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C-1_(輸送機)

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(最終更新 2007年11月18日 (日) 12:31。)
Disambiguation この項目では日本航空自衛隊が使用するC-1について記述しています。アメリカ合衆国海軍輸送機についてについてはC-1 トレーダー (航空機)をご覧ください。

川崎 C-1

C-1輸送機。小牧基地にて。

C-1輸送機。小牧基地にて。

C-1輸送機 機首拡大(岩国基地)
C-1輸送機 機首拡大(岩国基地)
画像:C1 KAB026.jpg
後部カーゴドアを開いたC-1

C-1は、日本航空自衛隊が保有する中型戦術輸送機防衛庁技術研究本部および日本航空機製造が開発、川崎重工業が量産した。初飛行は1970年昭和45)11月12日

目次

導入経緯

米軍から供与された自衛隊のカーチスC-46輸送機は、第二次世界大戦前の機体のため、老朽化が著しかった。このため代替となる次期輸送機(C-X)の導入が急務となった。輸入か国産か検討した結果、米空軍C-130輸送機を退けて国産とすることになり、戦後初の国産輸送機YS-11を製作した日本航空機製造に発注することにした。なお、航空自衛隊ではC-46の用途廃止からC-X導入までのつなぎとして、1965年昭和40)からYS-11も13機導入した(YS-11を推進した通産省の強い要求で購入に至ったという裏話がある)。

日本航空機製造はYS-11に続く機体として、C-Xを民間機に転用することも考えており、基本設計は1966年(昭和41)より行われ、1967年(昭和42)9月に終了、10月より細部設計に移り、試作も日航製が行うことが決まった。だが、日航製の中枢である三菱重工業の機体部門は、C-Xと同時に国産製作が決定した超音速練習機T-X(後のT-2高等練習機)を受注していたので、三菱をT-Xに集中させると同時に、日航製を構成する各社への見返りとして、川崎重工業を中心として、富士重工業新明和工業日本飛行機昭和飛行機の5社が分担生産することが決定、川崎で総組み立てが行われた。エンジンはプラット・アンド・ホイットニー製JT8D-9ターボファンエンジンを三菱のエンジン部門がライセンス生産することとなった。

試作1号機(XC-1)の製造は1969年(昭和44)夏より始まり、川崎の岐阜工場で最終組み立てが行われ、1970年(昭和45)8月にロールアウト、11月12日に初飛行した。

しかし、日航製は設立立法によって民間機のみを製造するとなっていたため、しばらくしてこれを指摘されると、折りしも国会ではYS-11赤字問題が追及されていたところで、野党議員によってC-Xも議題に上り、違法であるとの追及が巻き起こった。時は70年安保直前で、ベトナム戦争反対運動から続く左翼運動が最高の盛り上がりを見せていた頃であったこともあり、政府と防衛庁は問題打破のため、C-X開発・製造を他の企業に担当させなければならなくなった。このときにC-Xの民間機転用計画は実質放棄された。日航製が主契約企業とされた試作機2機を除き、量産は川崎を主契約企業とすることとなった。1972年(昭和47)年3月に先行量産契約(通算3・4号機)が防衛庁と川崎との間で締結した。

試作1号機は1971年(昭和46)2月14日XC-1として航空自衛隊へ引き渡され、2号機と共に岐阜基地の実験航空隊(当時)で各種試験が行われた。1973年(昭和48)6月30日に防衛庁長官の部隊使用承認を受けてC-1となった。12月13日に量産1号機(通算3号機)が入間基地の第402飛行隊で運用試験に入り、1975年(昭和50)4月1日に基地間の定期運航を開始、1976年(昭和51)1月1日に正式運用を開始した。

第4次防衛力整備計画(4次防)によって50機の整備が決定していたが、日本特殊な事情(後述)によって製造は通産31機(試作2機、量産29機)で打ち切られ、1980年(昭和55)3月に最終契約、1981年(昭和56)10月に最終号機が納入され、C-1の生産は終了した。試作1号機は飛行試験機C-1FTBとされ、量産機のうち1機(21号機)は電子戦訓練支援機EC-1に改造。量産4機が事故で失われ、2005年平成17)現在の配備数は試作2号機を含めて25機である。C-1は小牧基地の第401飛行隊(1978年(昭和53)まで美保基地)と入間基地の第402飛行隊および美保基地の第403飛行隊に配備されたが、401飛行隊は1989年(平成元年)までに逐次C-130Hへ変更、機体は402・403両飛行隊へ振り分けられた。C-1FTBは岐阜基地の飛行開発実験団、EC-1は入間基地の総隊司令部飛行隊に、当初より配備されている。

機体

空挺隊員を降下させるC-1
空挺隊員を降下させるC-1
画像:C1 Banked.jpg
90度バンクで急旋回するC-1
貨物扉を開いた機体後部
貨物扉を開いた機体後部

機体は、軍用輸送機としては標準的な形態であり、高翼配置にT字尾翼、胴体のバルジ(膨らみ)に主脚を収容している。主翼の後退角は20度、アスペクト比は7.8である。YS-11と違い、噴射式のターボファンエンジンボーイング727DC-9と同じエンジン)を採用し、これを主翼のパイロンに2基搭載している。この強力なエンジンによって、C-1は600メートルの滑走路で離着陸が可能であり、高空での高速性能にも優れている。また中型機であるにも関わらず、空中で機体を90度近く傾けての急旋回が可能(航空祭での飛行展示で見ることができる)な高機動能力を持つ。反面、騒音が大きく、基地近隣の住民から苦情が寄せられたり、騒音被害を利用した飛行反対運動が起こったりもした。

ペイロードは、通常人員なら60名、完全武装の空挺隊員ならば45名(1個小隊)、床に金属ロッドを立てて担架を取り付けると36名の患者を輸送できる。車両ならば、ジープクラスの小型車3台を搭載可能である。後部の貨物ドアの一部分は傾斜ランプを兼ね、飛行中にも開くことが可能である。ここから空挺降下や、パレットに搭載した貨物(榴弾砲ジープを含む)の空中投下を短時間・効率的に行うことができる。

塗装は、初期は全身銀色であったが、後に試作2号機を含めた量産機は、迷彩色(緑と茶の濃淡)に塗り替えられ、岐阜基地の飛行開発実験団(ADTW)に配備された試作1号機C-1FTBのみ現在も全身銀色である。1983年(昭和58)よりC-1FTB以外の機体は、胴体上部に夜間・悪天候時の編隊飛行や物資投下精度を向上させるSKE装置を設置している。C-1量産機のうち1機は後に電子戦訓練機EC-1に改造され、入間基地の総隊司令部飛行隊に配備されている。また、STOL実験機「飛鳥」はC-1の機体をベースに開発された。

なお、ADTWのC-1FTBは2004年(平成16)からP-X用に開発された新エンジンXF7-10を搭載しての実験飛行にも利用された。

問題点

C-1は内部燃料タンクのみの場合、その航続距離は岐阜を中心として北海道・九州までであり、当時の技術力でも、C-1の航続距離は他国の輸送機よりも極端に短く、沖縄県や訓練区域の硫黄島へ飛行する場合は増槽を必要とする。一般的に、計画当初の国会の討論で、「航続距離の長い輸送機の導入は覇権主義の再来ではないか」と野党から批判された事が影響したとされているが、ベトナム反戦運動70年安保闘争沖縄返還闘争によって革新勢力と鋭く対立した佐藤栄作内閣下において、以前から防衛庁内局により、社会党などの批判をかわすため、意図的にC-Xの航続距離を短縮するよう計画された(同時期に導入したF-4も、野党の批判をかわすために、いくつかの措置がとられている)。この結果、1972年(昭和47)に沖縄が本土に復帰すると航続距離不足が問題となり、C-1の量産は29機で打ち切られた。沖縄や硫黄島へ飛行するC-1は、貨物室に増槽が取り付けられた特別仕様機となっているが、航空機は増槽を取り付けると貨物搭載量が減るため、輸送機にとって航続距離不足は致命的であった。

航空自衛隊では更なる長距離輸送のため、1984年(昭和59)から1998年(平成10)にかけて、かつてC-1導入のために退けたアメリカ・ロッキードC-130H輸送機を16機購入(完成品の輸入でライセンス生産ではない)した。とくに、1992年平成4)からは自衛隊の海外派遣が開始されたが、C-1は上述の性能上使用できないので、C-130Hが運用されている。

本機に限った事ではないが軍用輸送機であるため乗員に対する騒音、振動などへの配慮は最低限のものであり、特に民間の便乗者(特に自ら望んで乗るものではなく業務として離島などに行く人)には評判が悪い。またトイレは簡易なものも含めて用意されていない。ただし貨物室は空調・与圧はされている。

事故概略

後継機導入

C-1も導入から30年を経過し老朽化が激しいこと、航続距離の異常な短さによって現状に見合った運用がしづらい事などから、2011年(平成23)度より退役が始まる予定である。2000年(平成12)に後継機の導入が決定し、2001年(平成13)から国内開発が始まった。この次期輸送機C-XではC-130Hを上回る航続距離を目指し、2007年(平成19)の初飛行を予定している。

派生型

XC-1
試作機、飛行試験機。当初呼称はC-X。2機(18-1001/002)。#001号機はC-1FTBへ、#002号機は量産化改造。
C-1
量産機。量産29機製造(#003~031)。最終製造の5機(#027~031)は沖縄への飛行のため1250ガロン(4730リットル)増槽を機内に設置した。#021号機はEC-1に改造。4機損失(#009・010・015・027)。
C-1FTB
試作1号機(XC-1:#001)を1973年(昭和48)の試験終了後にシステム・エンジン・装備品の飛行実験機としたもの。FTBはフライング・テスト・ベッドの略。機内も実験飛行用に改修されている。当機を使用して、T-4中等練習機のF3、飛鳥のFJR710/600S、P-X哨戒機のXF7-10と言った各エンジンの空中試験が行われた(この時はテストエンジンを片翼に増設するので片翼だけがエンジン2基の3発機に見える)。また、エンジンの他にもミサイル部品や機体装備品などの試験に使用されている。飛行開発実験団(岐阜基地)に配備。1機のみ。
EC-1
C-1量産機の78-1021号機にECM(妨害電波)装置を搭載してECM訓練支援機(基地やレーダーサイト、防空施設に妨害電波を発し、対応を訓練させる為の機体)に改造した機体。機首と胴体後部に大型のアンテナフェアリング、胴体側面にも左右2つずつに小型アンテナフェアリングを設置し、周囲に対して妨害電波を発信する。胴体の前方下部にチャフポッドを設置することも可能である。1984年(昭和59)改造。総隊司令部飛行隊(入間基地)に配備。1機のみ。
飛鳥
C-1をベースにした短距離離着陸(STOL)実験機。C-1の改造ではなく飛鳥として新規に製造された。実験終了後「かかみがはら航空宇宙科学博物館」に展示。1機のみ。

スペック (C-1)

  • 乗員:5名
  • 全長:29.0 m
  • 全幅:30.6 m
  • 全高:9.99 m
  • 翼面積:?
  • 空虚重量:24,250 kg
  • 全備重量:約39,000 kg
  • 最大積載量:約8,000 kg
  • 最大離陸重量:約45,000 kg
  • 機関: P&W JT8D-9 軸流式ターボファンエンジン 2
  • 出力:6,580kg 2
  • 最大速度:約815 km/h(マッハ 0.76)
  • 巡航速度:約650 km/h(マッハ 0.65)
  • 航続距離
    • 空荷時:1,300 km
    • 積載重量6.5 t時:1,180 km
    • 積載重量8 t時:810 km
  • 実用上昇限度:11,600 m
  • 最短離陸滑走距離:約460 m
  • 最短着陸滑走距離:約600 m
  • 武装:なし

配備基地

登場作品

小説

関連項目

外部リンク

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