株式会社サード(英文名称:SARD Corporation)は、主にトヨタ系の車のアフターパーツを扱うメーカー。本社は愛知県豊田市。
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元々は1972年にレーシングチームとして設立された「株式会社シグマオートモーティブ」が母体である(同社は現在も関連会社として存在)。同社を設立した加藤眞は元々トヨタ(当時はトヨタ自工)の中でもモータースポーツを担当する第7技術部に所属しており、1960年代の日本グランプリに参戦したトヨタ7などの開発を担当していた。
同社は当初からル・マン24時間レースへの出場を目指すと同時に、富士グランドチャンピオンレースへの参戦をも狙ったマシンとしてシグマ・MC73/マツダを開発。エンジンは加藤の伝を頼りトヨタから供給を受ける予定だったが、マシン完成間近になってトヨタからエンジン供給を断られたため、急遽マツダからロータリーエンジンの供給を受けて1973年のル・マン24時間に出場した。同社は翌年のル・マンにもマツダのエンジンで参戦したほか、1975年にはMC73にトヨタエンジンを搭載してル・マンに参戦している。
1985年にサードを設立。1986年シーズンよりMC73以来のオリジナルマシン、サード・MC86X/トヨタで、全日本耐久選手権(後のJSPC)に参戦開始する。 1990年からは「トヨタ・チーム・サード」としてトヨタのワークスチーム待遇となり、トヨタ・90C-Vで15年ぶりにル・マン24時間レース参戦を再開。94C-Vで参戦した1994年には2位に入賞している。
1994年からはトヨタ・スープラで全日本GT選手権へ参戦。1995年、1996年にはスープラでル・マンに参戦している。 また95年にはトヨタ・MR2をベースとしたオリジナルマシンサード・MC8Rを開発し、同年と翌1996年にはMC8Rでル・マンへの参戦を果たしている。
他にも、2006年の十勝24時間レースでレクサス・GS450hを走らせたりしている。2007年には、昨年走らせたレクサスの機構を応用し、2006年にSUPER GTで走らせていたスープラをベースとしたハイブリッド車で参戦し、大きなトラブルもなく見事に総合優勝を果たした。
社名は集積記号の"Σ(シグマ)"が由来となっており、SARDは「Sigma Automotive Research&Development」の頭文字からとっている。
1990年、トヨタ・90C-Vで15年ぶりにル・マン参戦を果たす。この年はリタイヤに終る。翌年は参戦を休止、1992年は92C-Vで参戦し9位で完走。翌1993年は総合5位、カテゴリー2クラス優勝を飾る。グループC時代が終焉し、プライベーターのみの参戦となった1994年はLMP1クラスに94C-Vで参戦。残り1時間までトップを快走し、サード、トヨタの初優勝は目前だったが、ミッショントラブルで後退、2位入賞に留まった。
1995年以降は、スープラとMC8Rで参戦したが、満足な結果は残せず、トヨタの支援を受けるスープラのプロジェクトは96年一杯で休止。オリジナルのMC8Rでのチャレンジは翌1997年も続いたが、この年は予備予選落ち。以降サードのル・マン参戦は休止している。
1986年より、MC73以来のオリジナルマシン、サードMC86X/トヨタで全日本耐久選手権に参戦開始。オリジナルマシンによる参戦は3年続いたが結果を残せず、1989年よりトヨタのワークスマシン・89C-Vの供給を受けるようになる。1990年富士1000kmでJSPC初優勝を飾る。翌1991年にも1勝をあげ、シリースが終焉を迎える1992年まで参戦するが、シリーズチャンピオンを獲得することはできなかった。
全日本GT選手権・SUPER GTには1994年より参戦している。参戦当初は横浜ゴムのADVANを使用していた。メインスポンサーは2005年までデンソーがつとめた。(2007年から再びデンソー)
1997年にシーズン2位の成績を挙げるが、それ以降低迷が続く。2003年に織戸学、ドミニク・シュワガー組で1勝し、シーズン6位となる。翌2004年、タイヤをADVANからブリヂストンに変更。アンドレ・クート、ジェレミー・デュフォア組で1勝を挙げ、シーズン2位の成績を収める。しかし、2005年はマシンの不調もありなかなか調子を上げられず、シーズンランキングで下位に沈む。
2006年はメインスポンサーがtriple a出版に変わり、マシン名が「triple a sard スープラGT」となった。なお、スポンサーがパチンコ情報誌を手がけている関係上、ゼッケンナンバーをゾロ目の#66に変更している。これまではトヨタワークスチームの一員として最新型マシンでの参戦だったが、この年は最新マシンのレクサス・SC430ではなく、前年型のトヨタ・スープラでの参戦となった。そのためか開発が進む最新型マシンに比べ遅れをとっており苦戦を強いられた。
2007年よりマシンがスープラからSC430(2006年型SC430にアップデートキットを組み込んだ車両)に変更。ゼッケンナンバーが#39に変更、またメインスポンサーにデンソーが復帰した。
過去に土屋圭市、織戸学など、走り屋出身のドライバーが多く乗っている。鈴鹿1000kmでは谷口信輝もドライブした経験もある。その鈴鹿1000kmでは、毎年参戦している。その時のメインスポンサーは、デンソーではなく大塚家具であったが、2006年よりSUPER GTの一部に組み込まれたため、その年はtriple a出版だった。