的に近いため、特別で「福山・倉敷両市代表」扱いとなる。
各地方予選で敗退したチームから合計5人まで選手をレンタルできるという、都市対抗独特の制度である。この制度によって予選敗退チームは補強選手に夢を託し、出場チームは自チームの欠点を補強し、まさに「地区の代表」となる。
1950年、それまで8球団で行われていたプロ野球が2リーグ分立等に伴い、一挙に15球団に膨れ上がったが、それに見合う選手が足りなかったため、多くの選手が社会人野球から引き抜かれていった。都市対抗大会本部は大会のレベルの低下を懸念し、「都市の代表≒地区の代表」と考え、敗退したチームから選手を期間限定で借り受ける制度を創設した。これが補強選手制度のはじまりであり、他のスポーツ大会を見てもこのような制度を採用しているのは希である。1977年までは、各県ごとの一次予選終了時にまず5名までの補強選手を選ぶことが可能だった。地区ごとの二次予選でも補強が可能なので、最大10名までの補強が許されていた。(必ずしも補強選手を使わねばいけないというわけでもないため、シード参加の前年度優勝チーム(~1996年)以外にもチームにより補強なしの「単独チーム」で出場するチームもあった)
なお、公認野球規則1・11(a)(1)により、同一チームの選手は同一のユニフォームを着用することが義務付けられているため、本大会出場チームは補強選手のユニフォームを用意することとなる。
大会で勝ち進むには補強選手の活躍が不可欠だが、補強選手によってチームの陣容が変わるため、ある意味では賭けともなる。地区によっては実力差がはげしいために、補強を全くせずに大会に臨む、良い意味で「わが道を行く」、悪い意味で無粋なチームもある。
同一地区で複数の代表チームがある場合、予選通過順位1位(第1代表)チームから補強選手を選ぶことができる。よって、代表順位の高低も本大会で勝ち上がるための重要な要素となる。
なお、関東地区予選及び近畿地区予選で勝ちあがったチームは、所属するもともとの地区の最下位順位代表となり、関東地区又は近畿地区代表として補強を行うことはできない。例えば南関東第3位として関東地区予選を勝ち抜いても、関東全域の予選敗退チームから補強選手を選ぶことはできず、南関東第3代表として、南関東地区の敗退チームからしか補強選手を選択することはできない。
第73回大会(2002年)から、ファンの要望を受けて公開で行われるようになった(会場は年によって異なる)。
地区ごとに代表が出場すること、同一企業から複数のチームが出場する可能性があること等から、以下の点に留意しながら組み合わせ抽選が行われる。
大会独特の表現が目立つ。
黒獅子旗
橋戸賞
久慈賞
若獅子賞
小野賞
10年連続出場
詳細は都市対抗野球出場チーム一覧を参照
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(かっこ内は都市名・チーム。かっこ内かっこは補強元チーム。)
(第10回から表彰。)
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(第18回から表彰。)
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(第27回から表彰。)
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(第44回から表彰。)
上記のとおり、華やかな応援合戦も都市対抗野球の見所となっているが、これをさらに後押ししているのが、毎日新聞社主催、スポーツニッポン後援の「応援団コンクール」である。大会期間中、東京ドーム1・3塁側の客席最前列に応援団用の特設ステージが設えられており、郷土芸能やチアリーディング・チアダンスなどのパフォーマンスが行われている。
応援団コンクールは、大きく1回戦の試合を対象に行う「前期賞」「後期賞」(1回戦出場32チームの試合日程順に最初の8試合=16チームを前期賞、その後の8試合を後期賞とする)、並びに大会全試合を通しての「期間賞」の3つで構成・表彰される。
(表彰のあった年のみ記載する)
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