| 金泳三 김영삼 |
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| 任期: | 1993年2月25日 1998年2月24日 |
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| 出生: | 1927年12月20日 慶尚南道巨済島 |
| 政党: | 新韓国党 |
| 配偶: | 孫命順 |
| 金泳三 | |
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| 各種表記 | |
| ハングル: | 김영삼 |
| 漢字: | 金泳三 |
| 平仮名: (日本語読み仮名) |
きん・えいさん |
| 片仮名: (現地語読み仮名) |
キム・ヨンサム (キミョンサム) |
| ラテン文字転写: | Kim Young-sam |
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金 泳三(キム・ヨンサム、1927年12月20日- )は、大韓民国の政治家。元大統領(在任1993年 - 1998年)。慶尚南道巨済島出身。実家は綱元 植民地時代における創氏改名時の日本名は金村康右。日本語読みでは「きんえいさん」。早稲田大学特命教授。称号は名誉法学博士(早稲田大学)。
目次 |
1954年第3代国会議員選挙で自由党候補として巨済にて立候補し、当時の最年少国会議員として当選し、政界入りする。後に、自分のもとを訪れた日本の大学生達に、「反日の話を相当しないと、当選できないような時代だった」と述懐した事がある。
議員となって以後、ながらくは野党の立場で活動し、軍事政権時代にはニューヨーク・タイムズとのインタビュー記事等をめぐり国会議員除名となったり(1979年)、自宅軟禁を受けたりといった弾圧を受けたりもしたが、1970年代から1980年代にかけて金大中とともに代表的な野党政治家の一人であった。1987年に全斗煥の退任に伴って行われた韓国第13代大統領選挙にて金泳三と金大中が共に盧泰愚に敗北した後、1990年に、盧泰愚、金鍾泌と手を握り、三党合同に参加することとなる(盧泰愚の民主正義党、金鍾泌の新民主共和党、金泳三の統一民主党が合同し、巨大与党である民主自由党が誕生した)。この後、民主自由党の大統領候補となり、1993年に韓国第14代大統領選挙にて大統領に当選した。
朴正煕政権以来32年間続いていた軍部政権は消滅し、金泳三政権は文民政権と呼ばれることになった。金泳三は軍部政権の残滓を徹底して排除するため、軍内の派閥「ハナ会」を潰し、会員を退席させるなど、軍の改革を勧めた。また、野党政治家や政治運動家などを積極的に登用し、国家安全企部長、外務大臣、統一院長官などに大学の教授を迎えた。さらには、高級官僚の不正の追求にも乗り出し、大法院院長や検事総長、警察庁長官などが辞任することになった。
政治と経済の癒着を嫌悪し、「任期中はいかなる献金も受け取らない」と宣言し、質素さをアピールするため、「青瓦台での昼食はカルクッス(韓国式うどん)にする」と明言した。[1] また、歴代大統領が議員に配っていた「モチ代」の制度も無くすなど、政治の無駄の部分を排除していった。 経済面でも、不正の温床となっている仮名口座での金融取引をなくす為、「金融実名制」を実施した。
金泳三政権は「歴史の立て直し」を主張し、行動した。まず、対北朝鮮の懸案となっていた非転向長期囚李仁模を1993年3月19日に北朝鮮に送還した。次いで、1993年8月には旧朝鮮総督府の解体を決定。1995年8月15日には解体が行われた。
1993年3月19日に北朝鮮が核不拡散条約から脱退し、朝鮮半島全土に核危機が訪れるが、危機回避の会談はアメリカと北朝鮮間のみで行われ、韓国は一切手出し出来なかった。1994年7月8日に金日成が死去すると、金泳三政権は哀悼の意も表明せずに全軍に厳戒態勢を指示し、弔問のため訪朝しようとした勢力を弾圧。朝鮮半島情勢が一時期悪化した。
任期終盤の1997年に東アジアや東南アジア各国を襲った経済危機(アジア通貨危機)にて、韓国も起亜自動車の倒産を皮切りに経済状態が悪化。IMFの援助を要請する事態となったことは韓国国民からは恥辱的とも受け取られ、そのまま任期で大統領を退任する。IMFの指導を受け入れるまえ、日本からの単独金融支援の獲得で事態を彌縫しようとつとめたが、日本からはにべもなく拒絶された。このような経済政策の失政から、1999年6月3日午前には、日本に向けて出発しようと、金浦空港に着いて沿道の人々と握手をしていた時、71歳の男性がペンキ入りの卵を彼の顔に炸裂させるという事件が起きた。顔とスーツが真っ赤に染まった姿が世界中に配信され、男は「金融危機を招き、国を危機に陥れた罪を償い、深く反省しなければならない」と叫びながら、「IMF事態にまで国を滅ぼした金泳三は、国民に対して謝罪しなければならない」という内容のビラをばら撒いていた。この事件には、一部の国民の間には拍手を送るような雰囲気すら感じられた。
日本に対しては、常にその歴史認識を問題にし、1995年には、当時の中国の江沢民国家主席との会談の中で、「日本のポルジャンモリの悪い癖を直してやる!」などと発言したこともあり、常に反日的な姿勢を顕著にしていた(「ポルジャンモリ」とは、日本語で「バカたれ」などに相当する、上の立場の者のが下の者を叱る韓国語の俗語)。この発言自体に対しては韓国内からも批判の声が上がったが、氏の直情的な人柄や、大統領としての、あるいは大韓民国としての面子がかかった(と韓国内では当然に考えられている)対日外交で、常に強気の姿勢を示さなければ、という感情が働いていたと見られる。就任前後に日本で高まった統一教会による誘拐事件への不誠実な対応もあり、「知れば知るほど嫌いになる」という韓国にとってはきわめて不名誉な評価を日本国民に定着させた。また、いわゆる「光復」50周年を記念して行われた歴史立て直し事業という名の大々的な反日事業をでは、上述の旧朝鮮総督府解体のほか、風水に基づく全国規模での鉄杭除去などを推進した。
直情径行の面があり、退任後の行動などでも韓国国民の不評を買う場面もあり、現在の韓国内の評価は高くないとも言われる。
2002年より早稲田大学の特命教授に就任。公共経営研究科への特別講義や大学全体への公開講演会の開催など、年に約2回の訪日時に流暢な日本語での講義を持つほか、テレビ出演もしている。
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