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2007年のプロ野球日本選手権シリーズは、2007年度の日本プロ野球日本一決定戦として10月27日から11月1日まで開催された。
目次 |
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | H | E | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 中 日 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 |
| 北海道日本ハム | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | x | 3 | 2 | 0 |
|
[中日] |
[北海道日本ハム] |
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | H | E | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 中 日 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 8 | 8 | 0 |
| 北海道日本ハム | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 |
|
[中日]
|
[北海道日本ハム] |
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | H | E | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 北海道日本ハム | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 9 | 0 |
| 中 日 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 12 | 0 |
|
[北海道日本ハム] |
[中日] |
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | H | E | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 北海道日本ハム | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 7 | 1 |
| 中 日 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | x | 4 | 5 | 1 |
|
[北海道日本ハム] |
[中日] |
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | H | E | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 北海道日本ハム | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 中 日 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | x | 1 | 5 | 0 |
|
[北海道日本ハム]
|
[中日]
|
最終打者は小谷野栄一。セカンドゴロであった。
この試合で、8回まで完全試合投球の山井投手に代えて9回に抑えの岩瀬投手に継投して、参考記録での完全試合を達成した落合監督の采配については、スポーツマスコミ、野球評論家などを中心に賛否両論が巻き起った。貴重な大記録達成のチャンスをつぶしたとの見方により、スポーツライター玉木正之が自身のブログに、[1]、やくみつる はサンケイスポーツ紙にそれぞれ落合の采配を非難するコメントを出した[2](ちなみにこの継投は、玉木氏らが本議論で盛んに取り上げて比較しているメジャーリーグでなら、正式な完全試合として認定される)。また、野球関係者においては、 野村克也東北楽天監督が当日放送されたニュース番組で、「監督が10人いたら10人とも替えないのでは」(『報道ステーション』)と発言、翌日の『情報プレゼンター とくダネ!』で中日OBで野球解説者の谷沢健一は「落合監督は監督の器じゃない」と怒りを露にした。
一方、元西武、横浜監督の森祇晶は「公式戦ならば迷わず続投だろう。しかし、53年ぶりの日本一が目の前まで来た。落合監督は私情を捨て、チームの悲願を確実とする采配に徹した。よくぞ決断した。おそらく過去2度の日本シリーズに(ピンチの場面で温情策をとって続投を選んで打たれた)負けた経験が、監督の決断を後押ししたのだろう。」[3]とコメントしたほか、阪神の岡田彰布監督も「そんなん、代えるやろ。当然。うちでいうたら(藤川)球児になるけどな。一応、あれで終わりという試合やから。」と采配を支持し、福岡ソフトバンクの王貞治監督、オリックスのコリンズ監督、かつてヤクルト、西武で監督を務めた広岡達郎らは当然の采配との見解を示した[4]。
星野五輪野球日本代表監督は「私だったら投げさせていたと思う」とするものの、「思い切った決断だった」(いずれも『NEWS ZERO』)と一定の理解を示した[5]。
この交代について、山井自身は「最後は岩瀬さんに投げてほしくて、自分から代わると言いました」と語っている[6]。また、落合監督も山井交代は手のマメ(肉刺)をつぶして出血していたことと右肩痛が再発してクライマックスシリーズへの登板を回避していたことだと説明した[7]。後日のうるぐすでの江川卓のインタビューでは、「もしマメができていなくても岩瀬に代えていたかも知れないな。」とも述べている[8]。これは岩瀬という絶対的なストッパーを持っていることと、1点という最小リードを守り切るためのあの場面での最善策だという理由で述べている。
在京のスポーツ各紙やTV局は「非情の交代」[9] と報じたが、実際に各誌が行ったインターネット上での緊急アンケートでは賛成が少し上回るという結果であった[10]。
11月13日、落合監督は、プロ野球界最高の賞である正力松太郎賞を選考委員会の満場一致で受賞した。その際、選考委員長であった川上哲治は、「正力さんはいつも『勝負に私情をはさんではいかん』と言っておられた。日本シリーズでも勝敗に徹して、そういう強い信念が感じられた」とコメントし[11]、シリーズ第5戦の落合の継投が肯定的な評価の対象となったことをほのめかしている。
※NHKラジオ第1については海外向け国際放送のNHKワールド・ラジオ日本でも同時放送される。
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